dodecaphonica第ゼロ号、プリキュア・クリティカ、筑波批評2011秋について

文学フリマで『dodecaphonica第ゼロ号』を発行した仲山ひふみさんと、『アニメルカVol.5.0』の成上友織さんが歌詞の話についてからんでくれたのでまとめました。 dodecaphonicaは難しいので(自分の)理解の助けに鳴ればと思いまとめています。
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料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

ここでひふみさんは、ソシュールを参照し、「批評をめぐる人々の認知限界がある」ということに思いをめぐらせる。

2012-05-07 23:02:47
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

@sensualempire デタラメでもいいので歌詞についてかたる記号的な共通言語がほしいのです。スイプリはたまたまそれに適していただけですが、ふつうはもっと形式的ではないですね。

2012-05-07 23:04:42
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

ここからが、かなり独走していくところ。ひふみさんは批評を「情報」と呼び、「私たちという情報端末」といいはじめる。

2012-05-07 23:08:03
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

スイプリのOPは、僕もリフとAメロのことばの音色の反復が印象に残っていた。八起さんもそのあたりに注目している。個人的にこの「明るい(いい意味で無意味な)反復」はハトプリから継承された部分として聴こえる。それは今の朝アニメの可能性でもあって、それに気付く八起さんはセンスいいと思う。

2012-05-07 23:08:05
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

ここまでが、お昼までに読んだところで、つづきは今読んでる。

2012-05-07 23:09:40
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

つまりジェームス・ブラウン的なファンクの精神、あるいはブルースやゴスペルといった「生活の中の音楽」の精神とでもいうのが、今の朝アニメのOPEDには奇妙に現れている部分があって、現在のJPOPや深夜アニソンと比較してそれがかなり際立っているというのはいえると思う。

2012-05-07 23:11:17
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

ひふみさんは時間的な視点を取り入れ、批評家の「自由」というものを指し示す。「書き終わってしまい、批評がその言語環境の中で独自の運命を得て(批評家から)離れていく段になると、彼は前触れなく開放されて、それまで属していた必然性の系列とはまったく違う系列に置きなおされることになる」

2012-05-07 23:19:05
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

「生成変化の間際に起こる、この一瞬の分裂、ないし分岐を一つの自由と考えるなら。実際、批評の運命と批評家の運命はしばしば驚くほど似ていない」(dodecaphonica、p.7)

2012-05-07 23:23:17
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

ちなみに僕は「歌詞の文学性」みたいなものに対しては徹底してアンチです。その意味では、せっかく歌詞を形式化して「さしあたり意味と関係なく」論じる方法を手に入れたのに、八起さんがところどころ魅力を意味の力とみなしていたのは残念といえば残念だった。

2012-05-07 23:23:29
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

「テクストと人は別々の生を持っている、と私たちは考えることにする。そうすることによって、人はなぜ自分とはいずれ関係がなくなるにも関わらず、批評などという自身の仮面を産み落とすのか、そのように問うことも可能になるのだから」(dodecaphonica、p.7)

2012-05-07 23:27:35
シノハラユウキ @sakstyle

まだ該当の文章読んでないのですが、八起さんが言いたいことは「意味」という言葉を使わない方が伝わるんじゃないかなと思うことがあるので、ちょっと注意です RT @sensualempire: 八起さんがところどころ魅力を意味の力とみなしていたのは残念といえば残念だった。

2012-05-07 23:28:50
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

しかし。音楽の一部分としての歌詞の価値をその歌詞の意味に求めるのは反対なのですが、歌詞に意味を見出すこと自体はアリだと思っているのです。この違いは小さいようでいてじつはとてつもなく大きいと僕は思います。歌詞の「意味」がそれ自体でまた「無意味」なネットワーク形式に変化するからです。

2012-05-07 23:30:51
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

というわけで、ひふみさんはこの連載ゼロ回の次への橋渡しとして、「運命がその両義的で実行的な性格をいかにして示したかは次回以降にゼロ年代批評のテクストとそれが蒙った運命を観察することで明らかにすることを望んでいる」と述べる。

2012-05-07 23:32:08
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

ぼくはあるとき、歌詞の意味の価値について考えていた。いいことを書いてる歌詞がかならずしもいい歌詞ではなく、無意味なようにみえる歌詞(単なる反復や電波)がいい歌詞と感じられ、涙を誘われることもある。

2012-05-07 23:35:42
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

だとすれば、無意味でもすばらしいこうせいであるために人の心を打つ歌詞というものが、純粋性という意味では理想的ではないか。

2012-05-07 23:37:43
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

とすれば、ぼくが好きだった子のことについて書いた歌詞が、人の心を動かすという事実にまったくの根拠はないし、また、歌詞に魂を込めて書いているたくさんの人たちの思いは無になる。だとしても、それはうけいれなければならないだろう。

2012-05-07 23:39:25
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

「ポップなメロディとはなにか、ポップな歌詞とはなにか」という問題を立てて考えているうちに、ひとつだけ「意味のある歌詞に価値はある」という結論は出た。

2012-05-07 23:40:43
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

それは、メロディの理解とも共通している。そもそも、意味がききとられなければ、音楽は把握ができないということ。つまり、その曲が何拍子であるか、何調であるか、どんな楽式であるか。

2012-05-07 23:45:12
sasahira @sshrtk

@yaoki_dokidoki 参考:PINK「Young Genius」。サビは英語ですが、Aメロは勝手に作った言語で歌ってます。

2012-05-07 23:46:00
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

それらを把握し判断し、「ノる」ことから音楽の価値の享受は始まるとぼくは考えている。では、それらの「拍子」「調性」「楽式」などはなにによって把握されるのか。

2012-05-07 23:47:00
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

静寂の中で、音楽がはじまる。私たちは、数秒後にそれらのテンポや拍子、調や楽式を把握し、ないし予想しながら「ノる」。

2012-05-07 23:49:40
料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

この判断の根底に、「反復の発見」があるとぼくは考える。直前に起こったことを記憶し、そしてそれと照合すること。

2012-05-07 23:51:31
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

さて、筑波批評のほうの「もってけ論」を今読んでいるのだが・・・むむむ、これは序盤は特にハイクオリティだ。シェーンベルクの「作曲の基礎技法」を引っ張ってくるとは。とはいえ、やはり「意味」の扱い方にいろいろと疑問が残る。あと、参照項が西洋音楽の枠組みだけなのも、批判されやすいかも。

2012-05-07 23:52:06
sasahira @sshrtk

@yaoki_dokidoki 参考つづき。PINKのVo.だった福岡ユタカ「NS2000」。どこかの国の言葉のように聴こえるけれど、歌詞のないうた。http://t.co/9xoGTEI1

2012-05-07 23:52:41
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料理研究家 やおき @yaoki_dokidoki

拍子の把握では、まずメロディの構成要素の各音長が比較され、音長の最小単位と基本単位が求められる。この単位の把握には、音長の反復をききとる必要がある。

2012-05-07 23:53:52
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