- a_nightbreed
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↑この辺からの話の続き
100mの津波は非現実的で考慮する必要のない数字。14.8mは十分に想像が可能だった数字。 50mの津波は非現実的で考慮する必要のない数字。14.8mは十分に想像が可能だった数字。 30mの津波は非現実的で考慮する必要のない数字。14.8mは十分に想像が可能だった数字。
2012-05-13 08:09:4020mの津波は非現実的で考慮する必要のない数字。14.8mは十分に想像が可能だった数字。 いや、20mはないとはいえないか。14.8mがアリで、それ以上は次は「どこまでの規模」なら非現実的ではないと言えるのか?を、試しに列挙してみた。感覚的には100mもないとは言えないけど
2012-05-13 08:11:01.@powerpc970 さんのコメント「防護しなければならないのは電源だけではないし、防水にだって技術的リスクがある。事前に「○○mの津波に対処する」と要求仕様が明示されなけ..」にいいね!しました。 http://t.co/T9p2qQ0p
2012-05-13 08:18:04山体崩壊を起因とする津波の波及高は520m(アラスカ)が過去最大値らしいですね RT @yukiminagawa: イタリアのダム内で地滑りが100mの津波を…… RT @azukiglg 20mの津波は非現実的で考慮する必要のない数字。(中略)14.8mがアリで、それ以上は次は
2012-05-13 08:24:20法律的な見地と技術者(設計者、施工者)とに二分されてる気がするんだけど、法律が責任を問うべきは「設計の基準になった根拠数値を設定した人」という第三の存在になるのでは?「あのへんなら津波は○mくらいだから、それを満たし.. http://t.co/vtyFAzUo
2012-05-13 08:30:22そして「被害者が出たのだから東電は責任を負う義務がある」については別に異論はないんだけど(東電にまったく責任がないとは誰も言ってない)、発生原因が「津波の高さの想定値の設定」に端を発しており、「発電機と発電機以外の装.. http://t.co/vtyFAzUo
2012-05-13 08:34:03そして、性能・基準を求める側がどこまで見積もるかに、技術者/施工者は左右される。予算もそれに応じて変わるので経営者も同様に左右される。経営者、技術者/施工者に「要求以上(要求値に対してどこまでのゆとりを持たせるか?).. http://t.co/vtyFAzUo
2012-05-13 08:36:25それと、モトケンさんはあくまで「100か0か。0はありえず1であった以上、1でも100でも無関係に、備えなかった者に責がある」という主張で、ひまわりの人は「1か50か100か。0はありえず1以上の場合でも、どこまでな.. http://t.co/vtyFAzUo
2012-05-13 08:39:25で、モトケンさんとひまわりの人の対話の齟齬は、まさしく「着目点の違いから発生する齟齬」 http://t.co/8zyc8fLo の典型例ではないかと思った。加えて話がなかなか通じないと、苛ついて侮蔑的なニュアンスの言葉を選び始めてしまい、これが事態を悪化させる。
2012-05-13 08:45:49「起きた被害に対して免責はない」けど「起きた原因に対して免責はある」んじゃないですか。原因について責を問うのは難しいが、被害が出ている以上被害に対して責を問うコトは可能だろう、と。そして被害について責を問われないことはないと思います RT @motoken_tw: 求めるのが国な
2012-05-13 08:47:26そんなわけで、被害そのものに対する責任は問うべき(免責されないべき)だが、被害を発生させる原因になったコトについては責任は問えないと思いますがどうか RT @motoken_tw: 求めるのが国ならお上に従ってれば免責ということだね。> @azukiglg 「それが求められていた
2012-05-13 08:49:02「国に従ってさえいればよい」についていえば、【その通りだ】としか言えないです。また、「国が定めた上限」を越えたものがきた場合、それを越える「安全の余裕(上乗せ)」は事業者の余力、判断に拠るでしょうが、「国以上の想定をしなかったから事業者の手落ち」というのには無理を感じます RT
2012-05-13 08:50:59「加速度500ガルに耐えるように設計せよと言われればそのように作るが、1000ガルに耐えるように作れと言われれば最初からそのように設計してる。要求基準を超えた性能は可能だが、それはコストが増える。オーバースペックな設計を許容するかどうかを決めるのは、設計でなく政治と経営である」
2012-05-13 08:52:53この場合に「経営がそこまで必要と考えなかったから経営が無能」と問うことはできるでしょうが、経営判断は「国がここまででいいと言ってるのに、なぜそれ以上をする必要があるのか」という根拠に基づき、結局は「国が地震学者の指摘に基づいて作った基準数値」が判断基準になるのではないかと RT
2012-05-13 08:54:22そう考えていくと、技術上の、経営上の判断基準は国の示したものにあり、【法的に国が定めた根拠に従ったのに、従った側が不備を問われる】というのは、経営者・技術者ともに不服を感じるのではないですか? RT @motoken_tw: 求めるのが国ならお上に従ってれば免責ということだね。>
2012-05-13 08:55:29被害に対する責任については誰もモトケンさんの考えを否定してないと思うんですが。僕も「被害、被害者に対する責任が東電にない」とは考えていませんし。 RT @motoken_tw: 法的には元々被害に対する責任しか問題にならないし、私も問題にしていない。RT @azukiglg: そ
2012-05-13 08:56:15問題にされているのは「被害者に対する責任(賠償の義務の有無、賠償を行う主体的責任の所在)」ではなくて、「被害が発生する原因に対する責任」で、終始その点が問われていると思います RT @motoken_tw: ひょっとして、「予見可能性=責任」と考えてる?ならば間違い。RT
2012-05-13 08:57:37もしモトケンさんが「そこは問題にしていない」ということであれば、モトケンさんがこれ以上、「免責はない、東電の経営陣が無能」と言い続けるのは、議論の【もうひとつのポイント】を考えるに当たって障害にしかならないと思います RT @motoken_tw: ひょっとして、「予見可能性=責
2012-05-13 08:58:53そこを独立させずに論じると、「基準に従うことは非であり、基準など無視して無限に備えるべきだった。それをしなかったから非がある」になってしまいますが、それでは技術者の納得は得にくいのではないですか? RT @motoken_tw: 被害に対する責任と独立して論じる意味がない。RT
2012-05-13 09:00:42「A)被害者を救済する賠償責任」「B)被害が発生する原因に対する責任」の、(B)のほうです。モトケンさんは「両者は不可分(B)だけを独立して論じることはできない」というのであれば、(A)の救済のために(B)の正当性を「基準の是非」「それに従うことの是非」に踏み込んで説明しなければ
2012-05-13 09:02:24でも「法的には被害に対する責任しか問題にならないし、していない」のであれば、「発生原因に対する責任」は被害者への賠償責任とは切り離したほうがいいんじゃないですか? RT @motoken_tw: 法的には元々被害に対する責任しか問題にならないし、私も問題にしていない。RT
2012-05-13 09:03:26仕様を決める側の問題ということであれば、仕様は基準に従って求められるわけなので、「提示された基準をどこまで無視すべきか?」という話になるような。そして、それでは基準を設定した者は一切非がないことになるような RT @motoken_tw: 基準に従うだけでは不十分だ、ということで
2012-05-13 09:05:08