「A型の性格はなんとか」は、単なる間違えた学説だとの見方もあります。RT @A_Ichiroo: 血液型のその例では、「主張の内容」はニセ科学に当たるかと思います。
2010-06-20 17:18:35広重は芸術家です。21世紀の私たちは広重の絵を芸術として味わって、その価値を他者と共有するのではありませんか。科学を意識しないでも語れます。RT @A_Ichiroo: 科学的事実の雰囲気を一切匂わせないで、事実であるかのように語る方法というのは、私には思いつきません。
2010-06-20 17:21:47血液型性格判断にも、突出したかたがおられますよ。 ABO FANさんが有名です。kikulogで、熱心に書き込んでおられました。大量に投稿されているので、全部読み込むのはかなり大変ですが・・・ @HayakawaYukio
2010-06-20 17:22:00芸術一般のお話なんですか?田毎の月現象は事実だとする主張に限ったお話じゃなく? RT @HayakawaYukio: 広重は芸術家です。21世紀の私たちは広重の絵を芸術として味わって、その価値を他者と共有するのではありませんか。科学を意識しないでも語れます。
2010-06-20 17:27:04芸術一般の話ではありません。田毎の月は、たとえば文化庁によって名勝に指定されています。こういう社会的扱いをどう評価するか、です。たとえば、田毎の月は科学的に正しくないから名勝を取り消せとかいうか、です。@A_Ichiroo
2010-06-20 17:33:56名勝への選定は、科学性を根拠にしたものではないし、逆に科学性を担保したりもしませんよね。非科学的だから取り消すべき、という人は、いないんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。だれも言い出しそうにない主張は、例としては適当ではないと思いますが・・ @HayakawaYukio
2010-06-20 17:45:48ですから、田毎の月はよいのに「水からの伝言」がまずいのはどういうわけか。どこが違うのか、というのが私の問題意識です。@A_Ichiroo さんは、主張の内容ではなく主張の仕方が違うとおっしゃったと理解したのです。
2010-06-20 17:48:30私は @HayakawaYukio さんは、現実にはない現象を描いた絵はニセ化学と言えるかどうか、と問われていらっしゃるのだと思いました。そこで私は、広重は科学的云々は言ってないし、そもそも科学云々以前の作なので、批判対象にはなりえない、という意図で「されない」と書きました。
2010-06-20 17:58:30「水伝」は、科学的な事実であると主張されているのに対し、「田毎の月」はそうではない、で良いんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。あと社会的な問題として、被害の程度がいかほどか、というのもあるかと思います。 RT @HayakawaYukio どこが違うのか
2010-06-20 18:02:12「田毎の月」を宣伝文句に掲げて観光客を誘致する行為はいかがでしょうか。確たる証拠はないのに日本初の隕石孔だといってひとを集めるのはいかがでしょうか。被害を認定しますか?@A_Ichiroo
2010-06-20 19:06:50私の立場は、「○○は科学的に見て間違っている」などと意見表明するのはよいが、「○○はしてはいけない、○○は信じてはいけない」と、他者の行動や内心を制限する言い方は慎むべきだというものです。
2010-06-20 19:11:22宣伝文句の具体例を知らないのですが、想像するに、伝説のような扱いではないかと/「被害」は、具体的に、どのような被害を想定しておられますか。水伝の、高額な機器を買ってしまうとか、健康被害とか言ったレベルの被害をお考えですか? @HayakawaYukio
2010-06-20 19:21:54「田毎の月」や「隕石孔」で、水伝レベルの被害が起こる可能性というのを、ちょっと想像できません。あるのかもしれませんが。 @HayakawaYukio
2010-06-20 19:23:31波動測定器の販売はさておき、水伝を道徳の授業で教えてもたいした被害は想定できません。道徳授業は可という立場ですか?RT @A_Ichiroo: 「田毎の月」や「隕石孔」で、水伝レベルの被害が起こる可能性というのを、ちょっと想像できません。
2010-06-20 19:27:44いつでもどこでも血液型性格判断を話題にしてはいけないという言い方が広まっていると私は感じています。RT @iTatazm: 但し書き必要「科学的に正しいことだけをしたいのであれば、○○はしてはいけない。似非科学を信じたくなければ、○○は信じてはいけない」
2010-06-20 19:29:48水伝の被害は想定できます。いくつかありますが、ひとつに、生徒の、教師への信頼度が落ちます。管理者としての大人への不信は、だれもが子供のころに通る道です。水伝の理屈は、それを補強しこそすれ、尊敬を集める手段には、まったくなりません。 @HayakawaYukio
2010-06-20 19:37:19そう考えるなら、むしろ軽蔑すべき教員と尊敬すべき教員を見分けるすぐれた試金石の役割を果たすといえるのではありませんか。@A_Ichiroo
2010-06-20 19:40:37そんな理由で水伝を擁護するのは、いくらなんでもナンセンスではないですか。ていうか、教師をフルイにかけるのに、なぜ生徒を積極的に犠牲にしなければならんのです? @HayakawaYukio
2010-06-20 19:45:23刑事事件のおとり捜査ならまだしも、教育の現場でそれは、ちょっとありえませんよ。 @HayakawaYukio
2010-06-20 19:47:49擁護しているのではありません。水伝を道徳授業で教える被害は何かを考えています。私立学校における宗教の時間と何が違うか。@A_Ichiroo
2010-06-20 19:50:35宗教の寓話としても、水伝の話はだめでしょう。行き着くところ、表現の自由を否定する主張ですよ、水伝は。 @HayakawaYukio
2010-06-20 19:53:52水という物質が事の正邪を決するというような「水からの伝言」の物語では、表現の自由は不必要になるでしょうね。水に問えばいいわけですから。 RT @HayakawaYukio それはどういう意味ですか?RT @A_Ichiroo: 表現の自由を否定する主張ですよ、水伝は。
2010-06-20 20:11:28水伝は、簡単に言うと、「言葉の善悪は水の結晶の形で判断できる」という話です。で、普通は、整ってるからってそれがどうしたの、になるはずが、江本は、整ったものは善、としました @HayakawaYukio
2010-06-20 20:15:55当然ながら、言葉は、表記が同一でも一意ではないわけで、文学的な観点からも、江本の主張は受け入れらないわけです @HayakawaYukio
2010-06-20 20:17:46