作品とコンセプトと説明
↓ 近代モデルと対置するとすれば、作家は孤立した、自立的な個人として作品を生み出すのではなく、葛藤や対立を抱えた社会のなんらかの集合的イメージをその構成員として受け止め(受苦し)、表現する者として作品を生み出すというべきだろう
2012-06-02 01:18:45「しかし、美術史において作品の評価を決定するのは、アーティストによる理性的な作品の説明とは全く関係のない考察を通じてである。」#gjks2011
2011-01-02 21:23:12陰謀論も隠された予言も出来事が原因となって初めてそのような視点が生まれたのに、それを過去の事象の結果と見なすのである。事後的な応答は出来事を追認するだけでなく誤謬をも導きだす。出来事へと立ち向かうとき事前へと遡ることが重要なのは倫理的に当然のことのように思う。
2012-06-04 12:47:58@ka2saiki これが数多くリツイートされているようなので誤解のないように釘を刺しておくが、アーティストは説明をこうするべきだと言っているわけではない。そもそも作品の説明など不可能なのだから、説明する場でナイーブになるべきではないという例で述べたまでのこと。
2012-06-05 13:13:20実際、作品は言葉に置換えられないとナイーブに考えているものほど、作品を自己の内面の反映であると考えていたりする。はなから内面など反映しないと考えるものは作品に言葉を添えることに窮したりはしない。そもそも内面などないと思っているのだから。
2012-06-05 13:30:40一方、このようなナイーブな作品解釈に加え、現代美術においては作品を構成する諸要素が意味を持たなければならないと考える、ある種のパラノイアックな傾向があるように思う。彼らは作品のコンテクストやコンセプトというものを作品の意味内容とみなすのである。
2012-06-05 14:50:19彼らの場合、作品の諸部分は全て一意的に言葉に置換えることができる。ナイーブな作品解釈とパラノイアックな作品解釈は、一見相反しているように思えるが、どちらも作品が意味内容を持つと前提しているという点では共通している。
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