@chizulabo @hajimebs DSM生成に関わる規則はぐっと単純でほぼ光学的原理だけが関与するから、ほぼ視覚のままの「地形」が得られ、それには地物が巻き込まれているということですね。それでも天井を一部抜かれたり屋上を水面にしたりされるとまた難しくなるのでしょうけれど。
2012-05-30 09:03:03「天井の中央に穴を開けてしまって、雨風が建物の中に入るようにしています。」 / “隈 研吾 - 物質性とサイバースペース「ベニス・ビエンナーレ'95日本館会場構成」:東西アスファルト事業協同組合” http://t.co/4a47EDty
2012-05-30 09:06:53『自動車がスロープによって複層階を自由に行き来することによって、本来の地面は、行方不明となった。「床面」は、平面という抽象的な存在となり、建築家は床面による自律した造形を思考するきっかけを得たのであった。』堀田典裕「自動車と建築」河出ブックス、2011
2012-05-30 09:12:04こういうものを、一定の取得基準のもとにすべからくねじ伏せるべき、みたいな発想になりがちだけど、こういう反オブジェクトなチャレンジに地図も正面から呼応することが出来れば、地図に何を表現すべきかを深く考えることにならないか。などと。
2012-05-30 09:16:28地形と社会的規則、例えば、公園内の岬状地形には、どうしてもあずまやがないと、まがもたないのかとか、そういったよしなしごとを。これってデザインパターンの一種なのかなあ、などとぼんやり考えたりしています。
2012-05-30 09:32:02たとえば、道路の「制度性」は、道路を支えていた地形が改変された際に、その地形変化に道路が追随しないときにより明らかになる。 図は中央高速道路建設前の深大寺付近。 http://t.co/yE1hmeUi
2012-05-30 12:13:30中央高速道路の建設で台地が溝状に抉られた、そこに跨路橋に形を変えた道路が頑なに残っている。基盤としての地形がなくなったために橋梁化した「純粋道路」。 http://t.co/LRWZzpgc
2012-05-30 12:15:38結局、道路の何が優先されるかというと、それが「路線」であることだ。水路と同じように、接続先の責任も負ってしまっているために、その場の都合だけで在り様を決められず、「残ってしまう」。 http://t.co/7sgIyXTK
2012-05-30 12:17:48そして、基盤地図標高モデルでは、あっさり無視されている。跨路橋は地形ではない。「下の地面が消えたから、さようなら」 http://t.co/Ik7s9SbE
2012-05-30 12:19:11跨路橋、今尾恵介さんが著作で取り上げておられたこれも面白い。典型的な扇状地。大造成を避け、ゆるい等高線を描いて通過する中央高速。放射状の農道。それぞれをつなぐ跨路橋。 http://t.co/nIsiYrAG
2012-05-30 12:46:00私はマッピングの原義を写像であると何度か言っているので、無味乾燥なことを言う奴だと思われても仕方ないのだが(ついこの前も LOD でやらかしたしw)、にもかかわらず「地図に示されている殆どのものは社会的な約束事(社会制度)である」は、私にとって殆ど自明である。
2012-05-30 21:05:36単に写像といった場合は、現地と紙面の間にどのような対応でもつけることはできるだろう。しかし、社会的な約束事を反映していないような写像は意味がない。(自分だけに判ればよいような地図、たとえばエドガー・アラン・ポーの「黄金虫」に出てくるような地図は違うのだろうけど)
2012-05-30 21:05:55その一方で、「社会的な約束事」は不特定多数の「地図読み人」に理解されうるものとして表現されなければならない。「社会的な」と枕詞を振られた約束事は、例外処理が少ないかものであって、容易に写像として表現できるようなものであるべきだ。でなければ地図は一生手書きになる。
2012-05-30 21:06:03なので、「地図に示されている殆どのものは社会的な約束事(社会制度)である」べきなのは当然なのだが、その上で、地図を写像と見ることはちゃんと両立しうると思っているのであった。ただ、これは、私がインプットに際して写像回路を働かせていることの弊害かも知れぬが。
2012-05-30 21:06:28人間が見て人間が描いてるんだからある意味当然で程度の差こそあれ昔のひとが興味ある物を大きく描いたのから本当の意味で一歩前には出てないのだと勝手に納得。
2012-05-30 21:10:05@geo80k それたぶん、スケールの問題が介在しますよね。地図は「地図内の意味」と「実空間との対応関係」が記してある記号のマッピングだけど、それが「像」を結ぶスケールがあるんじゃないかと。
2012-05-30 21:11:13一見全然違うように見える視点に、どのように共通項を見いだすのか。それも大事だと思っている。でないと、「自分の世界の言語では」になってしまうリスクが高くなる。まあ、私のように「余所での言い方」を気にしすぎるのも問題ではあるのだが。
2012-05-30 21:11:30@hajimebs スケールは確かに間違いなく介在します。デジタル地図になって、一度、縮尺の概念は消滅する、と言われていた時期がありましたが、あれが(結果的に)良くなかったかも、と最近思っています。デジタル地図でもスケールの問題は消えきらないのですし。
2012-05-30 21:14:03