開かれた対話に関する小日記
- L_O_Nihilum
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ギルガメッシュが佐々木中をすすめてきたワケが、彼の本読んで何気に分かってしまった…。風呂から上がったら今日はその話をします。
2012-06-01 22:58:40佐々木中←(これあたるって読むのかw)、「この日々を歌い交わす」(2010)を読み始める。大学の論友とのトークで出てきたいろんな事が脳内でぽんぽん重なっていく。
2012-06-02 00:03:19ブリューゲル、セザンヌの絵の、消失点のなさ、というか、消失点のあいまいさというか、多さ。ゴス条がドゥルーズの「あいだ」のこと言ってたけど、あれにも似たような生き生きした感じというか。今そういうのが「会話」に足りないなぁと、そういう話。
2012-06-02 00:19:49一昨日見た「井上円了展」を観に行った僕ら二人は、二人とも全然趣味と言うか、基礎的領野がまるで違うんだよね。僕はだいたい独仏哲学+仏教+テレビゲーム&御宅思想という哲学科だが、相方の基礎デッキはマルクス+ソシュール+政治経済で英語分析、という英文学科。
2012-06-02 00:23:16でも、面白い位に話が合う。というか、「合う」じゃないんだよね。かつ、「合わせている」でもない。空気なんかまったく読まない、ていうかその会話自体が空気で、そのダイナミックな動きが愉しい。筑波大の哲学カフェでの熱気と似たものがあったんだよね。会話の自由さってコレだろう、と。
2012-06-02 00:24:32空気読んで話題を併合させてるわけでもない、なのになんでお互いその思考や領野を理解できんの、っていうときに、ウチがあんときも言ってたような一言…「いや、お互い寧ろ違うから会話ができるんだよ、広がってくし」って言ってたのは大ヒントでしたよ。
2012-06-02 00:26:03そこにはいろんなカギがある(カギ=お互いの言いたいことを理解しようという努力とかそういう会話のスキルとか一般に言われちゃう奴)と思うんだけど、それとも違う何かっていうのが、たとえば佐々木中さんのこの本の冒頭では言ってた。
2012-06-02 00:28:22それはまさに、ブリューゲルとかセザンヌとかが持ってる消失点の無さなんだろうな。そういえば彼、保坂和志氏とその中でカフカも出してたな。ドゥルーズが「あいだ」を取り出した当のカフカさんも。さらにそーいやはるちゃんがシュルレアにドゥルーズを見出していたが、(続く
2012-06-02 00:29:40その共に行った僕の友達(英文学生)がそういえば、セザンヌたち表現主義の延長線がシュルレアみたいなこと言ってたなぁと(笑)。つまり、光の弁証法~現象学の応用ていう意味ではシュルレアは印象派あたりの延長線みたいなものだろう、とww
2012-06-02 00:31:26この指摘、生身シュールレアリスム触れている方々にはいろいろ言いたいことあるだろうけど、それにドゥルーズというウチのなかでの現在での核からちょい言い過ぎ感ありつつも、妙に納得したのね。
2012-06-02 00:32:14あ、そういう事かw。と。つまり、セザンヌもブルトンもマルグリットも、思えば身体のこわばった、力強さを持っていて、それゆえにどこに消失点を設けるとか思う暇すらないんや、と。
2012-06-02 00:33:15だから、なまじ平坦な遠近になる。遠くに山、で風景が出来、手前には生きている空間が見下ろし2次元的に広がる。子供たちがそこで遊んでて、ときに馬がいて、ときに働いたり争ってる人とかの群像が生き生きとえがかれている。
2012-06-02 00:34:32これは彼らの会話に出てくるいろんなところで早速キーワードだ。ジャズのアドリブの自由さとか、15世紀イタリアで出てきた美学概念のSprezzatura(スプレツァトゥーラ、自由奔放さ、計算された無頓着さ・鍛錬されつくしたさりげなさの事)とかね。
2012-06-02 00:38:00どれもそうなんだけど、身体こわばったパワーに充ちていて、それであらゆる世界の外界にビンカンで、それをふっと掴んでそれに波乗るように乗りこなす。その結果、非常に自由で、尚且つピッタリくるようなアドリブができる。どこにも中心がなく、その中心なさによって己が輝いている強さ。
2012-06-02 00:39:47「奔放さ」「計算されたさりげなさ」なんて、ソニックそのもんじゃねーか(笑)。ソニックのアクションゲーは非常に面白い。
2012-06-02 00:41:19どの方向にも、上にも下にも自由にアクション出来て、しかしこう走ればもっと早く行ける、っていう工夫や上達が自然に味わえ、それをある程度こなすとタイムも速いだけでなく、走りきった時の快感がちゃんとある。それを醸し出すようにステージが構成されている。絶妙なデザイン。
2012-06-02 00:41:50そして、そういう自由な在り方が、文章や音楽、会話に出てきた時に、それは世界をなして多声的に、交響曲のように響いていくのかなーとか。
2012-06-02 00:42:38会話の話をいいかげんしよう、って今言いたくなったけどやめたw。なにせこういういろいろ言いたいことがまとまらず分裂してるのはそれだけ言いたいことが繋がっててしかも爆発してる証拠なんだw。そう、それがまさに真の鍵で、自由だからこそお互い領野が違っても話ができる。
2012-06-02 00:43:49彼は僕の思考をいつも「構造的に・英文法的・経済・政治的に」考えてしまう、とよく僕に言うんだけど、結構なことだと思うし、きいてりゃ面白いんだよね。それこそ僕のほうだっていつも「幻想的・ゲーム的・御宅的・現象学的」な考えばっかしそっちにぶつけてんのよ、って状況。
2012-06-02 00:45:06それで、自分の領野で相手の言いたいことを捉え、再翻訳してそこに提案とか同意や反論を挟むとさらに話が弾むアツさ、ね。「キミ経済の話もできるなんて驚いたよ、安心しちゃった」…僕そんな解ってないんですけど経済状況w。でもそういう事ね。
2012-06-02 00:46:29核を共有しない対話で、お互いの興味域を、論点だけ気持ちとして押さえながらぽんぽん、どこを中心とすることもなく出してみることで、お互いが厭な感じせずに見えてきて、そいでもってお互いに理解が素早く出来ちゃうっていうのは爽快なのよ。
2012-06-02 00:47:53<穴>の話を、http://t.co/XvQfmUT4 でしたんだけど、その理解も向こうは構造的・数学的理解をした。そして僕はそれをパフォーマティブに捉えた。
2012-06-02 00:49:23ここで、<穴>を解説しちゃうと、梅原賢一郎さんの用語で、身体に開くこわばったトンネルというか、柔らかくはかなくて、でも何か、別の処からやってくるものを受け入れるやさしいレセプターみたいなものなんだよ。受容体というか、これが触れ合うことで生きてる感じがするもの。
2012-06-02 00:50:48ドゥルーズの言う「器官無き身体」の極端版というか、あれのミクロ版で、それを彼に御話したら「僕はそれ細胞のミトコンドリアだと思うんだよね」ときた。
2012-06-02 00:51:26