井伊直弼の人物評と『「いかに幕府を潰すか」というゼロ和ゲームではなく、「どう幕府を潰すか」のパズルゲーム』
- jonathanohn
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@Jiraygyo 中央権力が弱いと、一度譲歩したらどこまでも譲歩させられるから辛いところですね。清が列強に食われていった過程もそんな感じだし
2012-06-08 09:34:57@Jiraygyo そして、一部の軍事力と経済力が傑出した藩以外は、どこも債務地獄で動きが取れなかったこと。プレイヤーが少ないのも幸いしました
2012-06-08 09:43:48@sweets_street 幸いなのは各藩がそれぞれ教育から軍事まで個別にリソースを維持している体制だったのが、あの局面では幸いしたよねえ。逆に言うと徳川家は全藩を武力鎮圧できる軍事力が前提として必要だった。
2012-06-08 09:36:28@sweets_street 長州の官僚と行政能力がやばいんだよなあ。元々士族が多かったので知識階層の比率が高かったのに、村田清風の改革でまー、組織が動く動く。諸隊とか長州以外では成立せんよね。
2012-06-08 09:46:51@sweets_street 村の寺子屋レベルの松下村塾だけに、そこに知識人が集まって情報交換してくれるし、そこでそだったら官僚や政治家としての本格活用してくれる受け皿があった。伊藤博文や山県有朋はモロにそのおかげやものね。
2012-06-08 09:57:37@sweets_street 「だけ」が暴発(笑) ミス。あそこはとにかく私塾が多いし、それを起用するのも多い。あそこだけ国民国家の萌芽とモデルと成功体験があったのは、明治にいくら反発されても国民国家で行こうとした意志力になったわね。
2012-06-08 10:02:17@Jiraygyo 松下村塾系以外にも優秀な人材は多くいましたしね。吉田松陰のような優れた教育者が生まれること自体が、本来の教育水準の高さを表してますよね
2012-06-08 09:59:09@Jiraygyo 教育熱心で領内に私塾を多く抱えてるところは他にもたくさんあったのに、どこで差がついたんでしょうね?教育が生んだ人材を活かす組織かなあと思ってるんですが
2012-06-08 10:06:54@sweets_street 比較的温暖で開墾が成功して経済力に余裕があったのと、瀬戸内と日本海の境目で北前貿易の要になる下関があったのが大きいと思う。交易による知的水準の必要性。これが素因としてまずあったろうね。
2012-06-08 10:09:30