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satomasaaki
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![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
自分がいいと思った。自分には向いている。 そう思えばこそ、さまざまな機材を使っても「ここはキヤノン、ここはニコン」道具を使い分けてこそ「道具」だと思う。 道具に振り回されてちゃいけない。
2012-09-18 14:01:15![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ネットでの言葉や画像見たって、その人がどれほどキャリアがあるかとか、その作例が撮られた場所と時間の撮影条件とか、実際その場に居たわけじゃないから、参考になるどころか、むしろ自分にはあまり意味のないものと感じる。
2012-09-18 13:58:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕はカメラ好きじゃなく写真好きだから、自分に合うカメラがあればそれでいい。 そしてそれは、どんなに記事を読んで前情報を集めようが、各自それぞれが異なった条件下で異なった好みを持つものだから、結果的に「結局、自分で買って使ってみなくちゃわからない」と思ってる。
2012-09-18 13:55:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
イメージは、ちょうど包丁か鍋みたいなものだと思います。 自分が使う厨房で、自分が作る料理ジャンルで、その使い勝手はどうだろう。 そこに直接関係してこない、スペック上の長所も短所も、実際のところ僕には全然関係ない、どうだっていいことです。
2012-09-18 13:49:07![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
多分、その人は「私はこんな感じの人です」って伝わったらいいなあ…なんてことは、いっさい考えてないと思う。 なのに、その人っぽいと感じられる何かが、文や写真から感じられる。 そこに何かがあるから、伝わったんだよね。 不思議だけど、おもしろいよね。
2012-09-03 22:13:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
それどころか、なんだかこんな感じの人じゃないかなあって、イメージが想像できちゃったりする。 これってすごいこと。
2012-09-03 22:09:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
出会ったことと、それに対して感じたこと。いくつも発見があった様子が載っています。 ブログを読んでいて、面白いことに他人が出会って感じたことがらを、見たり読んだりするうち、あたかも自分もそのような体験をしたかのように感じる、そういう追体験ができるものがあるんです。
2012-09-03 22:06:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
感性のアンテナを錆び付かせないようにする。 ひとつの方法として、ふりかえりがあります。 だけど、自分で自分をふりかえっても、なかなか姿が見えにくい。 そんなときは、他の人のふりかえった様子を見てみます。
2012-09-03 22:02:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「やっぱりフィルムがいいよね~」なんて言いながら、やっぱりデジタルを使ってる。 デジタルだってフィルムなんだ。要は考え方なんだと思う。 ネガもデータも音符。 音符を見せたいのか演奏して聴かせたいのか。
2012-08-09 21:49:27![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
写真って「そこに写ってるものだけ」なんかじゃない。 それじゃ、つまんなさすぎる。 撮影者の心の揺れが見えてこそ「鑑賞」というコミュニケーションが成立する。 つまり、何を撮ったって撮影者のセルフポートレート。
2012-08-09 19:39:08![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
かつて流行った、かつて評価された写真の流儀を守り、「写真はこうでなくちゃ」と決めてかかってると、何を見ても同じようにうまく撮れるようになって、そのうち自分の写真に飽きちゃいますよ。 同じような写真が氾濫してるの、もううすうす気づいてるでしょう?
2012-07-17 11:46:06![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
問題なのは、本人が気づかずやらかしてるとき。 街や駅やポスターで見かけるような商業写真こそ、いちばん良い「一等賞の写真」だと思い込んでしまい、それに外形が似ている写真を目指しはじめてしまう。
2012-07-17 11:42:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
写真って授業は、専門課程にしかない。 本当なら小学校にあったっていいくらいなのに。 カメラのシャッターを押せばすぐ出来上がるもの。 なんとなくそう思われてるんだな、きっと。
2012-07-06 09:37:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
気づいてからでいいんだよ。 気づかなきゃそのままでいいんだよ。 でも、だんだん写真がつらくなる人いますよ。 そうなってからじゃ遅いんじゃないんですか?
2012-07-06 09:35:08![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だからそういう人にいちいち言わなくていいんだよ。 「うまい写真といい写真はちがいます」 「うまいだけで、ちっとも良くなんかない」 そんなことを言っても、通じないんだから。 言われたほうも言ったほうも気まずくなるんだから。
2012-07-06 09:33:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そういう人はね、もういいんだよ。 「うまいですねぇ~」って言っておけば。 意地悪なもんか。事実うまいんだからしょうがないよ。 うまさで写真を撮っていれば安心に繋がるし、安心して楽しく写真を撮る、そういうのもあるわけ。
2012-07-06 09:31:02![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「なんでこんなもの撮ってるの?」 「どうしてこんなふうに撮るの?」 それでもまだ、そう言われるのがコワイですか? 誉められれば人は嬉しい。だからつい喜ばれるほうをやっちゃう。 でもでも、写真って誰のために撮ってるんだっけ?
2012-06-28 11:53:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
感性というのは、生徒ひとりひとり異なるもので、撮りたい対象も、それをどう撮りたいかも、ひとりひとり違ってきます。 その人のことを知らずに「これはこう撮るべき」なんて言えない。 写真はみんなもっと自由でいいんだよ。そういうことが言いたいし、伝えたいんです。
2012-06-28 11:50:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
写真をやっていくうちに、だんだんわけがわからなくなって、そのうち写真自体あんまり楽しくなくなって撮らなくなってしまう。 そういう人を見るにつけ、もったいないなぁと思うんです。 あまりに自分で自分をがんじがらめにしちゃってる。
2012-06-28 11:47:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
キャッチボールは、どんなに上手に球を受け取ることができても、その球を相手に投げ返すことが大切。 キャッチボールが下手だからやりたくない、楽しくないという人は、兄弟や親しい友人と練習のつもりでやってみたらいい。 いつまでも「苦手」って言ってないで、少しずつ少しずつやってみたらいい。
2012-06-05 16:16:10