芦田先生 @jai_an 「子どもたち、若者たちが大人になる契機の一つは、対面人間関係(いわゆる〈親密圏〉)を超えるときです。」
1)いわゆる低偏差値の学生というのは、家庭、地域、クラスメート、担任の先生といった近親者との比較の中でしか、自分の位置を計ることが出来ない子たちなわけです。
2012-06-16 12:12:523)「対面人間関係(いわゆる〈親密圏〉)を超えるとき」というのは、昔なら、トイレに行くのが恐い=家の闇と光、トトロ的な森の神秘=村の境界などがそれに当たったのかもしれませんが、いまでは、高偏差値の学生達なら、全国区の受検勉強でそれを体験します。
2012-06-16 12:13:574)喧嘩が一番強くても、クラスで一番を取っても、担任の先生に褒めてもらっても、親を喜ばせても、そんな対面評価では当てにならないということを実感的に体験するのが受験体験なわけです。
2012-06-16 12:14:215)低偏差値の学生はその意味では高校を卒業しても“ヒューマン”な=対面人間関係的な基準しかもっていません。その範囲なら殴って勝てばいいだけです。
2012-06-16 12:14:546)若いアルバイト店員を店先で観察したり、つついたりして(笑)、人材評価をするのが私の仕事の一つなのですが、大概(残念なことですが)、学歴差がそのまま仕事能力と相関している。“単純な”仕事でも学歴が高い方がまともにこなす。
2012-06-16 12:15:237-1)この相関は、給料ももちろんだし、3年以内離職率も中卒では7割を超える。単に「国語・算数・理科・社会」のジェネラルエデュケーション(あるいはリベラルアーツ)の有無や格差がどう実務能力の格差と相関しているのか、いつも疑問に思っていましたが…続く
2012-06-16 12:16:107-2)…たぶんそれは青年期の成長の最終段階で、対面関係を超えることが、現代では受験競争(および体育系クラブ活動における身体的な競争)くらいしかないからです。
2012-06-16 12:16:298)AO入試とは、対面関係で大学に入学することなのですから、今の大学生はほとんど人間関係主義者なわけです。だからコミュニケーション論が流行る(笑)
2012-06-16 12:16:599)高等教育は社会人になる最後の学校な訳ですから、対面人間関係を超えることができない学生たちのクラスの中に、社会人=職業人としての“偏差値”(殴っても勝てない基準)を、持ち込んでやるべきなのです。
2012-06-16 12:17:23