発電方法別の発電量当たり死者数の比較
人の命の「単価」については、例えば日本人、という限定であれば生命保険会社や損害賠償に関する判例などから「算定」することは一応可能だとは思います。色々問題はありそうですが…@buvery
2012-02-04 13:11:59例えば発電のコストを計算する際に、万一の事故の際の経済損失を考慮すべきなのはその通りだと思います。少なくともこれまで日本の原子力発電ではまじめに考慮してきませんでした。これからはそれは許されないでしょう。@buvery
2012-02-04 13:14:27どこまで書いていたっけ。ええと、「安全な社会」というのは単に特定の事故がない、あるいは少ない社会という事ではないはずです。産業革命以前は産業に起因する事故や中毒はありませんでしたが、子供は簡単に死ぬし、病気になったら死ぬし、とても今より「安全」な社会とは言えないと思います。
2012-02-04 13:18:51これも適切かどうかは議論のある所ですが、「安全な社会」の指標の一つとして人が簡単に死なない、つまりは平均寿命が長い社会と定義するのも、定量評価の方法かもしれません。平均健康寿命というのが計算可能であればより適切でしょうか。
2012-02-04 13:23:09現在の日本は他国と比べてかなり安全な社会である事に異論は少ないでしょう。安全な社会は簡単に実現できるものではありません。エネルギーの大量安定供給、高度な社会インフラ、高い教育水準、それらを支える経済的繁栄のいずれが欠けても安全性は低くなります。
2012-02-04 13:28:33エネルギー戦略は国家の安全保障に直接関わる重大事項なので、全ての国民がしっかりと考え、時間をかけてじっくり議論すべきです。その結果として脱原子力というオプションは当然あっても良いと思いますが、それによって得るものと失うものを熟慮する事なく決めてしまうのは極めて危険だと思います。
2012-02-04 13:33:56福島第一原発事故では幸い直接の人的被害は軽微に留まりそうですが、社会に大きなインパクトを与え、多くの人の生活、健康、生命に多大な影響を与えています。この影響をただ「多大」とするのではなく、経済損失なり何なりの指標で定量的に評価する作業がいずれは必要です。
2012-02-04 13:38:24そうした定量的な評価をすっ飛ばして、我々の子孫が生きていく社会の安全性に直結する事項について安直に決めてしまうような風潮に対しては、エネルギー戦略に限らず強い危惧を覚えます。
2012-02-04 13:41:07なお、以上のツイートはエネルギー問題全般に関する連続ツイートの一部で、本題部分はぶたやまさんがまとめて下さっています。コメント欄で長大な会話が繰り広げられていますが、なかなか読み応えがある(けどとにかく長い)のでお時間のあるときにでもゆっくりと。