「仮面の告白」まとめ

W大学の某講義を簡易説明
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野菜 @Dannymydog

よし、始めよう。いったい何人がこのツイートを見ることになるんか分からないけど、これをきっかけにイワユル文学(笑)に興味を持ってくれたら幸いです。今日は三島由紀夫の「仮面の告白

2010-06-28 23:00:21
野菜 @Dannymydog

先ず始めに、近代以前の小説・物語には“マトモな人”が小説に登場することがなかったということに気づいて欲しい。例を上げるなら「ドン・キホーテ」なんかがそうだろう。今で言う“メンヘラ”なんかとは違うタイプの基地の外

2010-06-28 23:04:25
野菜 @Dannymydog

近代以降は寓話的なストーリーメイキングは鳴りを潜め、リアリティーの時代が始まる。一概にそうとは言えないけど、宗教の力の弱まりが主な原因なんじゃないかと俺は考えます。

2010-06-28 23:06:41
野菜 @Dannymydog

そして今日の「仮面の告白」は所謂“ヘンタイ”の話(身も蓋もない言い方をすると)になるんだけど、その“ヘンタイ”は全てが計算し尽くされた“ヘンタイ”なんだ。これは三島や芥川、鴎外なんかのやり方で、全ての内容は頭からケツまで、徹頭徹尾作られてからアウトプットされる。

2010-06-28 23:12:05
野菜 @Dannymydog

この話で三島が題材にしたのは「正常と異常、節度と過剰の境界」、これによって語られたのは主人公の屈折した欲望だ。詳しくは本編を読んで欲しいんだけど、この主人公は有り体に言えばホモで、その上耽美なエログロが大好きなヘンタイ野郎だ。

2010-06-28 23:18:23
野菜 @Dannymydog

次にフロイトの話を少しするんだけど、その前に“欲望”“欲求”の違いについて触れよう。先ず、欲求に関しては“欠如”からくる充足へのbesoinで、「お腹が空いたからたべたい」といったようなもの、これは欠けているものが満たされたら止まるものなのね

2010-06-28 23:23:17
野菜 @Dannymydog

これに対して、欲望は自乗性を伴っていて「100万円手に入れたら200万円欲しくなる、1000万、一億……」みたいに決して止まることはない。

2010-06-28 23:26:12
野菜 @Dannymydog

今のことを頭に入れて次の話を聞いて欲しい。次の話はフロイトに於ける正常・異常・節度・過剰の関係についてだ

2010-06-28 23:28:36
野菜 @Dannymydog

この図において、過剰と節度はそれぞれ“緊張感”で関係している。これは「仮面の告白」の前半部分のミソでもあるんだけど、後半で突然なくなるのね。これが前半と後半の間にある言い知れない“ギャップ”の正体

2010-06-28 23:34:14
野菜 @Dannymydog

過剰は異常へと繋がっていくけど、これは質の問題ではなくて、単純に量の問題なんだ。でも、欲望には限りは無いことをさっき話したよね?そうすると、「どこからが正常で、どこからが異常なのか」の境界線がひどく曖昧になってしまうんだ

2010-06-28 23:37:26
野菜 @Dannymydog

そこで、欲望に歯止めをかける為には目的=終焉(End/Goal)が必要になってくる。これは宗教で補完されることが多い、キリスト教においては“生殖”がその役割を担っている

2010-06-28 23:40:32
野菜 @Dannymydog

ところが、主人公はホモだから、こういった歯止めを上手くかけられない。そして主人公が好きになるエログロ、“おぞましいもの”は、ある極端なものに対して美を求めるという作者のスタンスを表している

2010-06-28 23:43:49
野菜 @Dannymydog

ここでは極端なものの例として、貴聖の極に「聖セバスチャンの殉教画」、穢賤の極に1950年代の被差別民を置かせてもらう。どちらも主人公が作内で憧れるものだ。

2010-06-28 23:50:24
野菜 @Dannymydog

中央の横線を節度とすると、セバスチャンも被差別民も、「節度をはみ出している」という点では同じこと。この図式は前近代社会の構図と同じで、極端な“上”“下”を作り、平面(節度=法)を保つというもの。そして三島はこの極端なものを“悲劇的なもの”とした。

2010-06-28 23:55:02
野菜 @Dannymydog

先程、前後半のギャップの話をしたけど、節度と過剰の緊張関係の消失の理由はここにある。前半、主人公が求めていたのは極端なものだった。しかし後半になるとうってかわって彼は節度の上の平穏を求めるようになるからだ。

2010-06-28 23:57:44
野菜 @Dannymydog

今の、上下の設定→コミュニケーションの安定化はマルクスの「資本論」冒頭の価値形態論を読んでもらえれば分かりやすいと思う。aをはじき出して、それを基準に物事の価値設定をするという通貨の概念だ。これは人間が王を決めて、それを基準に他の地位を決めるのと同じこと

2010-06-29 00:03:37
野菜 @Dannymydog

そこで生まれた“安定したコミュニケーション”も、“下”を決めるとより安定するようになる。この状態に三島は大多数の小説に埋もれない“緊張感”を見出したんだ

2010-06-29 00:05:52
野菜 @Dannymydog

物語は“差別的な欲望”を孕んでいる。その“差別的な欲望”は=平均からの隔たりになる。この“上下の落差”こそが面白さを生み出すというのは三島や泉鏡花の基本観念で、彼らにとっては「落差・節度こそが“美”」だったんだ。要するに、近代日本が大っキライだったってこと

2010-06-29 00:09:30