渡邊芳之先生@ynabe39の「科学的な態度とはつねに「自分はバカかもしれない」と思うことである。」

なにかを考えるときに「自分がバカであった場合の保険」を外部的に用意しておくのが「科学」である。「客観的なデータ」は第一義的に「科学者がバカでも間違った結論をしない」ためにあり、他人をバカだというためにあるのではない。 あなたがバカであることになにかの責任がある人がいるとすれば,あなたの親とあなたの先生です。私は私の子どもの親であり私の学生の先生ですが,あなたの親でもなければあなたの先生でもありません。甘えるな。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

これも前から何度も書いていることですが,西周がWissenschaftやScienceを「科学」と訳したときには「いろいろな科に分かれている学問」という意味でそうしたと言われます。

2012-06-25 08:52:25
渡邊芳之 @ynabe39

西周的には社会科学とか人文科学とかは「社会の科学」「人文の科学」ではなくて「社会科の学問」「人文科の学問」ですし「自然科学」は「自然科の学問」ということになります。

2012-06-25 08:52:56
渡邊芳之 @ynabe39

世界の先端を切って東京大学に「自然科学だけを専門にやる学部」が作られたときにそれが「科学部」ではなく「理学部」(理科の学をする学部)という名前になったのも,他に「文科の学」「法科の学」「商科の学」「医科の学」などの「科学」をやる学部も作らねばならなかったからです。

2012-06-25 08:56:08
渡邊芳之 @ynabe39

日本において「科学」を考えるときには日本語の語源はとても大事です。われわれは日本語で考えているわけですから。 RT @kandemo: さっきも書きましたが、日本語訳よりも、Science が Scientia の訳語として使われたということが重要です。

2012-06-25 08:57:09
渡邊芳之 @ynabe39

もちろんscienceの語源のscientiaが「知」とか「知識」という意味であることは授業でも教えていることです。

2012-06-25 08:58:16
渡邊芳之 @ynabe39

いずれにしても私が言うことはいつも同じで「すべての学問が科学である必要はないし,科学的な方法以外にもなにかを正しいとする方法はいろいろある」ということです。ただ「科学は非常に強力でかつ民主的な学問手法である」ことは間違いありません。

2012-06-25 09:02:26
渡邊芳之 @ynabe39

西周は「○理学」という言葉もたくさん作っています。われわれの「心理学」もそうですが,その「理学」が「理科の学」なのかは難しいところです。 RT @kandemo: フィロソフィーを「理学」とする案もあったようですが、最終的には「哲学」になったという話もあるようですね…

2012-06-25 09:03:43
渡邊芳之 @ynabe39

西周自身にも時期によって用語法にけっこう大きな揺らぎがあるんだよね。

2012-06-25 09:04:10
渡邊芳之 @ynabe39

誰かがなにかを否定しているのですか? RT @kamijo_haruka: それは事実ですし、その考えは素晴らしいと思います。が、それは飽く迄も『一面的な事実』でしかないので、それを持ってして既存学問や科学の手法を否定されるのは傲慢が過ぎると思いますよ。

2012-06-25 09:07:31
渡邊芳之 @ynabe39

西欧で自然科学と民主主義がだいたい同時に発展したのはそれほど偶然ではないと思いますよ。 @m_akkeshi

2012-06-25 09:08:46
渡邊芳之 @ynabe39

そっちもなかなかいいですが「できるだけ二文字にしたかった」のかもしれないですね。 RT @yusai00: 「哲学」も当初は「希哲学」と訳していたようですしね。

2012-06-25 09:09:44
渡邊芳之 @ynabe39

西周の「訳語」は,まず彼が自分の頭の中に「学問の分類マップ」をつくって,それに基づいて訳語を考案していくという流れで作られている。だから欧州語の語源とはまったく関係なくその時代(明治初期)のその学問の実態から名づけられているものが多い。

2012-06-25 09:12:18
渡邊芳之 @ynabe39

「民主」と「科学」という言葉が好きな政党は何党か,と言うことを考えるとそのことと歴史との関係も見えてきますね。 RT @ceno_sougou: たまたま僕も昨日科学が民主的だという話をしてたわそういえば。

2012-06-25 09:13:46
渡邊芳之 @ynabe39

ですから「学問は科学でなくてもかまわない」のです。 RT @kamijo_haruka: ご自分でおっしゃいましたね?RTのコレは、近代学問及び科学的手法を根底から否定するものですよ?文献資料をデータとして着実に発展してきた事実を否定ですか?

2012-06-25 09:14:42
渡邊芳之 @ynabe39

ある学が文献資料の分析によって確実に発展してきたということと,文献資料が「科学的データ」であるかどうかはまったく別の問題です。 RT @kamijo_haruka: …近代学問及び科学的手法を根底から否定するものですよ?文献資料をデータとして着実に発展してきた事実を否定ですか?

2012-06-25 09:16:48
渡邊芳之 @ynabe39

「科学である」ということと「学問である」ということもまったく別なことで,科学ではないが系統化された立派な学問はいくらでもあり得る。それこそセノさんのいう数学(論理学)はその代表的なものだ。

2012-06-25 09:18:38
渡邊芳之 @ynabe39

あなたは「科学」は「科学でないもの」より優れていると思っているんですね。 RT @kamijo_haruka: 学問は科学でなくても構わない。コレは『一面的な是』です。が、それは『学問全体』には当て嵌まりませんし、況してや『科学的検証を必須とする学問』に於いては…

2012-06-25 09:19:47
渡邊芳之 @ynabe39

あなたは今日ずっと前から私が書いていることの何を読んでいたのでしょう? RTされてくることだけに脊髄反射して@コメントを送るのはやめて下さい。 RT @kamijo_haruka: では、『科学』というものを定義なさって下さい。

2012-06-25 09:21:06
渡邊芳之 @ynabe39

まじめに返事して損した。

2012-06-25 09:21:17
渡邊芳之 @ynabe39

そうそう。もともと科学は産業革命とともにその要請に応えて発展した面がありますからね。 RT @ManaakiMoana: 「みんな」で「繰り返し」行う生産活動に、科学的手法が求められた所以ですね。

2012-06-25 09:22:03
渡邊芳之 @ynabe39

その「語源は」「誰が」「昨今は」がまさにその答えなのです。科学哲学の専門家もそう答えると思います。RT @kamijo_haruka: 失礼ながら『語源は何だ』『誰がどう言った』『昨今はこのような流れだ』以外の答えを求めているのですよ。貴方ご自身の言葉での『科学の定義』を。

2012-06-25 09:26:06
渡邊芳之 @ynabe39

同意見です。 RT @kandemo: 「文献資料は、厳密な Textual criticism によって、歴史的データとして有効になる」というのが、文献学では常識だと思うのですが、私見ですが、「科学的データ」とは違うと思いますね。

2012-06-25 09:26:49
渡邊芳之 @ynabe39

「科学を外部的に明確に定義することはできない」というのが科学哲学史のひとつの結論です。私もその常識に基づいて考えます。 RT @kamijo_haruka: いや、私の発言を読んで下さい。私が求めているのは『貴方なりの言葉での科学の定義』なのです。

2012-06-25 09:29:55
渡邊芳之 @ynabe39

だから実験もしないのに因果関係の推論にあまりこだわるのは科学的でない感じがする。 RT @daihiko: 全ての「原因」は、一回限りの歴史的事実 (あるいはその集合) に還元するしかないと思っているんだけど、どうなんだろう。

2012-06-25 09:30:53
渡邊芳之 @ynabe39

そこでわざわざ「」を使っているのは「いわゆる」という意味で,いわゆるというのは「人々が言う」という意味です。RT @noz_Akita: 横から大変失礼いたします。…http://t.co/JnuyU38yで科学というものの定義をされていたかと思っていたのですが、

2012-06-25 09:32:40