柄谷に限らず、ポストモダンの人逹になると、何でそんな事を一生懸命考へてゐるんだらうとか、自分の感覺との「ずれ」を、隨分感ずる事が多いやうに思ふ。
2010-07-01 13:09:51@nozakitakehide 柄谷のテーマ設定はまさにそれで、「何故自己ならぬ他人とコミュニケーションが成立するように看做されるのか」だと思います。論理的には成立しないはずなのに、事実として成立してしまうのが「理解」で、それは何故か?という。少なくとも「探究1」までは全部そう。
2010-07-01 13:11:35福田恆存にしても小林秀雄にしても、言つてゐる事が全然「縁遠いもの」ではないんですね。T.S.エリオット邊にしても、異國の文化の人として「違ふ」感覺はあるけれども、人間の本性そのものについて何か大事な事を言はうとしてゐるらしき雰圍氣は感じ取れる。
2010-07-01 13:11:35@wtnbt 「何故自己ならぬ他人とコミュニケーションが成立するように看做されるのか」――何うもその邊、私には「縁遠い」感じが。時枝誠記(だつたつけ)が、「言葉は通じる時もあれば通じない事もある」と言つてゐるのですが、それで私は納得するんです。
2010-07-01 13:14:00@nozakitakehide 他の人はちょっとわからないですが、私には、感情や本能は社会的に構成されたものじゃないか、という疑問が先にあって、つねに疑わずにはいられないという傾向があるように思います。とにかくデータを集めて科学的に分析したい欲求がありますね。
2010-07-01 13:14:56ちよつと取急ぎメモだけ。柄谷は人間を「政治的存在」「社會的存在」として見てゐる、と云ふ印象があつて、「コミュニケーション」にしても政治の爲の道具として見てゐるのでないかと云ふ――そもそもの動機の部分に疑ひを持つてゐます。
2010-07-01 13:27:54と言ふか、柄谷は、人間が「社會的存在」「政治的存在」である現状を肯定して――現代を肯定して、如何に巧く現代を生き拔くかに興味を抱いてゐる、と云ふ印象があります。
2010-07-01 13:28:37D.H.ロレンスだと、明かに現代社會に敵意を抱いてゐて、それでsexを通した人間の恢復を唱へたりしてゐるのですけれども、柄谷に現代社會への敵意を感ずる事は出來ません。
2010-07-01 13:29:23@wtnbt 「感情や本能は社会的に構成されたものじゃないか」――ロレンスは性欲に據つて人間恢復を叫びましたけれども、性欲つて「社会的に構成されたもの」でせうか。
2010-07-01 13:31:32現代社會の「虚構」ですか、それを柄谷にしても他の多くの人にしても、批判する一方で、事實として容認してゐるんです。と言ふか、事實だから批判する、と云ふ態度なんです。それが私には不滿です。私にしてみれば、虚構が事實なら、素直に認めた方がいい。
2010-07-01 13:33:05@nozakitakehide もっとも、「わかる」というのも一方でたしかに私にも「ある」んですよ。理屈を越えて「わかる」ものというのはある。しかしでは何故「わかる」のか?とも考えずにはいられないのですね。
2010-07-01 14:01:29ポストモダン思想と言っても、基本的にはマルクス、ニーチェ、フロイトの延長だと思ったりします。ようするに自分があることを思う・信じるのは、自分を越えた世界の構造(経済/宗教/心理)に拠るのではないか?という懐疑ですね。世界の無根拠性に対していかに生きるべきか?というような。
2010-07-01 14:04:15@nozakitakehide というよりも柄谷はそういう区別が成り立たない、と考えているんじゃないですかね。マクベス論で、きれいはきたない、きたないはきれい、という魔女の呪文に人間の本質を見て、本質的に人間は嘘が言えない(嘘と本当の区別が出来ない)、と論じる人なので。
2010-07-01 14:07:10ちなみに私は感情や本能を幻想だから斥ける、というわけではないです。幻想なしの人生は考えられない、けれども、全面的に幻想を確信し続けることも不可能で、一種の無限後退と判断停止の間で曖昧に中途半端に生きるしかないと思っています。
2010-07-01 14:15:28@nozakitakehide おそらく柄谷は教育や芸術によって人間の本性を「善」に変えることは不可能で、経済や政治と言った社会のシステムに言説でもって介入することで現状を変革しようと考えているのだと思います。完全に政治的ですが、前述した通り政治と文学の区別を柄谷は認めないと。
2010-07-01 14:44:02ちなみに私は芸術によって世界の変革をというのも無理だろうと思うし、政治や経済で、というのも無理だと思う。なんとかいろいろ考えて実行することで個人的に魂の平穏を望むのみ。。。
2010-07-01 14:46:50@wtnbt 私には「幻想」「虚構」のやうな用語それ自體に敵意を覺えますね。客觀的な事實に對して主觀的な事實がある――それだけの事なので、事實と單純に呼んだらいい、と、さう思つてゐます。
2010-07-01 17:32:01@wtnbt 私には、文學と政治とは全然別の――完全に對立する二概念だと思はれます。柄谷は勘違ひしてゐますね。もつとも、日本に棲息するほぼ全ての文學者、否、ほぼ全ての日本人が勘違ひしてゐますが。
2010-07-01 17:32:56@wtnbt と言ふか、「現状を改革したい」と云ふ、その「現状」の認識が、柄谷にしても誰にしても、非常に唯物的なんですね。
2010-07-01 17:34:08@wtnbt 「マルクス、ニーチェ、フロイト」は、所謂近代の思想の行着く先の袋小路の人々で、その先は「ない」んですね。ところがポストモダンと言つて「その先」に一生懸命進まうとしてゐる。
2010-07-01 17:35:53