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前座噺に成り下がった『漫才』という芸

『漫才』の位置付けを根本的に変える必要があると思っています。日本の場合、それは同時に権威付けられて力を失う可能性にもつながるので、なかなか難しいことなのですが。
芸能 チュートリアル 漫才 落語
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向日葵 @mukobiaoi
今、日本の漫才界は素晴らしい作品をたくさん生み出している。これまでの歴史になかった隆盛であろう。同時に、漫才自体の地位がここまで下がったのも、これまでなかったことかもしれない。
向日葵 @mukobiaoi
素晴らしい新人が次々に登場して新しい漫才の可能性を広げている。NHKのオンエアバトルやM1が始まり、一過性の人気以上にその技術と笑わせる力がきちんと評価されるようになり、その中でデビューし有名になり芸人として認められようと多くの才能がしのぎを削り、現在に至る。
向日葵 @mukobiaoi
では、その中で評価されトップを取ったお笑い芸人は、その後、漫才を行うのか。もちろん機会があれば行うし、またそういう場も設けられている。しかし、その機会は圧倒的に少なくなる。有名になったお笑い芸人に求められるのは練り上げられた芸ではなく、即興の笑いと会話のセンスである。
向日葵 @mukobiaoi
つまり『漫才』は落語で言うところの『前座噺』にすぎないものに成り下がってしまったのだ。落語なら、その後に大ネタにという流れがあるが、漫才ではそうはいかない。『漫才』という存在自体が、お笑い芸人にとっての、登竜門的な芸にすぎなくなってしまったのである。
向日葵 @mukobiaoi
もちろん、漫才からデビューして、むしろ即興的な笑いや会話によって、その才能を開花させる芸人もいる。それは、元々、その芸人の芸が、そういう方向性に向いていたということだ。音楽家だって、練り上げる人もいれば即興でこそ力を発揮する人もいるだろう。お笑い芸人にもいろいろなタイプがいる。
向日葵 @mukobiaoi
象徴的な存在として、『チュートリアル』がいる。彼らが漫才において示した芸の凄まじさは驚異的なものであった。そして、今も毎年、「ああ、漫才というのはこういう世界を創りだすことができるのだ」とその可能性をまざまざと感じさせてくれる芸人がたくさん登場してくる。しかし、それは前座芸である
向日葵 @mukobiaoi
『漫才』というのはすごいものだと思う。二人の間において新たな世界を構築するその可能性の広さ、深さにおいては、『落語』以上の可能性を秘めているものだと思う。しかし、噺家は前座2つ目真打ちとその地位や知名度が上がっていっても、噺をするということを怠らない。怠るのは下手な噺家だけである
向日葵 @mukobiaoi
そう・・・『落語』はその技術をどこまでも高めていく芸であるが、『漫才』は有名になるための手段にすぎないのだ。少なくとも今の段階では、そのような位置のものになっている。いや、成り下がっていると言ってもいい。
向日葵 @mukobiaoi
それは、『漫才』という素晴らしい芸において非常に不幸なことだと思う。権威を与えることによって力を失う存在も多いので、みだりに『芸術』のように扱っていくのは危険なことであるが、今のような位置に貶めてしまうのは、あまりにもったいない。
向日葵 @mukobiaoi
『漫才』は『落語』に比肩する素晴らしい芸であり、『歌舞伎』や『能』などと同じく、作品自体を磨き、新たな表現を創りだしていくことのできる素晴らしい芸術である。
向日葵 @mukobiaoi
漫才で有名になった芸人が、ほとんど漫才を行わずバラエティ番組でひな壇トークをしたり即興のレポートや雑談する姿を自分は観たくない。自分が観たいのは、練られた芸であり即興のトークではない。何より、『漫才』を観たいのだ。
向日葵 @mukobiaoi
お笑いに関係するところの方、特に漫才を深く愛する方には、『漫才』で有名になった芸人が有名になったあとも『漫才』を大事にし、よりその芸を深めていけるような何か方策を模索すべきだと思う。これだけ、素晴らしい芸と芸人が生まれている今だからこそ、それは行われるべきであろう。

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