渡邊芳之先生@ynabe39の「一年かけてこういう状況でも誰も騒がないようにしたんだから「啓蒙」は大成功ですね。」

わが国で毎日のようにデモが発生して機動隊が出るようなことなど1年前には誰も予想していなかっただろうし,そのことにはみな戸惑うだろうし,それに反感や嫌悪を感じるのも当然だし。 「国家権力」というものがわかりやすくリアルな力を発揮する場面は多くの人の目にはしばらく触れなかったものだから,みんなが見ておいたほうがいいとは思う。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

「また、なぜあなたは、兄弟の目の中の塵に目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」。

2012-07-01 06:35:29
渡邊芳之 @ynabe39

一年かけてこういう状況でも誰も騒がないようにしたんだから「啓蒙」は大成功ですね。

2012-07-01 06:37:38
渡邊芳之 @ynabe39

まず素朴な認識を疑って,つぎにその「素朴な認識を疑う論理」を疑って,(途中かなり省略),最後に素朴な認識の正しさに帰り着く,というのが人文学の黄金パターンです。

2012-07-01 07:31:17
渡邊芳之 @ynabe39

長い間の錯視研究を経てギブソンが「錯視の多くは生態学的には正しい」という認識に行き着いたのはその典型的な例です。

2012-07-01 07:32:24
渡邊芳之 @ynabe39

「経済成長」っていうからいけないんじゃないの。人間や植物の「成長」をイメージしたらとうぜん「いつか必ず終わる」って思っちゃうよね。

2012-07-01 07:49:08
渡邊芳之 @ynabe39

「発展」にも「プラスのイメージ」がこもりますよね。辞書的にはgrowthにはちゃんと「増大,増加,拡張」などの訳語があります。 RT @rHiruandon: 「発展」かな?

2012-07-01 07:55:16
渡邊芳之 @ynabe39

まだ疑います。 RT @insane_u: 今まで疑ってこられたんですか‥?RT @ynabe39 まず素朴な認識を疑って,つぎにその「素朴な認識を疑う論理」を疑って,(途中かなり省略),最後に素朴な認識の正しさに帰り着く,というのが人文学の黄金パターンです。

2012-07-01 07:56:29
渡邊芳之 @ynabe39

「そうそう,もう公表しないほうがいいよね」。

2012-07-01 07:57:52
渡邊芳之 @ynabe39

経済は「生者」じゃないでしょう,そういう比喩で考えちゃうから「成長」はよくないんじゃないの,というのがさきほどのツイートの趣旨です。ところで「盛者必衰」じゃないのかな。

2012-07-01 08:00:52
渡邊芳之 @ynabe39

どんどん遠くまで見えるようになります。 RT @insane_u: そこから何が見えました‥?RT まだ疑います。 RT 今まで疑ってこられたんですか‥?

2012-07-01 08:01:14
渡邊芳之 @ynabe39

拡散されると@コメントが来だすからだよね。「知らない人から批判的な意見を言われる」というのは普通の人にとっては恐怖体験だと思う。

2012-07-01 08:05:12
渡邊芳之 @ynabe39

「永久にどこまでも大きくなる」というのはないでしょうけどね。 RT @Gluck_Katze: かといって、持続可能っていうのには違和感がありますね。なんだかんだで、回っていくのが経済じゃないかと思うのですが。

2012-07-01 08:06:51
渡邊芳之 @ynabe39

ただ「経済成長」ってのは「数字」だからそれにつれてお金やモノの価値が下がっていけば「永久に続く」ということもあるのではないか(素朴な認識)。

2012-07-01 08:08:05
渡邊芳之 @ynabe39

基本的に普通の人が普通に暮らしてる限り誰かから「お前の考えは間違っている」ってはっきり言われることなんてあまりないんだよ。いまの日本でそんなこと言ったら人間関係終わりだもんね。それでツイッターとかで初めて言われて混乱するの。

2012-07-01 08:22:18
渡邊芳之 @ynabe39

このツイートでフォロワーが減りました。 RT @Puncho2001: あ、参加します。(^_^;) RT @ynabe39 「反団塊世代デモ」なら匂いを我慢して参加するかもしれないw。

2012-07-01 08:46:06
渡邊芳之 @ynabe39

「対案を考える義務」が「反対する人」だけに課されると考えるのは間違いだし、じっさい世の中はそういうふうにはなっていない。むしろ「反対された側」が対案を提案することのほうが多いのではないか。

2012-07-01 12:37:34
渡邊芳之 @ynabe39

それもそうだし、もし対案の提案義務が反対者にだけ課されると、反対される側は反対されるだけでなくそれへの対策についてまで反対者の意見に従わないとならなくなる。

2012-07-01 12:39:14
渡邊芳之 @ynabe39

とくに専門家がそれなりの根拠と手続きをもってやっていることに市民が反対するという構図の場合,反対される専門家の側から見て「それを中止した上でその後の対策まで市民の意見に従う」のと「市民の意見に従って中止するが対案を考えることは任される」のとでは後者のほうが望ましい。

2012-07-01 12:42:19
渡邊芳之 @ynabe39

自分が教師だとして,保護者から「その授業方法はダメ,この授業方法にしろ」といわれるのと,「その授業方法はダメ,代わりの方法は任せる」といわれるのなら後者のほうが望ましいと考える場合のほうが多いだろう。

2012-07-01 12:43:46
渡邊芳之 @ynabe39

反対する側の専門性が低ければ低いほど,対案など出してもその対案が使い物にならない可能性は高いわけだ。それがわかっているのに「反対するなら対案を出せ」というのは「最初からやめる気はない」「反対されても聞く気はない」というのとほとんど変わらないと思う。

2012-07-01 12:46:33
渡邊芳之 @ynabe39

「反対するなら対案を出せ」という「原則」の一般性はせいぜい「人の話を聞く時には相手の目を見ろ」程度の話だと思う。

2012-07-01 12:47:12
渡邊芳之 @ynabe39

政治的な対立においては「反対する側」が提案する「対案」は「反対される側」にとっては「到底受け入れられないもの」に決まっている。そこでは「対案を出せ」という要求はむしろ対立を激化させるだろう。それを承知で言っているならもっと悪質なんだけれども。

2012-07-01 12:52:07
渡邊芳之 @ynabe39

起きているのは「社会的な問題」なのだから,誰かが実行して,誰かが反対して,別の誰かが対案を考えるのでなにもかまわないと思う。それをまとめて調整するのが「政治」の役割であるはずだ。つねに賛成派と反対派の間だけで決着がつくのなら政治などいらないではないか。

2012-07-01 12:55:27
渡邊芳之 @ynabe39

「これは宗教対立とは違う」と反対派も賛成派も言うだろうと思うが,私はそうであってもあえて「世界の他の国々で宗教対立への対策がどのようにされているか」「そのとき政治はどのような役割を果たしているか」について考えることが参考になると思う。

2012-07-01 13:06:33
渡邊芳之 @ynabe39

「いらっしゃいませ」「夏用の帽子を探しているんだけど」「これなんかいかがでしょう」「ちょっと気に入らないな」「じゃあご自分で探していただければ」「もう来ねえよ」。

2012-07-01 13:12:27
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