渡邊芳之先生ynabe39の「「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。」

「いじめ自殺」が「殺人」とされないのも学校が「教育の目的で生徒の人権を制限する」ためになし崩し的に「外の法律の適用されない場」になっていることの結果。こういうことをなくすためにも「学校はなんの目的で生徒のどのような権利をどこまで制限できるのか」をきちんと議論すべき。 学校が「治外法権」になっているのは学校が機能するためには法律が保証するような生徒の人権をある程度制限しなければならないからだが,そのことが教師や生徒の不法行為も容認するように働いてしまっているのが問題なのだと思う。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

別の言い方をすれば「法律にそう定められている」というのは「結果」であるということ。

2012-07-04 19:22:11
渡邊芳之 @ynabe39

普通に考えたら明らかに「攻撃的」な言葉が書いてあるけれどよく聞いてみると本人はまったく「攻撃の意志」をもっていないということはネットではよくある。

2012-07-04 19:40:26
渡邊芳之 @ynabe39

「これはいじめではない」というのは典型的ないじめの言い訳ですよね。そこでは「合理的であるから」というのが含意されていると思います。 RT @kmzk: そもそも、合理的な理由(変化しますが)のある不利益はイジメなんでしょうか?イジメは、差別と違い特定の理由がないのかな?

2012-07-04 19:41:55
渡邊芳之 @ynabe39

子どもには「将来的に強者になりそうな奴を将来的な弱者があらかじめ潰しておく」というのも多いよ。弱いものいじめなんかではない。

2012-07-04 22:16:20

つづき、

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「いじめは「指導」 道徳は「同意され正当化されたいじめ」ですからね。」 「心のノート」(小中学校の道徳の副読本)を見れば「どういう人をいじめたらよいのか」のヒントがいっぱい書かれていますよ。by 渡邊芳之 60076 pv 674 264 users 55

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があると.. 自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之 9350 pv 73 15 users 3