渡邊芳之先生ynabe39の「いじめは「指導」 道徳は「同意され正当化されたいじめ」ですからね。」

「心のノート」(小中学校の道徳の副読本)を見れば「どういう人をいじめたらよいのか」のヒントがいっぱい書かれていますよ。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

現実には「いじめる人」と「いじめられる人」がいるわけです。 RT @senami_a: だからいじめがあるという言い方がされるのですね RT @ynabe39 だいたい「いじめ」なんて「名詞」は昔はまず使われなかった。

2012-07-05 08:20:20
渡邊芳之 @ynabe39

内藤朝雄さんも「それがいじめの原因」と言っています。 RT @si_houraisan: (お友達でもないのに)「皆お友達なんだから仲良くしなさい」って気持ち悪くないですか?

2012-07-05 08:22:20
渡邊芳之 @ynabe39

道徳は「同意され正当化されたいじめ」ですからね。 RT @Ama10TheFool: @yobune 道徳の授業のせいで教師にもいじめられた俺がいますよと

2012-07-05 08:22:53
渡邊芳之 @ynabe39

「同じクラスに別の道徳律を持つ生徒がいる」ということを考えなくていいのは楽なことでもあるし怖いことでもあるよね。

2012-07-05 08:24:18
渡邊芳之 @ynabe39

そうもいかないから「障害者」として分離したうえで「ケアする」ことに決まりました。 RT @Ama10TheFool: @yobune つまり共感性欠如のアスペには死ねって言ってるんだもんなw

2012-07-05 08:25:40
渡邊芳之 @ynabe39

「科学知識が役に立たないといけないという信念」が疑似科学やインチキ療法を生むんじゃないかなあ。

2012-07-05 08:35:25
渡邊芳之 @ynabe39

良心的就学拒否制度をつくろう。

2012-07-05 08:45:18
渡邊芳之 @ynabe39

増えたというにしろ減ったというにしろ「生きる力」など「印象」にすぎない。そんなものを教育の目標にすること自体が間違い。

2012-07-05 09:13:25
渡邊芳之 @ynabe39

尺度を作ることは原理的に「どんなものについても」可能ですよね。 RT @oshio_at: 生きる力評価尺度が実在するという話 http://t.co/3ZAwt32e

2012-07-05 09:23:37
渡邊芳之 @ynabe39

「学校は学習塾であってはいけない」という考え方自体が「いじめ」を生む環境を作っているわけです。 RT @minao1964: それは学習塾

2012-07-05 09:34:58
渡邊芳之 @ynabe39

議論しなければいけないし,独学はじっさいに必ず偏ります。RT @watarihoukou: 渡邊は以前わたしに義務教育での人権侵害はどこまで許されるか議論しろとか、独学は必ず偏るとか言っていた。こんな人は学者だけあって、信用していない。

2012-07-05 09:49:18
渡邊芳之 @ynabe39

学校の先生は勉強を教えることより「人間を育てている」と思うことにプライドを感じているんだと思う。まさにそれが諸悪の根源だと私は思う。

2012-07-05 12:16:20
渡邊芳之 @ynabe39

前にも書いたけれど,学校で子どもたちは勉強以外のこともたくさん学ぶけれど,学校で学ぶことのすべてを教師が「教えている」わけではない,ということ。もちろんすべてを教師が教える必要もない。

2012-07-05 12:17:55
渡邊芳之 @ynabe39

いじめられっ子が生き残って社会的強者になったものが「いじめる側の道徳」の最大の敵になるわけだから、徹底的に潰しておかねばならない。

2012-07-05 14:02:39
渡邊芳之 @ynabe39

「学校の意味」ってなんでしょう? RT @chem_rabbit: 学校の意味ないw RT @ynabe39: 部活や「生徒指導」「人格形成」関係を廃止して学校を「個人が必要と考える知識を選択的に学ぶ」だけの場にすればいじめは激減、というのは内藤朝雄さんの主張だが…

2012-07-05 17:41:25
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも学校ってなんのためにあって,その目的のためになにをすべきところなのか。それにまったく社会的同意がなくて,教師は教師で,親は親で,子どもは子どもで,関係ない大人は関係ない大人で,行政は行政で,それぞれ勝手に好きなことを考えている。

2012-07-05 17:50:48
渡邊芳之 @ynabe39

こういうことをいうとみんなが「学校とはこれこれなもの」「学校教育の意義はこれこれ」とか「個人的な意見」を言い出すのだが,私が問題にしているのはそういった「個人的な意見」ではない。

2012-07-05 17:59:15
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも教育基本法第1条に書いてある「教育の目的」や第2条の「目標」が抽象的な理念で具体性を欠くことが問題なのだと思う。ただ個人的には「教育基本法が教育にこのような目的や目標を定めていること」はもう少しみんなが知ったほうがいいと思う。

2012-07-05 18:03:40
渡邊芳之 @ynabe39

教育の目的や目標についてどのような社会的合意があるのか,あるいはないのかです。 RT @pimaquette: ではどういった事柄を問題にしているのでしょうか?

2012-07-05 18:04:30
渡邊芳之 @ynabe39

ほんとにつぎゃったーのコメント欄ってまとめの内容を読まずに書くものなんだなあ。これだけ法則性があるとむしろ笑ってしまう。

2012-07-05 18:20:09
渡邊芳之 @ynabe39

基本的に400字以上書いてあったらほとんどの人は最後まで読まないよね。

2012-07-05 18:31:37

続き

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「学校は命をかけて行くようなところではない。」 そんなことは誰でもわかっているはずで,だから病気になればみんな学校を休むし,それを先生が責めたりは(ふつうは)しない。しかし「いじめられるから学校を休む」ことはなぜか認められにくい。 怖いのはその「学校には行かなくてはならない」という価値観あるいは道徳が「いじめられている子」にも共有されていることだ。行けばつらいし行ったら生きられないのにがんばって行って,そして死んでしまう。 「いじめをなくす」ために行われることが「いじめそのもの」になるのも学校。by 渡邊芳之 5230 pv 11 2 users 2


まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があると.. 自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之 9351 pv 73 15 users 3

まとめ 内藤朝雄さん@naitoasaoの「【学校が人を怪物にする】学校のいじめは何十年も変わっていない。同じことが繰り返さ.. 教育のための特別な場所として法と市民的自由が入らない無法状態で、何十年も同じことが繰り返されている。学校の集団生活のなかで、生徒は人の命を虫けらあつかいする怪物の群れになる。教員は組織人として隠蔽する。by 内藤朝雄 12019 pv 39 5 users 9