#10cul 福嶋亮大『神話が考える』(青土社)刊行記念 「10年代の文化の地平」+蛇足
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まじめな話、DTMと初音ミクで楽曲を作ってニコ動にアップして、楽曲の展開と擬似同期した批判や賞賛のコメントを受け取り、モチベーションに変えつつ、次の作品を自由に制作する、こういう制作体制でもクリティカルなものは作れる。 #10cul
2010-07-06 23:57:12#10cul マルチネはそこにさらに現実のクラブイベントが重なるものと理解していい。だがおそらくマルチネの面白さが一番発揮されるのは、クラブではない普通のパーティや破滅ラウンジのような展示で、ゲリラ的にPCDJをし、ついったーなどで動員もできる点。
2010-07-06 23:59:31#10cul 批評の政治性(ここでは批評のそれに限定されるので、パフォーマティビティと考えたほうがいいだろう)の話が出たが、音楽批評の場合、政治性というよりは公共性が問題になってくるだろう。というのも現在においては音楽と政治の関係がフェイクであることは殆ど自明化したからだが。
2010-07-07 00:19:26#10cul つまり言ってみれば音楽とはポストモダンの現代人にとって一般的には風呂場とかトイレみたいな個室的なもので、IPODに象徴されるように徹底してパーソナルなレイヤーで機能し消費されているが、音楽には共感を呼んだり情動を喚起するコミュニカティブな側面もある。公共性の次元。
2010-07-07 00:24:48#10cul 公共性は古代ギリシャのポリスに遡ることの出来る西洋的概念だが、とにかくそこでは公と私が常にお互いを媒介することが特徴としてあげられる。音声-耳-音声・・・のサーキットはそのまま公と私が媒介しあう関係になぞらえられる。
2010-07-07 00:32:14#10cul たとえば渋谷慶一郎さんが最近出したピアノのアルバムは、DSDレコーディングを用いて「側で弾いているかのような感覚」即ち圧倒的な親密さの位相をを作り出している。一方で相対性理論のような越境的で撹乱的なグループと、これをアレンジして演奏したりする。私的と公的のレイヤード
2010-07-07 00:27:49#10cul つまり一方では音楽美学の問題というのは、他人の家のトイレの使い心地に文句をたれるようなものとされ、音楽社会学のメディアへの着目はメッセージなど何も無い、IT産業の一形式の研究としてのみ扱われるだろう(音楽ビジネスで稼ぐ方法、的な話に矮小化される)。
2010-07-07 00:40:08#10cul 純粋な政治的メッセージとしての音楽などというものが信じられていないのは、パンクのその後を見れば明らかだ。ただしファシズムやナショナリズムとの関係は絶対的に存在する。想像の共同体を作り出す力、それは肯定的に見れば公共性の構築、否定的に見れば衆愚的なものの形成だ。
2010-07-07 00:43:11#10cul 本質的にゼロ年代批評は東浩紀の唱えるポストモダンの二層構造論(人間/動物の層の解離した状態)を軸にしている部分がある。人間(”ポリス的動物”)の”動物”的側面は改善できない。たとえば、どんな人間にもトイレは必要だ。トイレ無しではむき出しの”動物”になってしまう。
2010-07-07 00:49:00#10cul 音楽はおそらくそういった動物的レベルの問題だとされている(ipodのパラダイムにのっとるなら)。が、何度も言うようにそうでない公共的な層を作り出す音楽的実践もまた存在する。それは現前性の空間を作るサウンドデモとかではなく、潜在性の空間をネットワーク上で作る実践だ。
2010-07-07 00:52:50#10cul ちなみにこういう音楽的な公共性(公と私の媒介機能)の問題と、「うるさい」とか「不快な音」といったカテゴリーの変遷の問題は強くリンクしている。耳は目と違って「閉じる」「そむける」といったことができないので、最初から一方的かつ暴力的なのだ。音楽はこの問題と戦う。
2010-07-07 01:00:44#10cul 社会的リアリズムの作家であるショスタコーヴィチの音楽作品の二重性から、ケージの静謐、ロックやノイズの危うさ、坂本龍一的センチメンタリズムの選択まで、音楽の公共性と「うるささ」(あえて「雑音」の問題とは言わない)の問題は重要な系譜。
2010-07-07 01:03:38昨日は #10cul 見に行ったのだけど、なんか同世代の人たちは大変そうだった。僕は文芸批評の「歴史」みたいなものもしょってないし、アーティストでもない。さらにいえば、サーフィンは文化ではないとされているので、「文化」さえ関係ない。身軽だなあ、などと思ったわけです。
2010-07-07 08:12:04@shirojun 肝心の東さんはねえ・・。あんまりしゃべってなかったかな。とにかく荻山チキさんがしゃべりたおしてた。でも、東さんの雰囲気なんとなくわかった。ありゃ、好ききらいあるだろうな、と思った。
2010-07-07 07:35:57「荻上さんは結局、ビジネスモデルの話をするためにはまず福嶋の本が俺を驚かしてくれないとだめだと言っているわけでしょう(笑)」というぼくの発言(しかも冗談)が、「東浩紀:俺を驚かせば金になる」と記録されるというひどいまとめ。こういうメモは公開すべきじゃないんじゃないか。
2010-07-07 15:19:24ぼくが「荻上さんはこう言ったわけだよね」と述べたことがぼくの発言になっていたりして、問題ありまくりですね。RT @noboru_kisaragi 昨日のトークセッションのワケワカメのマトメ(東浩紀・黒瀬陽平他トークセッションと葛飾北斎:http://bit.ly/bewoZs
2010-07-07 15:17:16なんでもツイートして、まとめればいいってものじゃないです。いくら「これはメモです」と言っても、他人の発言を紹介するという体裁を取っているのだから。
2010-07-07 15:20:33確かに福嶋くんには反論してほしかった。「もともと内輪向けに書いた本なんで」と繰り返していたが、それを言っちゃおしまいでしょう。とはいえ福嶋くんはまだ同情の余地がある。問題はむしろ、福嶋本を絶賛しているにもかかわらず、、荻上くんのツッコミに有効に反論できなかった濱野と黒瀬だ。
2010-07-07 17:38:19以前ツイートしたことがあるので読んだひともいると思うが、ぼくは福嶋本への反応にはもともと疑問があった。ブログでもツイートでも絶賛ばかり。批判が出てこない。読者がすごい限定されている気がした。それが気味悪いので、昨日のイベントは、青土社さんにお願いして荻上チキ氏を入れてもらった。
2010-07-07 17:40:07結果的にその判断は大成功だったのだけど、逆に昨日の状況は思想地図系若手論客の弱さが露呈するものでもあった。濱野も黒瀬もおそらく「福嶋本の凄さがわからないやつはどうでもいい」とか思っていて、対話を拒否している。あれじゃあだめだ。本当に内輪向きになっている。
2010-07-07 17:42:45濱野くんは本業があるし黒瀬くんは美術家で、つまり二人とも別にプロの言論人になる気はなく、ファンとして福嶋本が好きなのでそれでいいじゃん、というスタンスなのかもしれないが、ゼロ年代の思想の終着点がそんなものなのだとしたら脱力してしまう。猛省を促したい。
2010-07-07 17:45:18