- karitoshi2011
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1安全・安心論を検討する②中谷内一也氏の著作を検討すると、リスク管理を行う側、またその側に立つ科学者が、「安全」についての権威ある説を述べるだけではなく、さらに市民・住民がそれに従い「不安」をなくすことも課題とし、リスクコミュニケーション論を援用しようとしてきた経緯が見えてくる。
2012-07-15 08:43:052安全・安心論を検討する②これはBSE問題、環境ホルモン問題なども関わるが、放射線健康影響問題が大きな要因。放射線問題にリスクコミュニケーション論が関わってきた背景には、原発ムラが市民・住民の心を統御しようとする意志が強く働いてた。放射線専門家は国民のリスク認識を批判し続けてる。
2012-07-15 08:43:473安全・安心論を検討する②この問題は「専門家はなぜ市民・住民の「安全・安心」の判断や考え方まで指導しようとするのか」①~③で述べてきた。http://t.co/PUE4fM7L ③1では、高木仁三郎の叙述により、1995年のもんじゅ漏洩火災事故が転機になったらしいことを述べた。
2012-07-15 08:44:414安全・安心論を検討する②中谷内氏も1990年代半ばを転機と見ている『リスクのものさし』p236-8。「安全・安心」「安心・安全」が読売、朝日、毎日、産経の4紙でどれぐらい使われてきたか?「1990年代半ば以降徐々に増えてきたが、21世紀に入って頻度が急激に上昇している。」
2012-07-15 08:45:055安全・安心論を検討する②中谷内氏「上昇の理由の一つは、2001年の第2期科学技術基本計画において、めざすべき国の姿と科学技術政策の理念の一つとして「安全・安心で質の高い生活のできる国」というものが政府によって設定されたことがあげえられる」政府だけでなく社会が求めている、と。
2012-07-15 08:45:296安全・安心論を検討する②中谷内氏「では、なぜ安全と安心がセットで追求されるのだろうか」「もし、災害が減少し世の中が安全なものになるにつれて、人びとの不安も取り除かれ安心も高くなるのであれば、両者をセットにする必要などない。政府や企業は単に安全だけを高めれば人びとの」
2012-07-15 08:45:457安全・安心論を検討する②中谷内氏「安心がついてくるはずである。しかし、実際にはしうはいかない。だからこそ、安全とは別に、安心も謳っているのである。政府や企業の立場では、安心という心の状態にアプローチできねかえれば政策や商品への支持につながらず、安全を高めるだけで満足している」
2012-07-15 08:46:278安全・安心論を検討する②中谷内氏「(安全追求で)満足しているわけにはいかないのである」島薗(意地悪くいうと国や企業がマインドコントロールに積極的に乗り出すわけ?)中谷内氏「実は、リスク認知という研究分野が埋まれた背景にも安全と安心の分離がはっきりしてきたという事情がある」。
2012-07-15 08:48:129安全・安心論を検討する②中谷内氏は「両者の分離が認識され、安全を導くだけでなく、安心を導くには何が必要かを社会科学者が探るようになったのは」1970年代からだが、21世紀に入り大きな政治的役割が期待されるようになったと示唆。この論の前提は「安全が高まったが安心は得られない」。
2012-07-15 08:48:3510安全・安心論を検討する②中谷内氏は「災害が減少し世の中が安全なものになるにつれて」と述べているが、これは妥当か?東日本大震災と福島原発事故(とくに)後者以後は誰も同意しないだろう。「安全が高まっていない」のなら「不安」は当然。だがリスク論リスコミ論は「不安」は不適切だとする。
2012-07-15 08:49:3811安全・安心論を検討する②「不安」が不適切な(過剰な)ものなので、それが不適切であることを示し、いかにして不適切な「不安」を除去するかを課題とする社会(心理)科学領域が発展してきた。ここに資源を投入する事は「安全」らしさを高める効果をもつ。リスクを及ぼす側に有利な心の統御の学。
2012-07-15 08:50:1712安全・安心論を検討する②7/4@大谷大学習会「真宗大谷派現地復興支援センター主任補佐木ノ下秀俊氏「福島では『安全』という言葉が信じられず、何が安全で、何が危険かが分からないまま、今も皆が生活している」と報告した「福島では表面上は以前の清松に戻ったようにも」中外日報7/10
2012-07-15 09:08:3213安全・安心論を検討する②「見えるが、事故直後から国もマスコミも正確な情報を伝えず、不信感や不安の中で1年4ヶ月が過ぎたという。当初、自分は被害者と思っていたが、一時保養に参加した子どもたちが芝生の上を走り回る姿を見て、子ども達に当たり前のことをできなくさせてしまった」
2012-07-15 09:08:4614安全・安心論を検討する②「大人としての責任を感じ、「こんな世の中をつくってきたことを、子どもたちに謝罪することから、次の取り組みが始まるのではないか」と問い掛けた。リスク管理側は正当で「安全」なのに住民側が誤って「不安」なのではなく、「安全」かどうか分からず「不安」。②了
2012-07-15 09:09:40