20120715 肥田舜太郎講演会「内部被曝の真実」愛媛県松山市

ひめぎんホールで開催された、被爆者救援・治療に尽力されている肥田舜太郎医師の講演会の模様です。 http://blogs.yahoo.co.jp/umiyamakaeru/23299058.html
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@fuuasumma

医者は症状をみてもよいが、カルテを種に論文を書いてはいけないし、調査もしてはいけない。もしやれば医者も厳罰。広島大学の医者も黙ってしまった。互いに意見交換することもできなくなった。私が頼んで調査がばれて、教授が左遷された。

2012-07-15 13:10:29
@fuuasumma

あ、教授じゃなくて部下が左遷されたようです。失礼しました。

2012-07-15 13:18:06
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「大学の医学部はみんな黙ってしまった。優秀な先生たちに私たち町医者が『調べてくれ』と頼むが、米軍から大学に『あれはやめさせろ』と。やめないと教授に嫌われて、よその所に回される。米軍の干渉で、広島長崎の患者の状態を医者の側で勉強できない、学者も勉強しない」

2012-07-15 13:11:05
はるか @dreamsea09

@shbttsy74 その干渉やトラウマが続いて今に至っていることが悲しいです。外交問題にも大きな影を落としているし。(T_T)

2012-07-15 13:14:57
@fuuasumma

医師の側で勉強できない、学者も研究できない。これが占領の間7年続いた。この間に人が沢山死んだ。

2012-07-15 13:12:16
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「その間に、被曝者たちは死んでいった。医者に診てもらえないから。今生きている人は『あの時に死んでおけばよかった』と仰る。医者にちゃんと診てもらえる状態があれば、こんなことはなかった。僕がいた病院は爆心地から350m。ベニヤ板で作った臨時の病院。3秒で3人残して即死」

2012-07-15 13:13:30
@fuuasumma

僕の家は爆心地から350メートル。700人のスタッフと患者。生き残ったたった一人の軍人が後輩だった。四国の小島へ戻り、子ども2人。二人とも白血病でなくした。彼は現在も生きてる。奥さんが認知症で老々介護している。

2012-07-15 13:15:15
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「生き残ったひとり、帰って子供を2人作ったが、2人とも白血病で亡くなった。現在88歳。今年の正月は年賀状がこなかったが、奥さんが認知症になって、彼が看病する立場になった」

2012-07-15 13:15:32
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「最初の晩に来たのが約6000人。4日目の朝に約20000人。それ以降は記録にないほどたくさん。ドロドロになった患者が這うようにやってきた。農家の人は田んぼに出てあぜ道に胡座かいて座っている所に逃げてきた。行く所がない。初めは小学校に行ったが、最初の人が入口で寝る」

2012-07-15 13:17:20
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「農家の庭の硬い土の上でみんな寝る。そこもはみ出すと道路で寝る。小さな村に20000人が入ると、すべての道路に人が寝てる。歩こうにもどうにも。やけどした患者が道路で寝ていて、そこで死ぬ。僕に死んだという診断書を書かせないと火葬できない。『なに病で死んだか書いて』と」

2012-07-15 13:18:39
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「なに病もなにも、やけどで死んだとしか。わら半紙に死亡診断書を書いた。そこに本人の氏名・住所を書きたくても、軍人は(服に書いた名前で)わかっても市民はわからない。何歳くらい、何々町と、いっぱい書いた。たまたまいた、僕を含め4人の医者で。4日目の朝、火傷以外の死者が」

2012-07-15 13:20:48
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「九州と四国の軍隊の兵隊が広島に来た。広島駅について、行く場所を分けられた。僕らの町に軍隊の医者・看護婦が何十人も来た。嬉しかった。寝転がった患者を診てもらうと、看護婦が医者を呼ぶ。『高い熱が出てます。40度超えてます』鼻と口から血が出る。まぶたの赤い所からも血が」

2012-07-15 13:23:23
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「表で寝てカゼをひくと扁桃腺が出るから、おそらく扁桃腺が腫れているのだろうと考える。僕は道路に膝をついて横から患者の口の中を診る。寝てる人は苦しいから上を向けない。ほっぺたを地面にくっつけて寝る。口を診るととても臭い。顔をおいておけない。口の中が腐っている。腐敗臭」

2012-07-15 13:25:24
@fuuasumma

九州四国から、衛生兵や看護婦、軍医などの応援が。心強かった。寝転んでいる患者の家族も喜んだ。40度超える熱はなかなかない。火傷を負った顔から出血。扁桃腺を疑って診察。でも苦しくて横向きに寝てる。自分も寝転んで診察。口の中から腐敗した匂い。生きてて話もしているのに。

2012-07-15 13:25:57
@fuuasumma

みんな肘の内側を指差す。みると焼けていない。そこに紫色の斑点。学校で習った時には、紫斑は一生みないだろうけれど、と教えられたものだった。血液の病気。

2012-07-15 13:27:59
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「本人はまだ生きているのに、口から腐った匂いが。周りに寝ている人は、自分のひじの内側を指さして『ここを診ろ』と。痛くて口を開けないから。そっと腕を持ち上げて診ると、焼けてない皮膚があり紫色の斑点が出ている。紫斑点。血液の病気で重症になり2〜3日でおしまいになる斑点」

2012-07-15 13:28:03
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「患者たち、なんとなく頭に手をあてて寝転がっている。手で触ったところの髪の毛が、スッと抜けていく。人間が死んでもしばらく毛は伸びるものだが。その10年後にアメリカで教わったが、毛根細胞は一番最初に強烈な放射線を浴び、細胞が即死する。生えている毛の下が離れる」

2012-07-15 13:30:01
@fuuasumma

苦しくて頭をさわる患者。すっと毛が抜ける。強いと言われる毛根細胞が一緒に抜けて頭が白くなる。

2012-07-15 13:31:02
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「なんでそういう抜け方をするのか、全然わからなかった。わからないことだらけでその人が死んでいく。さっきまで元気にものを言っていた人が、そういう症状が出ると途端に元気がなくなり、『がんばれー!』と言っても、スーッと目をつぶって死んでいく。これが医者は怖かった」

2012-07-15 13:31:20
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「患者は、まさか自分が死ぬとは思わないから、ジーっと私のほうを見る。軍隊から強心剤をもらっていたが、効いた試しがない。まだその時は怖いだけだが、死ぬまでに時間があると、出血が長く続いて紫斑が出てくる。最後に死ぬ時は、肺に溜まっていた血が口と鼻から出てくる、吹き出す」

2012-07-15 13:33:58
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「今までおとなしそうに寝ていた女性が、ブワーッと血を吐き出し、そばで診ていた私は頭から血を浴びる。女性の場合は陰部からもドーッと血が出る。血の海になる。タラタラ出るんじゃなくてドーッと。私自身が全身血まみれになり、相手は死んでいく。なぜ死ぬのかわからないまま」

2012-07-15 13:35:39
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「医者であることが怖くなった。『何の因果でオレはこんな目にあわなくちゃいけないんだ』普通死んでいく人は、脳に血が少なくなって、考える力がなくなり、怖さがほとんどない。しかしここでは、今までおとなしくしていたのがいきなり血が出て、怖くなる。死の恐ろしさと体の苦しさと」

2012-07-15 13:37:11
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「それで目の前にいる医者の私に『助けてくれ!』と必死で目で訴えてくる。次から次に死んでいく。その時の精神的な苦しさ。僕には肉体的な苦しさはないが、目の前で人が死んでいくのを止めることができない。それを何ヶ月も続けて」

2012-07-15 13:38:44
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「米軍が『原爆の被害のことを喋るな』となった時に思った。『テメエ診もしないで、テメエの作ったものでこういうことになってんだろうが!』と。自決用に持っていた手榴弾を米軍に投げつけてやろうかとも思った」

2012-07-15 13:40:12
ほんのこ @shbttsy74

肥田氏「私が話すのをやめてしまえば、誰も語る人がいなくなってしまう。私が生きている限り、これは私の大事なつとめだ。捕まって殺されても、やめることはできない。私は生き証人なんだ。原爆に殺された、3ヶ月目に死んだ、3年目に死んだ、それは私にしか言えない」

2012-07-15 13:41:31