グノーシス主義のデミウルゴス(ヤルダバオート)について
- Leethoo_Tat
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放逐され、怒り、慢心し、創造し、しかしその創造は不完全であり、支配し、光を貪欲に溜め込み、嫉妬し、己の創造物すら恐れ嫉妬し、孤独であり、誘惑され、子に裏切られ、未来にも他者にも盲目である……このデミウルゴスほど人間的な神が他にあるだろうか。
2012-07-19 02:15:12再掲『ヨハネの秘書』の悪霊群 http://t.co/VT3RssDE ストア派は悪=嫉妬の根絶を唱えるが、『ヨハネの秘書』ではそれを深層動態的統合、すなわち一度通過することによって克服することが唱えられるという。
2012-07-19 02:29:24ユング的に言えばヤルダバオートの生成は人間の自我意識が集合無意識の大海=プレーローマから立ち上がってくる出来事として捉えられる。「我こそは妬む神なり、我の他に神はなし」=自我意識の極点=不安の象徴といえるだろうか。
2012-07-19 02:35:20個体化過程として捉えれば、ヤルダバオート=自我意識ならば、一度闇の領域に失われた光の断片の回収と回帰の運動は、そのまま集合無意識=プレーローマと対立する自我意識=ヤルダバオートの再統合ということになる。(文脈的に見て「終末の詩」とかはヤルダバオートが滅びる様が描かれてるけど)
2012-07-19 02:40:04@Leethoo_Tat ラスボスですねぇ!ある神話においてはデミウルゴスをだまし、彼の持つ光を人間に入れさせたとありました。光はデミウルゴスでもあり、人間でもあり、プレロマの救済者含めアイオーンたち全てなのです。分割されざる総体です。
2012-07-19 03:04:12@Leethoo_Tat そして物語の主軸は明らかにデミウルゴスに置かれています。彼もまた追放された異邦人であり無知なのです。同じ光を持つ総体としては救済者=人間=デミウルゴスであり、ひとつの意識を構成する一面であるに過ぎません。病んだ創造・支配力は人間性との再融合で癒され……
2012-07-19 03:04:14@Leethoo_Tat 人間はデミウルゴスへ、デミウルゴスはソフィアへと帰還・再生してほしいと、ただ感情的に願うのです。人間は救済され、同時に救済し、この救済の連鎖は堕落が天上から下降的に起こるのとは逆にプレロマまで駆け上るのだと。私はデミウルゴスが救われてほしいのです。
2012-07-19 03:04:24@Leethoo_Tat あまりに乱雑で、言葉にできていませんが、過てる盲目の、自身を神と錯覚した存在がいかに救われるのか、果たして救われるのかが私のテーマであるのです。
2012-07-19 03:07:30@denki_hituji なるほどなるほど。お話いただきありがとうございます。実に面白いです。そういたしますと、さきほどのユングの個体化過程的な考え方に即して書いたのにかなり近いのかもしれないと思いました。
2012-07-19 03:16:15神たちが萎縮し救いあげる力を失った今日では、信仰の問題とは「どの神に感情移入できるか」ではないか。私は創造者であり、堕落者であり、錯誤者であり、狂おしく聖なるものを求めるデミウルゴスに共感する。
2012-07-19 03:19:07@Leethoo_Tat こちらこそありがとうこまざいました。見ているものは同じだと、そう思います。デミウルゴスとは人類の総体、自然や無意識から極限まで離れた不安げな集団のエネルギーなのです。集団ヒステリーに近い状態なのです。
2012-07-19 03:26:13オリゲネスによれば、天使、人間、悪魔とは魂の状態を指す。堕落によって魂は質量を増していくのである。しかし救済の時にあっては悪魔にいたるまで全てが救われ、神のもとに一体となるのである。それは損なわれた魂の統一性回復となる。
2012-07-20 02:06:33ウィリアム・ブレイクは確信犯的なグノーシス主義者で、友人にはそれを言明していた。したがって彼の描く神と悪魔もその文脈で理解しなければならないのだが、美術史界はそれを知っているのだろうか。
2012-07-20 10:06:01例えば石をパンに変えてみよとイエスに言う悪魔を、ブレイクは老賢者として描く。本質が物質的存在にはないことを指摘している場面なのだ。
2012-07-20 10:09:18自ら作り上げたこの世界に飽き飽きしたデミウルゴスは人間として世に現れ、世界の虚構を説いた。そして彼はプレロマから遣わされた外なる声、救済者に出会った。しかし彼のなかに嫉妬とこの世界への独占欲が巻き起こり、わずかな銀貨と引き換えに救済者を裏切らせたのである。
2012-07-20 11:49:48この世界は苦悩に満ちた存在の期待の、孤独の、混乱の産物てあるという考えは、十分に我らを慰めるのではないか。 創造主も救われたいと願っているのだ。
2012-07-20 12:14:28宗教にではなく、宗教学にたいしても「それって何?カルトとかと関係はないの?」というイメージがあることを、改めて知る。
2012-07-22 20:10:36フィクションにおいて仮想世界がメジャーになるにつれ、その創造者の苦悩、そして仮想世界の住民(被造物)による、あるいは外からの侵入者によるその救済というテーマもまた現れてきた。「マトリックス」は前者、「トロン・レガシー」は後者に当たる。
2012-07-24 20:21:36かつて人間たちにとっては、救済とは救済することによって得られるものだった。即ち創造神話の再現によって宇宙の活力を復活させ維持することは、人間の欠かせぬ役目だったのである。
2012-07-25 01:02:58神と人間とはなんとなく混じりあっているのだ。裁く神、唯一の神、救う神とそれを仰ぐ無力な人間という物語ばかりが氾濫しているが、本来神と人間の関係とはもっと多様なものだった。
2012-07-25 01:26:49いうまでもなく神とはフィクションであって、だからギリシア世界や中世伝説には神の様々な異説が存在したのだ。ギリシア各地にはゼウスの墓まであった。その死の伝説もあったはずである。異端をはね除ける唯一神という存在は例外なのであって、私達はそのような想像力をもっと学ばなければならない。
2012-07-25 01:37:36青木健『古代オリエントの宗教』が凡庸な題名とは裏腹にマンダ教からマニ教、ミトラ教、イスマーイール派までの東方での「聖書ストーリー」受容を追っていておもしろい。何気なく手に取った読者は相当面食らうんじゃないだろうか
2012-07-27 23:44:17