「人間形成」「教科指導力」「生徒指導力」
- tam07pb915
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「他がいくらすばらしくても、英語をちゃんと教えられない人は英語教師として問題です。教員免許も採用試験も英語なのだから。」
2012-07-24 11:04:35@tam07pb915 たむさん先生の価値観とか行動様式(ヒドゥン・カリキュラム的なこと)がついでに伝わることに意識的であれば、「最初から『人間形成』とか考えるより自分の持ってる知と技でぶつかっていった結果教師も生徒も成長できたらいいね」でいいと思うけどな。
2012-07-24 11:06:55なんか前にも、教科指導力と生徒指導力うんちゃらの話でもやもやして、いろいろリプをもらってどっちも不可分ていうか教科指導も生徒指導のうちみたいな話だったよなあ。
2012-07-24 11:09:41まとめたあとにいくつか関連するツイートがあったので追加。
算数・数学教育でも理科教育でも、数学的思考力だの科学的に考える態度だの言われだして「数学は数学を教える教科である」ってわざわざ叫んだ歴史があるわけで、一見すると同じ轍を踏んでいるように見えるけど、やはり英語教育は英語教育で独特だなあ。
2012-07-24 12:25:54戦後新学制下の英語科教育が、いかに「人間形成」「教養」「人格陶冶」「民主的社会の形成」「人類の福祉」という目的論を重宝してきたかは、当時(1951年)の指導要領試案に書いてありますね。ネットに全文アップされているから読んでみては?http://t.co/OxjVBOhG
2012-07-24 13:06:19戦後の英語教育の話はこの辺も参考になるかと思います↓
「『英語を教えるのが英語教育』と言う一見『無前提』な言明が可能なのは、さまざまな『前提』を知らず知らずのうちにクリアしてきたからこそ可能であることを忘れるべきではないと思う。」こにしき(言葉、日本社会、教育)http://t.co/9xYYf4RI
2012-07-24 18:15:36先ほどの続きで言うと、科教協や数教協が「本旨」に立ち返るべく「数学/科学を教えるのが数学/理科教育」といったことを叫んだのとはやはり逆コースというか(明治期から見ればそれぞれの教科史はもっと複雑だろうが割愛)、目的論の中にも複数の軸が絡み合っているのが分かる話。
2012-07-24 18:21:34U先生の北海道の離島の伝説(漁村)にも似たようなエピソードがあるよね。というか、「高校進学を希望しておらず、日常生活でも将来の職業展望にも『英語使用』にリアリティがない生徒たち」を「大学進学」に読み替えれば、今だってたくさんいるわけで…。 http://t.co/9xYYf4RI
2012-07-24 18:27:16僕の英語教育目的論に関するツイートはこのまとめの中盤あたりにいくつか。
あとはこの頃とは僕の考えも変わってきてはいますが一応参考までに。
今思うのはこんなところ。
僕はきっと、英語教育の目的論に関して納得いく合理的な理由が、英語の将来の必要性は学校教育段階ではわからないという機会平等論的なもの以外に見つからないと思ったし、英語教師って仕事あるし英語教えなきゃなんだしと思って考えるのやめちゃったんだろうなと今思ってます。
2012-07-24 19:36:46