- karitoshi2011
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1安全・安心論を検討する④村上陽一郎『安全と安心の科学』は「専門家はなぜ市民・住民の「安全・安心」の判断や考え方まで指導しようとするのか」http://t.co/PUE4fM7L の答を「白状」してる。「こうして見たとき、私たちは、自然災害や人工物のもたらす危険だけではなく」
2012-07-27 08:49:402安全・安心論を検討する④村上陽一郎『安全と安心の科学』p33「社会自体のなかに含まれている不安の原因をも背負い込んで生きているということになります」「そのことは、結局先ほど後回しにした問題、「安全」と「危険」、「安心」と「不安」という構図のなかにある区別や意味を少しはっきり
2012-07-27 08:50:023安全・安心論を検討する④村上陽一郎『安全と安心の科学』「させなければならないところへ、私たちを誘います。言い換えれば、危険が除かれ安全になったからと言って、必ずしも安心は得られない、ということにもなります。例えば、先ほど触れた「杞憂」という概念は、まさしくこの点を」
2012-07-27 08:50:164安全・安心論を検討する④村上陽一郎『安全と安心の科学』「衝いていますでしょう。誰も天が崩れ落ちるという「危険」に可能性をまともに考えません。それでも、問題の杞の人の「不安」を取り除くことはできないのでしょう」「日本の現場で、このことが最も顕著に表れているのが原子力の」
2012-07-27 08:50:345安全・安心論を検討する④村上陽一郎『安全と安心の科学』「原子力の世界ではないでしょうか。原子力発電の世界では、日本の現場のサイトで死者は一人も出していません」これはまいりました。JCO事故は発電所ではないとp34「つまり、原子力発電の現場は、他のさまざまな現場に」
2012-07-27 08:51:027安全・安心論を検討する④村上『安全と…』「比べても、客観的な安全性においては優れていることはあっても、決して「より危険な」ものではありません。しかし、人々が原子力発電に抱く漠然たる不安は、どうしても払拭されません。」村上の「安全・安心」論の前提には大きな誤りがあった。
2012-07-27 08:51:188安全・安心論を検討する④村上陽一郎『安全と安心の科学』村上は「安全を確保するために努める」べきことを否定しているわけではない。だが、それは科学と客観性の領域でそちらに委ねうるとの前提。確率論は想定できない領域に踏み込んでいること、従って客観性を超えていることを軽視(④了)
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