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L_O_Nihilum
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その味わいのようすで、様々な物語、アニメ、ゲーム、およびクラスタを味わってコメントしている。
2012-08-12 17:01:35![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイマスから話がずれるけど、ポッパー氏について、「アクアパッツァ」と「アルカナハート3」「ブレイブルー」のクラスタに対する感想の差異もそれを考えるヒントだろう。
2012-08-12 17:02:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
カード制となり、一定以上プレイしているプレイヤーでないと新しいキャラが使えないというシステムが取られるアクアに対して違和感を顕している。
2012-08-12 17:03:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
対して、一定の完成をへた「ブレイブルー」に対しては好印象だった。世界観が完成され、それがさらにラジオやメディアミックスを通して拡張されて楽しみが広がる。グッズの展開も世界観に基づき、またその世界観の内部からイメージを広げているものになる。このようなものに好感を持っていた。
2012-08-12 17:04:33![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
世界観があり、そこに要素がある。様々な風景がありキャラクターたちがいる。このような様子は内部フレームの形相であるが、人はここに享受というかたちでユーティリティを侵蝕させていく。そして己のコンテキストを生成し、自己のパッケージを形成しては、変化させ続けているのである。
2012-08-12 17:05:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
なんか物語口調で結論までファンファーレ利かせて話を結末づけちゃうのはウチの悪い癖なんやんけど。
2012-08-12 17:08:18![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そういうことそんな関係ないのね。これがアイマスに於いて、彼らアイマスクラスターから何が見えるか、と言う事なんですけれど。
2012-08-12 17:08:51![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
岡田斗司夫が言っていた御宅のニーチェ的熱血さって終わってもいなけりゃ幻想でもないってことです。時代が変わっても、その時代に変化した身体でもってしっかり享受しているっていうことです。
2012-08-12 17:09:31![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
商業はいくらでも大悪人面をしてくる。骨の髄まで提供者は毒されている。だから何だ。彼ら女の子たちはそんなこと知らんのだ。そして、そういうことと享受している俺らは関係ないのだ。
2012-08-12 17:10:13![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
だから、コンプガチャが現れようが追いかけているのである。今後享受者にとってとても手痛い消費の形式がひきつづき突きつけられるだろう、それでも、彼らはアイマスを追うのである。好きである限りは。
2012-08-12 17:11:06![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
提供者にはそこに責任を見出してもらわねばならない。提供者たるもの、その享受の熱というものを汚してはならない。提供の形式が、享受の形式と倫理にいかに影響するかについて思考する余地がなければならない。
2012-08-12 17:12:28![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
そして、創作者、享受者の提案に柔軟であるとともに、その柔軟さに基づいた欺瞞のない提供の形式に与らねばならないだろう。
2012-08-12 17:13:11![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
創作者の提案とはなにか?創作される作品、そのデザイン云々だ。これを展開する、というところに提供者のパッケージ外部フレームがかかわる。パッケージ外部フレームは創作者による内部フレームの咲定に規定される。その咲定を汚すことは許されない。
2012-08-12 17:14:45![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
パッケージが突き開けられ、内部の内外フレームが顔を出す。御宅達すなわち享受者はここを享受する。彼らのユーティリティはここに機能する。消費させているものとはパッケージ外部フレームのコンテクストすなわち観念であり、そこはオタク達はほとんど気にしていないのである。
2012-08-12 17:16:26![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
いな、その観念自体を非-観念化しようとしてはいないだろうか?例えばそのキーワード自体を「ネタ」化できる。つまり、自分たちの咲定の素材にするのに、パッケージの有無は関係がないのである。あるならあるでそれごとネタにできる。
2012-08-12 17:17:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「インターネットミーム」はこれを介して起きる。エルシャダイの奇抜なキャラデザインが、非常に「ウケ」た。そのウケねらいとはほとんど外部に晒された観念であるが、それ自体が「ネタ」化され、そのネタが御宅内部でこねられて変容している。
2012-08-12 17:18:20![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
享受者のユーティリティは時間レヴェルを超えて、永遠の現在にて享受し吸収する。故に、その個々人ひとりひとりの「好き」に、過去も未来も、時代遅れも流行もない。享受の領域においては、総てのキャラクター、世界が愛されている。
2012-08-12 17:19:19![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
今回のまとめ本は明日からメロンブックスさんで委託始まりますので、逃した!というかたは是非
2012-08-12 17:21:59![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
雨の如く、波の如く。一つとして、重なり合う事のない、同じになることのない、しかし同じく等しく「個」でありつづける彼ら、一粒一粒の雨、一粒一粒の波、一粒一粒の火の粉。一瞬一瞬の雷鳴の響き、砂の一粒たち、光たち、闇たち。
2012-08-12 17:23:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
幾多もの<波>の、ただ一つの声(ドゥルーズ)。それとは享受の声に現れている。さあ、その声をたんまりと聴くべし。
2012-08-12 17:24:23![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
おれらはスイミー。おれらはスイミー。弱い魚だから、一緒なら空を飛べる。http://t.co/z5kE1SWT
2012-08-12 17:25:34