「数学の学習は論理的思考を鍛えるのに役立つ」の意味と根拠を問う

人文系研究者@Cristoforouさんの疑問
44
伊藤憲二 kenjiito.bsky.social 科学史 『励起ー仁科芳雄と日本の現代物理学』 @kenjiitojp

数学の問題なら教授会で話を半分聞きながらやれそうな気がする。読書は、両方並行してやるのは難しいかもしれない。

2012-08-21 21:46:48
第五列 @mafi__mushkila

RT鍵 数学を学校でやるかどうかは学校の目的による。本来的な意味で公教育は、学者(と官僚と専門職)を選抜・養成するためにある(あった?)んだから、ほぼすべての「科学」分野で数学的手法が必須な以上、高度な数学を教えるべきという主張は正しい。サラリーマンの役に立つかどうかは全く別の話

2012-08-21 21:50:21
saebou @Cristoforou

ってことは、(チャットでにくさんとも少し話したが)「論理の訓練として等しく全国民に数学教育を」っていう主張はそもそもニセの主張だってことなんですかね。ってことは自然科学をしないと選択した人に数学教育を継続するのは教えるほうにも教えられるほうにもあまりよくないのではないか。

2012-08-21 21:52:36
伊藤憲二 kenjiito.bsky.social 科学史 『励起ー仁科芳雄と日本の現代物理学』 @kenjiitojp

数学で教えることができるのは、論理的思考よりもむしろ量的思考、シンボル操作、統計的思考等々で、論理的思考はむしろ言語(国語)を通して教えるべきだと思うのだけれど、なぜ、数学が論理と結び付けられがちなのだろう。

2012-08-21 22:28:04
曽布川拓也 @sobukawa

国語科、英語科がやらないからです。 RT @kenjiitojp: 数学で教えることができるのは、論理的思考よりもむしろ量的思考、シンボル操作、統計的思考等々で、論理的思考はむしろ言語(国語)を通して教えるべきだと思うのだけれど、なぜ、数学が論理と結び付けられがちなのだろう。

2012-08-21 23:09:16
ふりゅる🎀おはミコ🦋✨ @pocochangl

数学を学ぶことで得られるもののひとつに、物事を論理的に考える力があります。私は数学が苦手でその勉強から逃げてきました。もともと論理的に考えること、発言することも苦手です。論理的思考力が足りないから数学が苦手で、更に数学を勉強しなかったから論理的思考力がつかなかったのかな…

2012-08-21 05:09:56
しょうたくん@読書 @shota0719aaxx

数学が苦手なのは論理的思考欠落と“当然の前提知識不足”だと思う。後者を具体的な例に置き換えると、言葉が認識できないと文章は読めない道理。よって本人の分からない次元まで立ち返り、認識する事が肝要ではないだろうか。どれ程頭良くても知識の欠如は克服できない。だから基礎学力はとても大切。

2012-08-21 21:14:03
しょうたくん@読書 @shota0719aaxx

思考力の基盤は国語力。国語こそ最重要視されるべき科目。

2012-08-21 21:15:02
しょうたくん@読書 @shota0719aaxx

知識は認識の結実。よって形には意味を伴わせる必要がある。丸暗記すると、それがない。事後的に意味を伴わせるのなら合理的だとはいえるけど、殆どそれが出来てない。だから難関資格取得したり一流大学卒業しても頭の悪い奴等は実在する。

2012-08-21 21:17:58
しょうたくん@読書 @shota0719aaxx

収益は実現主義により認識する、という定義を暗記したとする(形式段階)。然しその中身つまり(実質段階)に到達しない場合、試験以外では使い物にならない。これが形に意味を伴わせる含意。そしてその合致を認識と呼称し、そうであるからこそ建設的な思考が図れる。

2012-08-21 21:25:08
+えふわら @efuwara

数学と論理的思考力についての議論がされているけど、数学の本質はアンリ・ポアンカレの「詩とは、一つのものに異なった名前を与える技術であり、数学とは、多くの異なったものに同じ名前を与える技術である」という言葉に尽きると思う。

2012-08-21 21:19:33
+えふわら @efuwara

数学の本質は抽象化であって、抽象的なものを扱うが故に、ロジックを積み上げないと議論ができない。

2012-08-21 21:21:20
+えふわら @efuwara

数学を学んで得られる能力の第一は、一見異なる物事の間に類似の関係性を見出すことにあって、論理的思考力はそれに付随するものではないか。

2012-08-21 21:24:24
+えふわら @efuwara

異なる物事の間に類似の関係性を発見して、その関係性を軸に物事を整理し直す、というのは学問の世界ではよくあることだが、数学、とくに代数はそのテクニックを与えるのものだ。

2012-08-21 21:28:39
+えふわら @efuwara

数学を学んでいると、美しいと思うことがしばしばある。それは、異なる物事の間に意外な関係性を発見し、その関係性から整理し直したら、格段に見通しがよくなったときだ。

2012-08-21 21:34:24
うざ@ヮ<)ノ @uzw1978

ポワンカレ! RT @efuwara 数学を学んでいると、美しいと思うことがしばしばある。それは、異なる物事の間に意外な関係性を発見し、その関係性から整理し直したら、格段に見通しがよくなったときだ。

2012-08-21 21:37:11
Toshi Yamakawa @yamac_1ab

先生、ワタクシも数学を学び直しとうございまするm__m RT @efuwara: 数学を学んでいると、美しいと思うことがしばしばある。それは、異なる物事の間に意外な関係性を発見し、その関係性から整理し直したら、格段に見通しがよくなったときだ。

2012-08-21 21:44:43
+えふわら @efuwara

数学を学んでいると、しばしば出会うのが数学的実在論。つまり数学は人間が作ったものでなく、イデアとしての数学が存在し我々はそれに近づくものだという立場で、形而上学なんだが、これをピュアに信じている数学者がどれぐらいいるのか以前から気になっている。

2012-08-21 21:52:09
+えふわら @efuwara

ほとんどの人にとって統計学なんて完全に道具なのだが、統計ってデータの確率分布というイデアを仮定していて、実務上ではそれを知ることはたいへん難しい、という立場なんだよね。道具な数学がイデア的な考えを背景に持っているというのは、面白い。

2012-08-21 21:56:43
小田敏弘 @kurotake05

友人のTL界隈で、数学と論理的思考の関係について思ってることをいろいろ書いてみようかな、と思います。整理されてないかもしれないですが、まあそれはおもうままに呟くのがツイッターってことで。

2012-08-21 22:53:24
小田敏弘 @kurotake05

まずはそもそも「論理的」と言ったときに、ざっくりと2つの意味があるのが議論を難しくしてる原因の一つだと思います。ひとつは「物語的論理」ともう一つは「数学的論理」と。

2012-08-21 22:54:37
小田敏弘 @kurotake05

「物語的論理」というのは、因果関係によって前後が結ばれるのですが、この場合の「論理的」というのは「説得力のある」という意味であり、「絶対的に正しい」というわけではないところがミソです。10人に聞いて8人くらいが納得すれば「論理的」となのが「物語的論理」つまり日常での「論理」です。

2012-08-21 22:56:19
小田敏弘 @kurotake05

それに対して「数学的論理」は「同値変形」です。「全く同じ事を、表現を変えて言う」のが数学で言う「論理」です。なので、情報量は増えませんw むしろ、情報量が増えると、それは「数学の論理」としては「間違い」です。

2012-08-21 22:58:00
小田敏弘 @kurotake05

そういう意味では、数学的な「論理」は日常生活では逆に役に立たない、ということもできます。

2012-08-21 22:58:32
小田敏弘 @kurotake05

更に言うと、「数学的な論理」は「正しさ」を保証するために、手続き、つまりルールを重視するので、「論理」の運用は煩雑で時間もかかり、とても面倒です。しかし実際はそんなにのんびり考えている時間はありません。その意味でも「数学的な論理」がそのまま日常生活に役立つわけではありません。

2012-08-21 23:03:38