三浦つとむさんの誤謬論

自分のために三浦さんの誤謬論をまとめておこうと思う。
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木下秀明 @khideaki

誤謬論26:現実はあらゆるものが繋がりあっている。これを切り離しても真理に影響を与えないためには条件が必要だ。規則を守る事が正しいか否かはそれが現実の行為と結びついている具体性を考察して決めなければならない。結びつきによっては規則を破る事が正しくなる。守ればいいというものではない

2012-08-22 23:04:29
木下秀明 @khideaki

誤謬論26:懐疑のところで論じられた「実践」は真理の基準としても三浦さんが論じていた。懐疑は実践によって確かめられなければならない、というのは、真理は論理の段階で決定せず、現実との接点である実践によってのみ検証できると言うことだろうと思う。これは真理は実験によってのみ決定する…

2012-08-24 14:09:46
木下秀明 @khideaki

誤謬論27:…決定するという仮説実験授業の考え方に通じる。仮説というのは論理の段階であり、文章として表現された理論だ。その文章は暗記しただけでは真理をつかんだことにならない。実践という現実での検証を経ることで真理の資格を獲得する。実践のない言葉だけの認識は誤謬に通じる。

2012-08-24 14:11:44
木下秀明 @khideaki

誤謬論28:論理的な正しさと現実世界における真理との違い・区別を理解するのは重要だ。論理的に正しい結論が、現実世界の真理を表していない場合があるというのを理解しなければならない。論理的な正しさは、ある前提から導かれる結論が、その導き方に間違いがないというだけのことだ。

2012-08-24 14:14:32
木下秀明 @khideaki

誤謬論29:論理的な正しさの中には前提の正しさは含まれていない。前提は恣意的に選ばれているかもしれない。論理的に正しい言説は、その前提が正しいものであれば結論も正しくなる。だが前提の正しさが分からないときは、結論の正しさも分からない。結論だけを取り上げるのは論理的には無意味なのだ

2012-08-24 14:16:01
木下秀明 @khideaki

誤謬論30:野田政権の増税の論理は、社会保障費が年々増加していきその増加分を補うために消費税の増税が必要だという論理だった。単純化すれば、歳出が増える分だけ歳入を増やさなければならないという論理だ。これは単純化された一般論の範囲では正しいもののように見える。だが隠された前提がある

2012-08-24 14:19:05
木下秀明 @khideaki

誤謬論31:足りないからそれを補うと言うとき、解決する方法は単に増税だけではない。節約する方法もあるし、高橋洋一さんが指摘するように資産の売却もある。ムダな支出を削るのも一つの方法だ。また補う資源が消費税だけではない。これらの複雑な前提を単純化して野田政権は消費税だけしか考えない

2012-08-24 14:24:55
木下秀明 @khideaki

誤謬論32:前提を無視している論理も、論理の世界だけではなかなか気づかない場合がある。それが完結していて論理的には正当であると何となく正しいように感じてしまう。これに気づくにはやはり実践が重要になるだろう。実践をすれば、論理に穴があるときはその影響が直ちに出てくるからだ。

2012-08-24 14:27:59
木下秀明 @khideaki

誤謬論33:消費税増税に関してはその実践は悩ましい感じがする。多くの人は実践すればひどい結果になることを警告しているものの肝心の国会議員がそれを無視している。実際にひどいことが起こらなければ実践を想像できない人がたくさんいるようだ。このひどさを想像の世界で理解できるようになりたい

2012-08-24 14:30:49
木下秀明 @khideaki

誤謬論34:弁償法的思考が出来ないための誤謬というのもある。三浦さんが引用しているレーニンの言葉はそれを教えてくれる。「素朴な、全く無経験な人々は、妥協一般の許容性を認めれば、充分だと考えている。--それでは、我々が容赦のない闘争を行っており、かつ行わなければならない日和見主義…

2012-08-24 14:53:28
木下秀明 @khideaki

誤謬論35:「(続き)…日和見主義と、革命的マルクス主義あるいは共産主義との間のあらゆる境界が抹殺されるであろう。しかし、このような人々に対しては、仮に彼らが自然界においても、社会においても、すべての境界は可動的であり、ある程度まで条件付きであることを知らないとすれば、…(続く)

2012-08-24 14:55:51
木下秀明 @khideaki

誤謬論36:「(続き)…政治上の並びに日常の経験を長い間勉強させ、教育史、啓蒙する以外に救いの手はないのである。」これは「妥協」を巡る議論の中で引用されているのdが、妥協することはあるときは正しく、あるときは間違っている。同じ事が正反対の評価を受けるのはやはり難しい。

2012-08-24 14:57:38
木下秀明 @khideaki

誤謬論37:これは「妥協」という出来事が、様々な複雑な前提の下に判断されるので、その前提の違いによって評価が分かれるのである。前提の違いによって全く正反対の判断もあり得るというのが現実の持つ弁証法性だ。この弁証法性を理解せずに、常に同じ対応をすれば思考停止の誤謬に陥る。

2012-08-24 15:00:02
木下秀明 @khideaki

誤謬論38:弁証法性の理解の難しさは常に変化をしていれば正しいとも限らないところにある。「羮に懲りて膾を吹く」と言うこともたくさんある。問題は対象の正しいrかいと、そのときの条件でどのような対応をすることが合理的かと言うことを、実践的に理解を深めて行かなければならないと言うことだ

2012-08-24 15:02:19
木下秀明 @khideaki

誤謬論39:三浦さんは、観念論は間違っていて唯物論が正しいという前提で論理を展開している。観念論の間違いというのはなかなか難しい面を持っている。それは単純に言えば、妄想(想像)を出発点とするか、事実を出発点とするかという違いを示している。観念論は妄想から出発し、唯物論は事実からだ

2012-08-27 21:14:54
木下秀明 @khideaki

誤謬論40:妄想から出発するというその定義から、すでに観念論は間違っているといっているようなものだ。だが実際には、自分の論理展開が妄想から出発しているのか、事実から出発しているのかを評価するのは難しい。何が事実であるかというのは哲学的にも実践的にも判断が難しいと思われる。

2012-08-27 21:16:37
木下秀明 @khideaki

誤謬論41:観念論の間違いを一般論で語るのは易しいが、具体的にその論理展開が観念論であると指摘するのは難しい。その論理の出発点となる前提が妄想であるという指摘が正しくできなければなrないからだ。精神主義というのは観念論の一種だが、これが正しく思える体験があるので認識が難しい。

2012-08-27 21:23:02
木下秀明 @khideaki

誤謬論42:人間は心の持ち方で、それまでできなかったことができたりすることがある。意志の力というのは強い影響がある。だから精神主義も正しいと思いたくなるが、精神主義の妄想は、「すべては心の持ち方で成功する」という出発点にある。成功体験がある人はこの妄想に気づくのが難しい。

2012-08-27 21:24:52
木下秀明 @khideaki

誤謬論43:唯物論的に考えれば、心の持ち方も一つの要素ではあるが、もっと大きなものは客観的な条件が成功を決めるという判断になる。これが正しいことは、心の持ち方だけでは成功しないことがたくさんあるという経験から得られる。大事なのは客観的な物理的条件の方なのである。

2012-08-27 21:26:57
木下秀明 @khideaki

誤謬論44:事実を記述したものには妄想は生まれにくい。妄想が生まれるのは、その事実が結びつくものが一つになってしまい、ほかの可能性が見えなくなったときだ。野田政権は消費税の増税を決めた。増税という事実だけならそこには妄想はない。だが増税をしたら税収が増えると考えるのは妄想になる。

2012-08-27 21:31:36
木下秀明 @khideaki

誤謬論45:実際には増税をしても税収が伸びるとは限らない。課税率は上がっても、収入園もが減ってしまうと、かけ算の結果はマイナスになることもある。この可能性を見ないようにして、増税をすれば税収が伸びるということしか見えなければそれは妄想になるだろう。観念論的な誤謬ではないか。

2012-08-27 21:33:31
木下秀明 @khideaki

誤謬論46:唯物論的に事実から出発するなら、出発点は増税をするという事実だけだ。その事実からあらゆる可能性を考察する。宮台真司さんが語るフィージビリティスタディだ考えられる可能性を恣意的に選んで他を捨てるときに観念論的妄想が生まれる。可能性の考察ならばすべてを考えなければならない

2012-08-27 21:36:36
木下秀明 @khideaki

誤謬47:観念論的妄想が現れるのは、事実だけではないことを前提にしているように見えるときだ。それを単に一つの可能性として語っているのか。それとも唯一の前提として論理展開をしているのか。唯一の前提なら、他の前提を排除するということの正しさを合理的に説明しなければならない。

2012-08-27 21:39:48
木下秀明 @khideaki

誤謬48:大飯再稼働の時には、再稼働しなければ電力が足りなくなる、ということを前提にして議論が進められた。これは事実ではなく、未来への予想に過ぎない。つまりいくつかある可能性の中の一つに過ぎない。それなのにこれを前提にして再稼働が必要だと結論した。これは観念論的誤謬ではないか。

2012-08-27 21:42:48
木下秀明 @khideaki

誤謬論49:原発については出発点となる事実が何かというのをもう一度確かめて議論すべきだろう。単に推論(仮言命題)に過ぎないことが出発点としての前提に選ばれているように感じる。仮言命題は論理の出発点ではなく過程の方だ。他の仮言命題がないかを深く考えなければならない。

2012-08-27 21:45:51