心は物語のハードとなり得るか
- hikidashi4
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@Neko_Inu_ 返信してから「あ、適当だ」と気付きました^^; ソフトウェア=目に見えない、ハードウェアを動かすもの、と考えると心=ソフトですが、これではSFが足りないですね。
2012-08-23 00:28:23@starsongbird 適当は良くないですw しかしこの問題で伊藤計劃より深い位置に到達するのはかなり大変かもしれませんね。
2012-08-23 00:30:43はー。考えてみたけど、自分でもわからない。とりあえず、響きさんにならって、話を「心は物語におけるハードとなりうるか」で推してみよう。
2012-08-23 00:31:00@hikidashi4 とりあえず伊藤計劃読んだらいいと思います。「虐殺器官」「ハーモニー」の順で。ハーモニーは抽斗さん気に入りそうな予感。
2012-08-23 00:34:36むしろ心も含めた「体」ってものをハードと認めれば差し支えない気がする。最初は皆同じハードを持ってるけれど、インストールするソフトに依って個性という名の差別化ができるようになる……的な。
2012-08-23 00:43:04まぁしかしハードとソフトの問題に心を持ち出すというのはデカルト的物心二元論の呪縛にしばられているという事かもしれない。もっと先の考えにたどり着くべきかもしれない。
2012-08-23 00:44:34うん。ひとまず、現時点での私の暫定的解釈。私は心を、物語を乗せる、あるいは再生させる「ハード」だと思っている。そしてそれは、それぞれ受け取り手(読者)も持っている。なので、ハードというよりは、各々が持つ共通感覚や共通認識のことを、私がハードと言っているだけかもしれない。
2012-08-23 00:44:43それでも、ハード、という言葉の持つ印象がやけに気になる。何故、ハードなのか。ハードが比喩ならば、具体的にはどのようなものをさしてハードと言うのか、そのイメージがつかめずに居る。
2012-08-23 00:49:52つまり、私の言うハードというのは、「共通言語」に近いかもしんない。同じものを共有しているという認識、自分がこう思うなら、たぶん他の人も似たようなことを思ってくれるという前提。叩かれれば痛いし、悲しければ泣く、という認識。
2012-08-23 00:52:40そもそも体がハードと言いつつ、ハードってなんだ。ハードって基板だ。ゲームで言えばゲーム機だ。ソフトを入れれば(故障が無ければ)例外なくゲームできる。
2012-08-23 00:53:46これを私は、物語における「ハード」だと呼びたいのだと思う。ハードという言葉は、ふさわしくない、意味が合わない、かもしれないけど。
2012-08-23 00:54:57ハードはソフトを入れることで機能する。だから体=ハードに心=ソフトが入っていることで動く……ってことか。じゃあ心=ハードならどうなる?
2012-08-23 00:56:37