.@jyonaha @kankimura 現下の「慰安婦」問題では、いったい誰が誰をどのようにゆるせば解決しうるのか、そもそもそうした「ゆるし」にいたるデザインや「和解」のかたちはどこに、どんなふうに存在するのですか。 (注 「誰」は複数形で考えてくださってもいいです。) 続
2012-08-27 12:34:41本来「和解」とは、「法的和解」という意味であるべきであって、「法的和解」とは、それにより一方から他方に対する請求権を消滅させ、更には法的なクレームをつけることができないようにすること。が、「和解」に過剰な意味が持たされた結果、訳のわからない事になっている、と認識しています。
2012-08-27 12:40:42この点は、日本近現代史研究者、特に戦争責任論系の論者とは共有できていないし、できる可能性は低いと思う。なぜなら、この問題における「法的解決」なるものの歴史が、植民地責任の欠如、日本側の免責の手段として使われてきた経緯があり、「歴史的に批判的検討が必要な対象」と見なされるからだ。
2012-08-27 13:39:10つまり、ある時点での「法的解決」が、結果としてあるカテゴリーの「黙殺」や「免責」につながる可能性があるし、その歴史的検証や、場合によっては法的な「蒸し返し」が不可避である、という立場。実際、慰安婦問題は日韓基本条約という「法的解決」によって黙殺されてきた存在なわけで。
2012-08-27 13:41:55.@jyonaha @kankimura 日韓・日中とも「別離」という選択を国家がとるわけにはいきません。「物語」の修正も困難。個人プレーも難しい。でも「一緒に」やっていくしかない。とすれば、[歴史]和解の[中間的]ゴールの姿をまず相互にデザインして共有したほうがいいです。続
2012-08-27 12:46:20.@jyonaha @kankimura 誰がそのデザインをするのか。誰でもいいんです、相互性があれば。同時に、異様に二国間が加熱したときでもちゃんと抑制のきく「ブレーキ」を民間に装着しておいて、「応援団」に冷たい水をかけてあげる。そうしておいて、あとは、和解は政治ですから、続
2012-08-27 12:53:15.@jyonaha @kankimura それに関わる全ての集団の利害関係のなかでおこなっていくものにならざるをえないでしょう。(注1 追い風になるような「国際環境」が存在すれば比較的スムースに進むかもしれません。)(注2 日韓・日中が異なることは大前提としてのお話です。)
2012-08-27 13:00:58和解は苦い杯を干すような行為。励ましや見返りがないと、相互に、なかなか口にしたくないもの、個人のレベルでも、国家のレベルでも。和解は学習によってしかその意義を認識できないのも、難しいところ。でも、もし、問題が「物語」だというのなら、その「物語」の綻びをみつけることから始めるとか。
2012-08-27 13:08:19@trinh_JP 恐縮です。私のツイは小菅さんたちの議論と直接リンクできる質のものではないと思いますが、戦争史や戦争責任論の周辺にいる者の印象として読んでいただければと思います。 @nobuko_kosuge @jyonaha @kankimura
2012-08-27 13:10:36どんなに強固な「物語」でも、人間の織りあげた「物語」には綻びがある。その綻びは、一方で実証的な「歴史」研究でも見つけられうるだろうけれど、「記憶」をあらたに紡ぎなおすことで発見できるかもしれない。その意味では、これまでとは違ったタイプの「交流」のありかたを実践してみるといいかも。
2012-08-27 13:13:49なんだか非常にもごもごしたツイートになってしまいました。すみません。具体的な提案は、いちおうこれまでもする機会は若干あって、それなりにしてきたつもりではあるんですけれど、なかなか採用してもらえないんですよねorz
2012-08-27 13:21:22ただ、これだけはつぶやいておこう。和解でも、平和でも、平安でも、それをたいせつに築いていこうと思ったら、「××はダメ、できない」ではなくて、「○○はできる、していいよ」という発想がないと、きびしいかもです。
2012-08-27 13:26:27「ゆるします、でも忘れません」という、今日的な平和構築観や和解のありかたは、そもそも大きな矛盾を抱えていますよね。でも、二度にわたる悲惨な大戦を経験した世界は、「過去は水に流しましょう」「ゆるして忘れてあげる」的な平和構築観や関係修復方法を、もはや維持できなくなったんです。
2012-08-27 13:34:19個人的には、民衆レベルでの和解の深化→政治的な「和解」への圧力となり、政府レベルの「和解」が進展、という流れに魅力を感じるけど、日本の現状ではいくつもの「死の跳躍」が必要だろうし、あくまで「『今』を乗り切るための対症療法」でしかない、という視点を失うことは避けたい。
2012-08-27 13:58:25国内的には「『和解』とは、『法的和解』という意味」だとしても、国際的にはそうではないんです。いえ、これは、私自身、国際人道法の藤田久一氏に教えていただき、はじめて理解したことなのですが。和解という概念は世界人権宣言にないので[さしあたり][国際]政治上の問題になると。
2012-08-27 15:38:23また、この脈絡でいう請求権は条約で謳われているものであれば、条約じたいが国際法になるわけですよね。いずれにせよ、たとえば、「和解」という言葉が(すくなくとも今のような脈絡で)国連で使われるようになるのは、私が知る限り、1990年代も後半に入ってからだと思います。
2012-08-27 15:43:05もちろん問題はたくさんあって、私が今日ツイートしたような「和解」それ自体、日本では一般的ではないし。韓国にそれに相当する語や概念があるか、中国ではどうか…といった問題は、山脇先生をはじめとする公共哲学分野などの研究者たちがずっと、国際的に論じています。
2012-08-27 15:48:02サンフランシスコ平和条約にさいしての吉田茂の演説も、同条約を「和解と信頼」のうえに立つ条約と評価。しかし、いまふりかえってみれば、吉田のいう「和解」は時代や環境に翻弄されうるものだった。つまり、「平和」と同じで、常におこたりなく強化していかなければならないものだということ。
2012-08-27 15:52:46韓国語の「和解」のニュアンスは面白そうですね。時代による変遷もありそうです。QT @nobuko_kosuge: もちろん問題はたくさんあって、私が今日ツイートしたような「和解」それ自体、日本では一般的ではないし。韓国にそれに相当する語や概念があるか、中国ではどうか…といった問題
2012-08-27 16:11:10@kankimura おお! では、さっそく、山脇先生に、神戸大学の木村幹先生がそうおっしゃっていた、ぜひ共同研究にお招きしてさしあげてください、と伝えますね♡♡♡
2012-08-27 16:32:32もうひとつ、感情問題としての歴史[認識]問題群と、主権国家の義務としての領土[保全]問題は、質がまったく違うという趣旨(=私が理解した範囲です)のリプをいただきました。
2012-08-27 16:44:01【訂正】いま@ つながりがビジーで、いただいたそのリプを見つけられなくなってしまったのですが、たしかに、過去に起きた特定の出来事を当時の多数派価値観でみるアプローチと、過去に起きた特定の出来事を今日の価値観からみるアプローチとでは、特定の歴史問題のとらえ方は違ってくると思います。
2012-08-27 16:47:14