【シューニャリアーナ】語りと疎外と差異と同一と本質と、そして<誰かである事>【はるかかなたへ】
- L_O_Nihilum
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創作はカタチになる。つまり作品とか物語とか言われる者になるわけですね(これをフレームとか言ったりします)
てことはだれかに見られたりするわけですよね。つまり買った人がそれを知る、等の事です。
実際にキャラに出会っていなくても、フィーナという「キャラに出会った」といういい方しますよね。
これは多分フィーナじゃなくてもそうで、アカシヤさんまでもみのもんたでもそうだと思う。
テレビで出会う。ラジオで声を聴く。雑誌や著作を読んでソクラテスに出会う、とか。
そうして、出会った人が、その出会った<その人>から思いを巡らす内容。
そこから見えて来る、その人の哲学のすがた。
「誰々」について考えて見たときに出てくる、誰々の哲学。独自の思想。
ざっくばらんに言えば、これは要するに
「フィーナという思想」とかそういうのを考えることが出来る、という事です。
そして、各人、ことに私においての、連関し、繋がり、及んだ多くの、<けよりな>外の人物たちへの、彼女の影響の波及。また、公――――すなわち私の外における、<けよりな>および<フィーナ>の波及。
2012-09-18 01:05:28そして、そのキャラクターを受け取った人は、受け取った時に、思い出すキャラクターがいますよね。
「この人誰々っぽいな」っていうあれです。
するとそういう思いをなしてきた人のなかで、その関係も無いハズの二人がある種の意味や絡みを以て描かれたりしますよね。
人じゃなくてもあらゆるものにそれがあるはず。
ニーチェはパンクだ、とか。ドゥルーズガタリはロックだとか。
マルクスがラヴクラフトで、エンゲルスがダーレスとか。
あることがらについて思考をしていくと、そのなかであらゆるものが結びついていく。なんの関係のない者同士で。妙なつながりを発見しながら。
例えば僕なんかだと、フィーナをみて思い出したのはセイバー、ソニック、初音ミク、アルクェイドあたりがふわっと出てきた。
似て通るキャラクター、別の<誰か>との差異としての<フィーナ>の享受論、また逆に、<フィーナ>に対する、<X>。全く別の、関係ない作品《X》の、<フィーナ>に対する<X>の享受論。
2012-09-18 01:07:02そうした繋がりを作っていくと、その人の受け取り方の空間の中でしか描けない物、がどんどん出てくる。
「藤原妹紅と空海」とか。
「藤原妹紅と蓬莱人形(CD)」とか。
「ソニックとフィーナ」とか。
「アルクVSフィーナ」とかとか。
なにこれ、何の役に立つのこの哲学?っていう哲学が、思わぬところで役に立つ。
そうした影響を与える人としての、<フィーナ>を描く。
逆に、フィーナが出会った人に思い浮かべさせる、というわけで、その思い浮かべられる側のキャラクターを、フィーナとの連関で描く、とかとか。
そして描かれていく、個々の人々のユーティリティと欲望。欲望の構造(※性的などといわれるアレは欲求。欲望とは、他者の欲求を欲求すること。それゆえ渇望を含み、生産性があり、終焉が無い)。これの明確化。そこからみえる、個々のユーティリティ空間の幻想的素描、描写。
2012-09-18 01:08:45沢山の「フィーナ」への語り、が紡ぎだし、不思議と近づけていく彼女の真の姿(らしきもの)。
人は何故フィーナを見つけたのか、描いたのか、そしてそれを受け取ったのか?という、享受論のデッサン。
つまりつまって、要するに、
「フィーナとはだれか」というフィーナ論。
フィーナ哲学だ。
そしてそこから描かれる、(フィーナからくるフィーナ無しにも思考されるような、)哲学的ななにか。テーマ。テーゼ。
じゃあかくて<フィーナ>哲学を描いたことで、それが世界の全てなんだという飛躍は可能か?
それは土台無理な話。
私は、<フィーナ>について何事かを語る。
でも、他人もそれとまったく同じようにして<桜井翔>を語るわけだ。
<>の中身はつまるところそれについて考えるようにすれば誰であってもよく、可能な思考なわけだ。
でも怖いのは、「それがすべてだ」という風になるかどうか、の勝負。なってはならないですよね。
そうじゃない人、キャラクターはたくさんいる。
そして何より、そうして描かれていくなにらかの言葉から生まれる、新たなポリティクスの生成というリスク、運命。痕跡と云う名の運命。消し去ることを恐れ、それを防いだようにしようとする人々の別の欲望(消費社会における)。そこで発生する、語りの持つ「疎外」。その疎外の発見と検証。
2012-09-18 01:10:14<フィーナ>を語ることによる<フィーナ>を享受したもののユーティリティの哲学的発動、この発動が起こす語り、明文化されたエクリチュールの、気づかぬ間に興してしまう疎外と、これまた、私、享受者、および<フィーナ>との連関や在り方についての語り。
2012-09-18 01:11:20この物語が、見落とした、捨て去ったもの、脱臼させたものは何か?
という疑り。(さっきゲームのシステム論でHシーンを相当毒づいていましたが、それもまさにこうした問いかけから発した考え方です)
そして、この描写で納得しない人がいる。だからそれ以外の描写があるわけで。
その描写だって、その描写としての語りを持っている。なのに、それは<フィーナ>と違うから、などと否定はできない。
パロディやループをネタとして流通させ繰り返す、そうした退屈からも抜け出せる可能性の、創作における提案の、享受者から創作者への、示唆。これも可能、これも可能のハズだ、消費社会によって出来てしまった容態の、需要(かつ受容)と、その抵抗(かつ定航)。
2012-09-18 01:12:51その脱臼に甘んじたまま見てしまう事で、結局<フィーナ>であれ<桜井翔>であれ、消費論の悪夢に回収され、勘違いのまま振り回される。
それに対する、語りと云う名の永遠の抵抗。
マミさんがマミって、って、このマミるという語は一種印象からくるインターネットミームの産物。でもそのミームはマミさんを意味しないし、指さない。
ネタをネタとして楽しむこともいいことだ。だが、そのネタばかりが流通し見落とされるモノは無いだろうか?
同じように、その見落とす側ばかりを見ていて、逆にネタの可能性を見落としたりしないだろうか?
…同じような問いかけが、けよりなならば『キャベツ』などに可能だ。
一人について語るだけでこうも壮大になってしまう。否、語りとはそういうもの、例えば、ソクラテス(プラトンの描いた)が、エロスを雄大に語り、ほめたたえたように。同じことを行う事は、間違いなく有意義だ、だが、そして疎外が生まれ、疎外が誤解を生み、誤解が誤配され、…。
2012-09-18 01:13:47古代ギリシャの哲学者プラトンは、ソクラテスの弟子。
ソクラテスが裁判で罪を着せられ、死んでしまった後も彼のことが頭から離れなかったプラトンは、ソクラテスを二次創作する。
・・・所謂同人誌をいっぱい書くようになるわけだ(笑)
その同人誌のなかに、「饗宴」という本がある。
内容は哲学的だけど、テーマが哲学のようになってるだけで、要は詩、物語。
エロースという神様をほめたたえる話だ。
エロースという存在について語りまくることで、その語りからいつのまにか哲学が始まる。
…同じことを、なぜ今まで様々なことがらに行っていかなかったんだろう。そして、私はやはりそれで、フィーナやソニック、初音ミクへのエロース的語りを求めちゃうのである。
そしてかの<フィーナ>の語りは、(それはプラトンという哲学者の思想が現代に向っていくにつれ薄れていくのとあたかも同じように)また、ネタ、消費論、疎外の空間へと粉のように消え去っていく――――そう、これを確か、差延、と言った、散種、儚い消滅というふうに言った―――――
2012-09-18 01:14:51けれど語ったことが伝わるかどうかなんてブームと読む人の質の問題じゃないですか。
勘違いしよう、と心に決めればいくらでもイメージだけでラベリングして、誤解させて流通させられるから(それを東浩菌は誤配って言ってたよね)
…じゃあ意味ないじゃないか、分かってもらえる話題だけに絞らないと?・・・それこそ、僕としては甘い、と思う。
そこまで、何もかも解体されて消え去っていく中で、尚且つ<フィーナ>について語るという事、・・・。私に<フィーナ>が解るのか? 否、もっと言おう。私にフィーナが解るのか?!
2012-09-18 01:15:53デリダは「私が分かるかな?」と言った。同じように、彼らもまた、(キャラクターというかりそめのゴーストであるがゆえに)暗に伝えてくる、『私たちが解るかな?』と。一人一人の、個の哲学の発動と、その消滅の繰り返し。そのなかでの、セフィリアやパチャカマのような気合の場所は――――
2012-09-18 01:17:20そういえばJ.クリステヴァは気合の入った女だった。ポリロゴスだのルセミオティックだの。コーラだの。おぞましくもあるぶちこわしを母なるものと言ってみたり。セフィリア・アーシュライト女王に近しい存在が、現代思想でこんなところに(いやハイデガーかあの人は?)。
2012-09-18 01:18:33ごめんね、めっちゃわかりにくいね、ほんとごめんね、シーンを視ちゃったからね、そっから思ったことを書きだしただけなのよ、興味があるなら、逐一訊いてくれてOKよ、あとこれは「けよりな」のまとめとは別シリーズにするから安心してね
2012-09-18 01:20:00フィーナ姫と言うキャラクターの紹介、という語りは今やるのはやめておこう 今すぐにでも語りたい気持ちではあるけれど、ゲームをクリアしてもいない人がフィーナを知っているというのは何故だか、凄く気が引ける
2012-09-18 01:35:50とりあえず突っかかるのが、この作品のテーマの決定だよなあと。おそらくこれじゃねえかなとか。「責任」。
2012-09-18 01:36:19他人の物語を語ってあれこれラベリングするのは気が引ける だから、ラベリングから逃れようとしている様子を描いた方がいい気がするんだけど、そういうラベリングをしざるを得ないという限界値があることからも逃げてはならないというこの矛盾
2012-09-18 01:37:42