ポール・ド・マン Paul de Man
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買う、買います! 【刊行】ポール・ド・マン『盲目と洞察』(宮﨑裕助・木内久美子 訳) | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy - http://t.co/WMHjD4G0
2012-09-22 01:05:57Amazonから届いたデリダ派の文芸評論家ポール・ド・マンの『盲目と洞察』です。 http://t.co/DaTBUB9B
2012-09-22 12:05:37blindness and insightのペーパーバックは緑の表紙。2005年の真冬、ダンキンドーナッツでコーヒーをすすりながら読んだ記憶が蘇ってきた。その知的興奮も。
2012-09-22 13:04:27【刊行】ポール・ド・マン『盲目と洞察 現代批評の修辞学における試論』(宮﨑裕助・木内久美子 訳)(月曜社) http://t.co/zBjXwWZ4
2012-09-22 14:37:22ポール・ド・マン『盲目と洞察』を読む。ド・マンのことはほとんど知らないけど、『判断と崇高』の著者である宮﨑裕助氏が翻訳者の一人だったので購入。「盲目になる瞬間」こそが「洞察を達成する瞬間」である、ということがテーマ。まだまだ理解できていないけど、第Ⅰ章と第Ⅶ章が特に面白い。
2012-09-22 17:27:34そして『判断と崇高』を再読。昔読んだ時には気づかなかったけど、本書で問われている「判断(力)の構造的なアポリア」と「そのようなアポリアとして浮上する『決定の問題』」は、現代社会・政治への批判として非常に重要なものであり、研究者だけではなく、多くの人が読んだほうがいい本だと思う。
2012-09-22 17:27:41ポール・ド・マン『盲目と洞察ーー現代批評の修辞学における試論』(宮崎裕助・木内久美子役、月曜社)を、訳者から献本いただく。その装丁の美しさ、本文活字に使われた青系の色合いが新鮮。鋭い批評には、意図せざる盲目性が必然的に内在し、その二重性こそが読解の核心をなすという。熟読したい。
2012-09-22 22:35:25ポール・ド・マン『盲目と洞察』月曜社をhontoから購入。amazon利用率は高いのですが、紀伊國屋BookWebとhontoも併用しています。特に月曜社の本はhontoで買うことが多いですが結構手軽。これでド・マン本は4冊に。http://t.co/apoquekj
2012-09-23 11:13:32ド・マン『盲目と洞察』は月曜社の叢書・エクリチュールの冒険の一冊。これまでにも大胆な装丁・造本でブランショ、ガシェ、アガンベンを刊行してますが今回が一番好きです。カバーはパール系マット紙に書名をメタリック・ブルーの箔刷。本文は青緑色インク。http://t.co/Ljia53xr
2012-09-23 11:17:35본문 글씨가 청록색 잉크. RT @HAYASHI_twit: ド・マン『盲目と洞察』は月曜社の叢書・エクリチュ... http://t.co/vNyjmDPE
2012-09-23 13:18:14ド・マン『盲目と洞察』の画期的翻訳が届いた。とても嬉しい。それにしてもなぜタイトルにこんなに親近感が湧くのだろうと考えていたら、どちらも今書いているディドロ論のキーワードだと気づいた(!)。『批評空間』の翻訳を読んでいたから、無意識に影響されていたのだろうか… 熟読します。
2012-09-23 12:25:47@takuomitaguchi 田口さん、親近感を感じていただいて訳者としても嬉しいです!思想史で「盲目」というとやはりディドロが真っ先にあがるということもあるのではないでしょうか。残念ながら、本書ではディドロは論じられていないのですが(デリダ『盲者の記憶』には出てきてました)。
2012-09-23 12:58:12@parages 宮崎さんのおっしゃるとおりだと思います。ディドロ、デリダ、ド・マンのラインを考えるだけで、わくわくします。そもそも今回の訳書でも、デリダのルソー論が参照されていて、やはり「現代思想」のインスピレーションの源のひとつに、「18世紀」があることが分かりますね。
2012-09-23 13:18:36.@takuomitaguchi はい、実際、本書のド・マンのデリダ論は、音楽論を中心にデリダ『グラマトロジー』のルソー読解に鋭く批判の矢を放っていて凄くスリリングですよ。刺激になれば幸いです。田口さんの近出予定のディドロ論、拝読できるのを楽しみにしてます!
2012-09-23 13:56:44「実のところ、批評されたテクストと、そのテクストに負債のある批評家とのあいだに結ばれる報われない関係こそが、本書が真に論じようとしている当のものなのだといってもよいだろう」(ド・マン『盲目と洞察』まえがき) - のっけからド・マンのアイロニー節が炸裂。エピグラフにはプルースト。
2012-09-23 14:54:40ド・マン『盲目と洞察』訳者あとがきによれば、本書の多くの論文は60年半ば~70年に最初に仏語で書かれた「脱構築以前」といえる時期のもの。とはいえド・マンが導く「意図的な主張と正反対のものを述べざるを得なくなるという盲目性」は、デリダが脱構築によってあぶりだしたものと共鳴しますね。
2012-09-23 14:55:49タバコの煙や人いきれに揉まれながら酔払って帰宅、そのままベッドにもぐり込んだら雨に濡れたコモンドールみたいな自分の匂いに思わず目が覚めた。ゆったりとド・マン『盲目と洞察』を読む週末の筈がどこでどう間違えたものか…
2012-09-23 16:18:27『盲目と洞察』かぁ。懐かしいのぅ。なにか新しいことをやらないとまずいというので、一年上の四年生の先輩と勉強会をやって読んだ記憶があるわ。多分、ほとんど理解できていなかったと思うけどね。
2012-09-23 22:20:12鍵付アカウントの方のツイート
ド・マンを読んだ中で、ルソー論はわかった気になれたとの趣旨。
ド・マン自身はそういう言い方を好まないかもしれませんが、たしかに『読むことのアレゴリー』の議論では「文学(政治)たらんとする努力が逆に政治(文学)を生み出すという逆接がルソーの書くものには見られる」というように読める議論をしていますね。私は誤読だとは思いませんよ。@odg67
2012-09-23 22:58:22エイブラムズはどちらかというとド・マンの論敵なので、ド・マンがしっくりこないのはいた仕方ないのかもしれません。ちなみに「エイブラムズ」は「マイヤー」か「メイヤー」か、訳者・編集者間で問題になりました。こういう細部をひとつひとつクリアーするのが今回本当に大変でした。@odg67
2012-09-23 22:59:08.@odg67 同感です。スタロバンスキーの『透明と障害』こそ名著ですよね。関連して言うと、ド・マンがデリダのルソー読解に入れたツッコミのひとつは、スタロバンスキーを批判していながら実はルソー読解の枠組みとしてはスタロバンスキーに依存しすぎじゃないの、というものでした。
2012-09-23 23:15:00.@HAYASHI_twit ご紹介くださり、ありがとうございます!さっそく読んでいただき、嬉しいです。ひとつ明確にしますと、本書の初出論文は記してくださったように、60年半ば〜70年のものなのですが、ド・マンがデリダに初めて出会ったのは66年のジョンズ・ホプキンズのシンポです。
2012-09-23 22:35:24.@HAYASHI_twit ですので、「脱構築以前」とのみ言い切ってしまうとやや不正確かしれません。正確にはド・マンがデリダの著作を受容しつつあった時期になります。79年の『読むことのアレゴリー』になると、脱構築という言葉自体がド・マンのテクストのなかに頻出するようになります。
2012-09-23 22:37:03