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2012年9月21日

現代美術・現代アートの危機 ~芸術という関係~

芸術の歴史をサラッと振り返りつつ、現代における美術や芸術の問題の根っこを掘り出します。
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ペス @pesu1028

現代美術は近代以降の大衆的美術に対するアンチテーゼではないだろうか。近代では誰でも容易に楽しめる美しい具象画や風景画がもてはやされた。それに対して現代美術はほんの一部の人にしか理解できない領域に足を突っ込んだ。現代美術は「理解できない」というより「理解されたくない」ように見える。

2012-09-21 11:33:11
ペス @pesu1028

その意味で現代美術は「キュビズム以降に始まった」というのは正しい捉え方だと思う。その辺から美術は大衆と距離を置くようになったワケだ。それをピカソが意図していたとは思えないが、芸術家が時代を先導する人間だとするならば、彼らは無意識的にその道を表現していたということになるだろう。

2012-09-21 11:39:29
ペス @pesu1028

ところが、近頃はマンガやアニメを現代美術と位置づける動きが出てきている。ワンピース展や井上雄彦展、そして年末には大河原邦男展なんてのもある。それらは「文化」ではあるかもしれないが「芸術」とは違う。芸術は表現者(発信者)と鑑賞者(受信者)の双方に高い能力を要求するものである。

2012-09-21 11:51:30
ペス @pesu1028

芸術は対象ではないし、モノそれ自体に備わっている性質でもない。芸術とは芸術的表現と芸術的鑑賞の双方の循環によって成り立つ現象であり関係なのだ。マンガやアニメが芸術ではないのは、発信者のみに能力を要求するからであり、受信者を怠慢のまま放置するからである。

2012-09-21 11:55:24
ペス @pesu1028

「分かりやすいもの」とは、言い換えれば「考えなくてもいいもの」であり、「頭が働かないもの」である。そこにあるのは発信者による一方的な価値観の押し付けであり、それに対して無批判に接する大衆の姿だけだ。そんな場所に芸術は生まれない。

2012-09-21 11:58:12
ペス @pesu1028

美術であれ、音楽であれ、演劇であれ、詩であれ、文学であれ、それによってお金を稼ぐ以上は発信者に能力が要求されるのは当たり前である。しかし、それが芸術へと昇華されるためには、受信者にもそれ相応の能力が必要なのだ。つまり、芸術は客を選ぶのである。

2012-09-21 12:02:48
ペス @pesu1028

そう考えると、かつて芸術が貴族だけのものであった理由もうなづける。当時の貴族がみんな知的・能力的に優れていたかどうかはともかく、相対的に「知」全般は貴族が支配していたワケだから、芸術は自らの居場所をそこに固定していたということだ。

2012-09-21 12:08:03
ペス @pesu1028

やがて「知」が貴族から解放され、誰もが同じ「知」に接するようになると芸術はみんなのものとなった。最初はみんな芸術に対して「いやいや、自分なんてとても」という謙遜的態度で接していたが、次の世代が生まれる頃には芸術は日常的光景に取り込まれてしまっていた。

2012-09-21 12:15:43
ペス @pesu1028

この頃から芸術は知的関係から切り離され、万人が接する「対象」となってしまったのだ。そう、神は偶像となったのである。

2012-09-21 12:18:43
ペス @pesu1028

そこから芸術の物質的・資本主義的価値が一人歩きするようになった。もちろん一部の知識人は常にその状況に対して警笛を鳴らしていたのだが、大衆の支配する世界ではその音もトンネルの中で虚しく響くだけだった。芸術は高級な装飾品に姿を変えた。

2012-09-21 12:24:19
ペス @pesu1028

その状況が末期をむかえた19世紀末。装飾品としてはほとんど価値のない芸術、時代の価値観に真っ向から対立する芸術が生まれてきた。その先頭を走っていたのが恐らくピカソに代表されるキュビズムである。そこには従来型の典型的な美しさがなかったため大衆は興ざめしたが、知識人は歓喜した。

2012-09-21 12:31:06
ペス @pesu1028

こうしてまた芸術は一部の人のものとして本来的な芸術性を取り戻したワケだが、近代化が進むにつれて今度は相対主義が姿をあらわし、芸術家も知識人も芸術という関係を見失っていくことになる。現代における現代アートの問題はここに根ざしているのである。

2012-09-21 12:42:34

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