宇野常寛『ゼロ年代の想像力』 ひとり読書会

宇野常寛 @wakusei2nd 『父として考える』要点と宇野常寛批判 http://d.hatena.ne.jp/tomatotaro/20100803/1280847531 続きを読む
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歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT やや特殊な位置にあるのが、こうの史代『夕凪の街 桜の国』だろう。同作は被爆二世という「非当事者のようでそうではない」存在(「安全に痛い」ようでそうではない存在)を通して、歴史が「安全に痛い」ものになっていく過程を両義的に描いた作品だと言える。(cnt

2010-07-27 19:59:57
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

cnt)どこまでが当事者で「ほんとうの痛み」か「安全な痛み」かわからない――そんな試行錯誤の中から倫理を立ち上げようと手を伸ばす態度は、類作にはない深みを作品にもたらしている。 pp.277-278 『ゼロ年代の想像力』宇野常寛 早川書房 2008

2010-07-27 20:05:47
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT 4. もはや(「自己反省」の機能する)「戦後」ではない

2010-07-27 20:07:49
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

『ゼロ年代の想像力』p.281 映画版『ジョゼと虎と魚たち』について、映画版においては被差別部落を出自と暗示と書いているが、かなり俺は詳しいほうだと思うがそういう印象は受けなかった。制作者とかのインタビューもけっこう読んだけど特に言及されてなかった。うのねんも京都生活送ってるけど

2010-07-27 20:10:44
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT 学園とはこの島宇宙化の時代に残された数少ない共通体験である。そのため、ゼロ年代においてはこの島宇宙ごとに形成されるローカルなナルシシズムと、その正当化のためにグローバルな次元で繰り広げられる他の島宇宙との闘争(決断主義的バトルロワイヤル)の舞台は、しばしば「学園」に(cnt

2010-07-27 20:29:18
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

c)設定された。学園とは、言ってみれば単一のアーキテクチャーの上で異なる価値観を有するコミュニティ同士が衝突する、決断主義的動員ゲーム=バトルロワイヤル的な現代社会のモデルがコンパクトにまとめられた縮図なのだ。 p.288 『ゼロ年代の想像力』宇野常寛

2010-07-27 20:30:45
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT だが、話はここで終わらない。たとえば十七歳の私がここまで読み進めたらきっと憤慨したことだろう。何を言っているのだ。そんな意味のないつながりなどで自分は満たされてなるものか、と。自分はそんな日常なんて回路に回収されるつまらない人間ではないのだ、と自らに言い聞かせることで(cn

2010-07-27 20:45:58
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

cn)年相応に勘違いで膨れ上がったプライドを満たそうとしたに違いないのだ。だが、あと八ヶ月で二十代を終えようとしている私は、残念ながらこの少年らしい鼻息をかわいらしいものとして愛することはできても、手放しで肯定することはできない。だから、十七歳の自分に逆にこう問いかける(cnt

2010-07-27 20:48:14
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

cnt)ようにしようと思う。君が求めているものは本当に、日常の外側にしかないものなのか、と。ロマンの在り処は、本当はどこなのか、と。 『ゼロ年代の想像力』第十四章 「青春」はどこに存在するか p.291

2010-07-27 20:49:41
@aquirax_k

そういえばあんくらさんは宇野常寛氏を評価しているか、好きなのか聞いてみたいところではある。相互扶助だったりあるいは相手のことを、ある種無根拠に信じることだったり、そういう価値観は肯定してる気がするけど、宇野さんが持つ、人は何ものにも依存してはならないみたいな思想はどうなんでしょう

2010-07-28 23:12:27
@aquirax_k

ナルシズムの全否定こそ宇野思想のセントラルドグマであるって文章読んであーなるほどって思ったんだけど。僕は相互扶助とか善意の贈与とか好きだけど、全てに人間は近代人として自立しなければならないみたいな論説は好きじゃない。

2010-07-28 23:16:05
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT ケータイ小説を一読すればわかるように、それは、プロット、つまり物語のあらすじが肥大した小説だ。ここで小説は基本的に物語を進行させるための説明と会話によって進行している。 p.310 『ゼロ年代の想像力』宇野常寛 早川書房 2008

2010-08-04 20:20:36
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT その登場人物は物語から独立したキャラクターとしては存在し得ない。あくまで「主人公の母親」「主人公の親友」「運動部の顧問の先生」といった劇中での役割、物語世界での相対的な位置がそのキャラクターを決定している。 pp.311-312 『ゼロ年代の想像力』宇野常寛 早川書房

2010-08-04 20:23:10
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT たとえば、ウェブ上ではさまざまなマイノリティ集団が被害者意識で接続されるコミュニティを形成し、現実世界でのコミュニケーションを批判しているが、そこは往々にして現実社会以上の陰湿な「いじめ」の温床となっている。つまりコミュニケーションを忌避する人々が、より稚拙で(cnt

2010-08-04 20:27:39
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

cnt)暴力的なコミュニケーションを通じてそのキャラクターの承認を得ようとしているのだ。 pp.316-317 『ゼロ年代の想像力』宇野常寛 早川書房 2008 第15章 脱「キャラクター」論 3. コミュニケーションがすべてを決定する社会

2010-08-04 20:29:19
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

第十六章 時代を祝福/葬送するために すごいことになってるwwww 内容がすごいシャカイ化されてるから意外とすんなり受け入れる人も多いかもしれないけど、ものすごい電波的アジテーションktkr!!!!!! ドアを開けろ!www Open the door!

2010-08-04 20:33:16
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT そう、私たちはたしかに打ち砕かれた断片のような世界を生きている。いくら断片を収集しても決して全体性は回復しない。だが、断片を生きる私たちの生は、実は不可視の領域で接続されているのだ。この断片たち――小さな物語の形成する島宇宙たちは、さまざまなコミュニケーションを内包(cnt

2010-08-04 20:34:39
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

c)している。その内部から誤配を排除するため、あるいはその共同性を規定する小さな物語の正当性を訴えて、他の断片に対し攻撃を加える。 p.324

2010-08-04 20:35:26
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT 私たちは主観的にはデータベースの海から欲望するものだけを読み込んで消費しているだけかもしれない。しかしその誤配のない世界は、私たちが生きる世界の断片=小さな物語の共同性から外れた地点から眺めれば、その生存と継続のために徹底的に排除の論理と力を行使することで成立している(cn

2010-08-04 20:36:58
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

c)のだ。そう、コミュニケーションは消滅したのではない、不可視な存在に変貌したのだ。そして私たちが無自覚にその結果を享受する不可視なコミュニケーションは、小さな物語同士の動員ゲーム=バトルロワイヤルとして――決断主義の生む暴力の連鎖として、この世界を埋め尽くしているのだ。

2010-08-04 20:38:18
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT だが、個人の生の問題として、そこから零れ落ちる「文学」の問題として、私たちにできることはないのだろうか。私たちは自らの行使する無自覚な暴力を、不可視の設計者たちが適度に制御してくれることを期待しながら、目に入れたいものだけを見つめ、耳に心地よい言葉だけを聞いて、(cnt

2010-08-04 20:40:46
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

c)そのキャラクターに承認を与えてくれる共同性に埋没して思考を停止すればよいのだろうか――そんな疑問が頭をよぎる。そして「そんなことはない」というのが私の見解だ。「政治」の問題としては、もはや不可避の条件として前提化した決断主義的動員ゲームの存在は、揺るがないの(cnt

2010-08-04 20:42:13
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

c)かもしれない。仮にそうだとしても個人の生き方として、「文学」の問題として、決断主義を乗り越えることはできるのではないか――。それが「ゼロ年代の想像力」の最大の課題なのではないだろうか。 p.328 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』

2010-08-04 20:44:04
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT たとえば、人は恋をする。ときに自分とは完全に違う世界に生きる相手を好きになる。自分とは異なる経済階層に位置し、文化的背景をまったく共有しない相手とのコミュニケーションへの欲望を喚起される。 p.328

2010-08-04 20:45:54
歯l磨lきl粉みりおんせーじ @millionsage

QT あるいは、人は死ぬ。たとえどんなに毎日が変わり映えのしない毎日=終りなき日常であったとしても、それは死を、終わりを受け入れることができずに逃げ惑ったときに成立する世界観でしかない。たとえ、キャラクター的な実存がどれほどありのままの承認を求め、成熟と変化を拒んでも、(cnt

2010-08-04 20:47:40