極めて当たり前な視点から享受論【外世他者認識論序論?】
- L_O_Nihilum
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※(ここは外世論とは距離があることに注意してほしい。また、外世論で説明できない領域がN次創作にあるということは、そもそもゴーストの条件のみがキャラの生の条件ではないという事も追記しておかねばならない)
2012-10-08 19:59:32やっと見っけた、引用します;『一次創作と二次創作は明確な対照のもとに置かれねばならない。二次創作は、先行する一次創作をまさに自らのオリジナルとして承認することにおいて成立するからだ。一次創作がなければ二次創作にならない、という、ごく当たり前のことだ。』
2012-10-08 20:03:14『このとき、一次創作は、虚構のキャラクターや世界観の最初の発見として解釈される。一次創作者とは、文化的創造のための鉱脈の第一発見者なのである。二次創作者は、鉱脈の利用者ということになる。』
2012-10-08 20:03:30したがって、まずその外世他者自体が存在しうる世界の存在を認識の際前提とする。その点は引き継ぐ。だが、二次創作においてはその中から来た妄想の形成物となるから、その論理に当て嵌まらなくともよい。(エロ二次創作が成立しうるのはそのため)
2012-10-08 20:05:45ここは僕とエフの共有したポイントであり、ポストモダン論者との距離を示す部分でもある。引用する。
2012-10-08 20:06:23『一方、盗作は一次創作を偽装するものである。つまり、盗作の存在は、一次創作の身分そのものを侵害し揺るがす。この点で、盗作と二次創作とは決定的に異なるわけだ。』
2012-10-08 20:06:36『ちなみに、ポストモダン系論者の「あらゆるテキストはなにかのコピーである」という主張は、盗作と一次創作の境界線をも揺るがすものであり、「二次創作の倫理」よりもかなり過激なものである。』…そう、シミュラークルだといういい方にある創作者への意識の疎外は指摘されるべきなのだ。
2012-10-08 20:07:29ではおそらく、そうした論者からこうした反論が到来しうる。即ち、「モナーやギコは誰が生んだのだ?誰が鉱脈の発見者たりえるのか?」…すなわちシミュラークル論への誘導だ。
2012-10-08 20:09:34誰も尊敬しないはずだ。と言う風に、彼らは言うだろう。また、メディアミックスもその例示に提出してくることが在ろう。
2012-10-08 20:12:01即ち。小説が原作か、アニメが原作かわからない、と。公式と脈打たれた創作はなぜかあなたたちは二次創作とは呼ばない、多重化したメディアミックスの集合が生む様々なキャラクターの様態を、二次創作とも何とも呼ばずに同列に享受あるいは消費しているところは何なのだ、と問うてくる。
2012-10-08 20:12:57はっきり言おう。こんな発想、一笑に伏すが宜しい。そもそもこのようなシミュラークル理論、リオタールの濫用こそ、いかがわしいものなのだと気づくがいいのだ。
2012-10-08 20:13:36どういう事か?…気付こうぜ。それを言うならギリシア神話はどうなんだよ。神話てそもそもそういうモナーとかギコとかと同じじゃねえのか。源氏物語も同じじゃねえのか。
2012-10-08 20:14:15源氏物語は作者わかってるからまだしも。竹取物語や宇治拾遺物語はどうなのかと。あれはシミュラークルですよねー?!しかも、鉱脈発見者誰だか不明で集合的に創作されましたよねー?!クラウドですよねー?!ゴーストですよねー?!
2012-10-08 20:15:38何だ?なのに、突然西洋の伝統が被った瞬間、あれらの作品を今のコンテンツ批評と同じように評ずることはなくなる。消費論にしなくなる。不可思議だと思わないか?
2012-10-08 20:17:08ル ネ サ ン ス が ど ん だ け 二 次 創 作 ば っ か 作 っ て き て 、 そ の く せ 作 者 主 義 だ な ど と の た 打 ち 回 っ て き た と 思 っ て る ん だ 、彼らはw。
2012-10-08 20:17:43それこそ、ゴーストの条件の言葉を借りるならこういえばいい。「鉱脈が集団的に発掘されたのだ」と。外世他者は永遠に外世他者であり続け、その存在が表象を与え、これが創作になる。その表象からさらに影響を受けた者たちが、連作する。
2012-10-08 20:18:49彼らは純文学やソクラテスやドストエフスキーという大人の教養であれば享受論で評論する。しかしサブカルになったとたんに御宅の決めつけ論や消費論で批評を始める。
2012-10-08 20:19:59もはやこれはおバカとしか言いようがないわけだ。全くの私たちの物語にたいする感覚を無視していると言わざるを得ない。私たちはいずれにせよ、外世の表象と付き合っている。しかし同時に、それは依然表象であると自覚している。そしてそれはシニシズムでもなんでもないのだ。
2012-10-08 20:20:49だから、それが商業的に企画され生み出されたものであっても愛することが出来るのだ、例えば特撮であっても。
2012-10-08 20:21:10そしてそこから遊戯が始まる。そこに、キャラクター、外世存在論の外側としての妄想論、エフのような「享受論」が始まるのだ。また、同時に、本田のような「キャラ愛論」が始まり、残った知識の領域にて、岡田の「オタク学」が再開する。
2012-10-08 20:22:16先ず、私たちの見る感覚からすべてを出立せよ。出会いもしない者について、何を語れようか。
2012-10-08 20:24:37てかアフォリズムぶっ放してるボクですけど、思えばその「ゴーストの条件」って「キャラの表象の表象が活きる条件」であって、つまり「言語ゲームの生命」の寿命論なのね。したがって「キャラそのものの生きていることへの論理」にはなってないんだな。いや、そんなの黙認されてる常識だけどw
2012-10-08 20:26:02で、それが表象なのはわかってるわな。しかし、それでも外世の他人は外世の他人だよな。で、オタク批評のあらゆる点に於いて共通する見落としは、この認識なんだよな。
2012-10-08 20:26:47