モラルについての考察:行動は変えられても、感じ方は変えられない by為末大
正しいという類のものは、当然その人本人にとっては正しいわけだから、例えばこの場合は?などの質問には仮にうまく答えられなかったとしても耐えうる。でも、もしもの仮定の質問を浴びせて腹が立ったり、ムカムカした場合、その正しさは外部から来たものを丸呑みしている事が多い。
2012-10-15 07:34:52もちろん最初の最初は、ある程度正しさを周囲から押し付けられないと人間はできてこない。でも、その正しさはある年齢以上でもう一度問い直して再構築する必要があって、それで初めて自分自身の正しさになる。しかもその作業はたぶん終わりが無い。
2012-10-15 07:37:59たぶん問いは相当に辛い。万人にこれを課すのはあまりにも非現実的だから、とりあえずこの正しさモデルで生きればそんなに問題は起こらない、として開発されたのが普遍的な倫理と呼ばれるものや、宗教なんだと思う。そういう事にしておきましょう、というアイデア。
2012-10-15 07:47:28あなたはその正しさで生きればいいし、僕はこの正しさで生きる。多様性や寛容とはそういう事なのだけど、普遍的な正しさがあると信じている人は、正しさは普遍と思っているから、相手か自分が間違えているという発想になる。その場合正しさの勝敗の根拠を、歴史や権威で決めてしまう。
2012-10-15 07:52:09人を殺しちゃいけないというのはみんなわかる。問題は日本中が戦争で人を殺そうとしている時、それに立ち向かえるかどうか。倫理の概念は戦前からあった。にも拘らず戦争は起きて殺人も起きた。相手が殺す気でも、こちらは相手を殺さないでいられるか。正しさを練るとはそういう事。
2012-10-15 07:59:15【終わり】絶対に誰にとっても正しいものがあると信じる人は、寛容にはなれない。なぜなら寛容は自分と違う正しさをもつ人を認める事だから。寛容への一歩は、コントロールしたいという欲求とちゃんと向き合う事だと僕は思う。
2012-10-15 08:14:39アメリカで子供の口喧嘩を仲裁している大人が全てに理由をつけさせていた。”お前が悪い”が”何故お前が悪いか”に”なぜそれを悪いと思うのか”に変わっていった。なぜに弱い人は、ディベートにも弱い。
2012-10-15 08:25:04