塩谷賢 「一次的な調整の作法について、限定を置かないのが哲学」

千葉大学で、2012年10月11日に行なわれたという講義の文字起こしから、興味深いところをピックアップしました。 前回分は http://bit.ly/OufzfI この講義録は、後ほど http://siotani.net/ でまとめて公開されるとのことです。
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塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

概念論、真理論のなかには、この失敗を含めた調整って、出てこないんですよね。最近面白いのは、このタイプの調整が入ってくる「計算」。例えば、昔の電卓って「1÷3×3」って打ち込むと、答えが「1」に戻らないんですよね。「0.999…」になる。メモリのどこかで小数点以下が有限になってる。

2012-10-14 12:29:35
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

ここには実行する計算と、計算であってほしい概念とのあいだのギャップがある。これはプログラムにおける「名前呼び出し」と「値呼び出し」に対応していますけれど、そういう形で、調整のあり方が出てくる。調整の姿が見えるようになる。

2012-10-14 12:32:42
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

さっき言ったように、「How」に対する外的な限定・制約をできる限り除きつつ、でも哲学することが成立するためには、何らかの制約が“生じてこなければ”(=創発(emergence)されなければ)ならない。その意味で、哲学でcreationされるのは、物ではなく、Howの調整なんです。

2012-10-14 12:40:18
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

深く考えること、外からの制約ではない形で、しかし、にもかかわらず、「How」への制約があるようにすること。―そうすると、考えることが、自由という言葉とつながる気がしませんか? 何かの制約からの自由ではなく、あり方としての自由。

2012-10-14 12:43:41
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

カントが、完全に自分の自由において道徳法則に従います! というときに、なぜ従うのかといえば、それは理性の呼び声があるからだというわけですよね。やむにやまれずどうしてもやってしまう、そのときに聞こえてくる声に従う、と。

2012-10-14 12:46:47
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

それが歴史の積み重ねによって縮約されて、調整済みになって、みんなも使えますよ、という形になったわけだけれど、それは「やむにやまれず」まで含んだ形ではない。でも、その「やむにやまれず」まで行ける、それを創れる。

2012-10-14 12:50:00
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

それをみんな忘れちゃうんだよね。

2012-10-14 12:53:37
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

…そろそろ時間がなくなりましたので、次回の世界観につなぐために、宿題じゃないんですが、ちょっとヒントを。philosophia(哲学)ってphilo(愛)とsophia(知)だよね。愛するって思考でしょうか? 情念だよね。哲学は思考です。でも「愛する」が入ってる。どうつながるか。

2012-10-14 12:54:07
塩谷賢ゼミ(非公認) @shiotani_bot

どうして、「愛する」という情感が、哲学という思考につながるのか。紙に書いてきてくれてもいいし、僕に直接話してくれてもいいです。マイナスにはしませんが、平常点にはなります。それではまた来週。

2012-10-14 12:56:02