- conchucame
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ちなみにカントの『判断力批判』への(現在日本語で読める)もっとも優れたコメンタールはデリダ『エコノミメーシス』です。そこに付された訳者(湯浅氏)の解説も秀逸。
2012-10-22 01:57:51カントは「自由」の領域を確保するために自然(神)ときわめて特殊なかたちで媒介されている芸術家(天才)という存在を必要とした。『判断力批判』を一言で要約するとそういうこと(デリダ説)。
2012-10-22 02:00:26ヘーゲル『美学講義』の主張は一言でいえば「哲学があればもう芸術はいらね」説だよ。そういうものを「芸術哲学」とは呼べない、というのがオレ説。
2012-10-22 02:03:18シェリングの『芸術哲学』は「芸術哲学」としか呼べないようなかたちで存在しているのではないかと思えてきた深夜二時…。
2012-10-22 02:10:33@masayachiba @conchucame この問題、一度直接ガチでやりましょう。日頃のわれわれのやりとりにおいては曖昧にしている部分だと思います。
2012-10-22 02:11:50後にいう、シンポジウム「芸術哲学の現在」の企画が立ち上がった瞬間であった。
2012-10-22 02:16:09@H_YOSHIDA_1973 @conchucame そのうちぜひ議論しましょう!美学の定義は歴史的に複雑ですけど、で、それに哲学の定義問題も重なってくるわけですよねぇ。。。
2012-10-22 02:16:11@H_YOSHIDA_1973 では吉田・千葉の両先生がどこそこからお金を引っ張ってきてぜひシンポジウムなどを・・・むにゃむにゃ @masayachiba
2012-10-22 02:18:23今、吉田寛さんが「芸術哲学」という言い方への批判、という問題提起をしていましたけど、僕は哲学が専門なので、「〜哲学」の問題をどうするか、という方向から考える体勢になりやすいですね。
2012-10-22 02:19:39フィロソフィアはやはりギリシア起源の特殊ヨーロッパ的な営みなので、「中国哲学」とか「インド哲学」なんてものはない、といった意見を言う人がいます。僕はそれには反対で、「中国哲学」といった言い方・見方をすることには意義があるという立場。
2012-10-22 02:21:53@H_YOSHIDA_1973 ヘーゲルの芸術終焉論は、逆に、むしろそこから出発してはじめて哲学や宗教に従属するものではない芸術独自の思考が可能になるのだと考えるべきでしょうね。
2012-10-22 09:59:50ハイデガーはヘーゲルの問題提起を真剣に受け止めつつ、ギリシア的真理そのものの再解釈によって存在の真理(=出来事)としての芸術の可能性を考えようとした(『芸術作品の根源』)。ハイデガーに言わせれば、現代ほど芸術の思考を必要している時代はないということになる。
2012-10-22 10:01:03リオタール、ラクー゠ラバルト、ナンシーらはハイデガー以降の思想圏のなかで問題提起をカントからやりなおすことで、崇高論によって美学的思考の可能性を再開しようとした。大きくいえば、デリダやド・マンもその路線ですね。(というのが、拙著『判断と崇高』の議論の一部です。)
2012-10-22 10:09:40なので、ポストハイデガーの現代思想が「芸術哲学」と親和的なのは、漠然としたものでも、たんにロマン主義的とかとということでもなく(F・シュレーゲル以降のドイツロマン主義の思考の真剣な再検討ともいえますが)ごくまっとうな思想史上の理由がありますね。
2012-10-22 10:14:47「パレルゴン」、さっそく読んでみます。『エコノミメーシス』は原文も持っていますが、アンソロジー所収の一論文ですしね。RT @parages: あと『判断力批判』についてのデリダのコメンタールを挙げるなら、『絵画における真理』所収の「パレルゴン」を優先させるべきかと。
2012-10-22 11:14:52たいへん興味深いです。今後はその方向からも考えてみますが、その論点を展開した思想家(文献)があれば教えて下さい。RT @parages: ヘーゲルの芸術終焉論は、逆に、むしろそこから出発してはじめて哲学や宗教に従属するものではない芸術独自の思考が可能になるのだと考えるべき...
2012-10-22 11:17:28@H_YOSHIDA_1973 あと『判断力批判』についてのデリダのコメンタールを挙げるなら、『絵画における真理』所収の「パレルゴン」を優先させるべきかと。『エコノミメーシス』は『判断力批判』のごく一部の注釈だし、テキスト成立上は「パレルゴン」の一部を取り出したものですし。
2012-10-22 10:31:26@H_YOSHIDA_1973 ハイデガー「芸術作品の根源」の「後記」にヘーゲルの芸術終焉論への言及があります。それを展開したものは様々あると思うのですが、自分にとって決定的だったのは、ナンシーらの『崇高について』(法政大学出版局)です。とくにラクー゠ラバルトの論文は最重要です。
2012-10-22 11:47:28@parages ナンシーやラク=ラバルトの論稿を収めているのは、ミシェル・ドゥギー他『崇高とは何か』ですね。 目次→http://t.co/LfWLbbRy
2012-10-22 16:53:07それから思い出しましたが、ヘーゲルの芸術終焉論を美学講義からではなく『精神現象学』の精読を通じて再解釈した重要な文献に、ナンシーとハーマッハーの論文があります。『現代思想』のヘーゲル特集で邦訳されていて、こちらもおすすめです。http://t.co/ZBvZ32Xr
2012-10-22 12:01:09いま挙げた『現代思想』ヘーゲル特集のナンシーの論文が、ヘーゲルの芸術終焉論を再解釈するテーゼを提出しているので、少しだけ冒頭を引用してみます。
2012-10-22 12:25:02①「芸術の現代史全体を俯瞰し、そこに影を投げかけている哲学的言表があるとすれば、それはまさにヘーゲルが予告し宣告した「芸術の終焉」という言明である。ひとはたえずこの言明を引用し、議論にかけ、異論をとなえたり追認したりしている。」
2012-10-22 12:25:20