それはどの様に語られるか。 「無断転載される権利」「権利」「自由」
@ah0cat その時には支配する主観と支配される主観があり、支配される主観はその支配から逃れる事はできないのか?支配する主観と支配される主観は、見た目としてどう違うだろうか?ですかねぇ・・・
2012-09-16 23:09:00@ah0cat 支配をする事は自由な意志の介在なく決定しているか?支配と言うのはなんらかの選択の決定に影響を与えるか?単純に外部からの影響なく自由に振舞う。と言う感じなんでしょうか。
2012-09-16 23:16:17@3or7935 まず主観は意識と無意識から成ると考えました。その上で、意志は意識の中にあると置き、意志は何かについて、意識的に方向付けるもの、としました。意識は無意識の上に成り立っており、無意識に縛られているため、束縛を受けないという意味での自由な意志は無い、と考えています。
2012-09-16 23:29:49@ah0cat だとすると主観内部の無意識の作用の仕組みによって、行為として何かを「する」事が可能か?の答えが変わりそうです。一例として無意識が行動に影響ある時には意志をして行為を決定していない為に何かをする事が可能と断言できず、行動は行為でない。とか
2012-09-16 23:35:40@3or7935 詳細には考えられていませんが、ざっくり極論すると、無意識から意志が発生する。その意志に従う「行為」である。行為であるか否かは、意識の視点であって、無意識から見れば、いずれも行動である。という感じでしょうか。
2012-09-16 23:47:54@ah0cat 意志を考える時には自由である事を先ず前提として、そうでないとしても、行動を促す思考でしょうか、思考が行動であればそれを促す思考も意志ですね。若しくは行動に伴う思考、かも知れません。自由な意志であって選択性が認められるならば行為。基本としてはこんなもんだと思います。
2012-09-17 00:12:39@3or7935 なるほど。では、先の「無意識から発生する意志」は少なくともその瞬間には自分によるものなので、RXさんの言う意志と同一と言えるでしょうか。無意識、意識ひいては意志の形成が、他からのフィードバックを受けているだろう点が微妙なところです。
2012-09-17 23:08:24