「イナカの善人」は道徳の泥棒であると言う孟子の教えについて
- nomaddaemon
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でも、孟子の説明する「郷原」は、ちょっと「やなやつ」な感じはするけど、そこまでひどい人間にも見えませんよね。「狂」をもって任じ、『孟子』を「偏愛」した吉田松陰も、『講孟箚記』で次のように言って、「常情で(普通に)考えれば、郷原は悪くないやつのように見える」ことを認めています。
2012-10-28 19:25:30「中道の士は美質全徳以て尚(くわ)うることなし。論ぜずして可なり。其の次は常情を以て論ずれば、郷原の人、人に益ありて世に害なき者の如し。其の次は狷者は世俗に異なる者ありと雖も、大過罪なきが如し。狂者に至りては、礼法を乱り政教を害す。(…)孟子の是非、頗る正義に謬戻するに似たり。」
2012-10-28 19:29:21万章も同様に考えたらしく、先の引文に続けて次のように質問する。「一郷皆原人と称す。往く所として原人たらざる無し。孔子以て徳の賊と為すは何ぞや(一郷の人が口を揃えて「愿なる人だ」と言うのだから、どこに行ってもその人は愿人でしょう。孔子はなぜそれを「徳の賊」だとするのですか)。」
2012-10-28 19:34:15まあ当然というか、とくに現代日本人の価値観からすると、自然な疑問に感じられると思います。これに孟子はどう答えたか。以下に引く『孟子』本文が、https://t.co/eW4YrhAmに島田虔次さんの訳で紹介した部分になります。
2012-10-28 19:37:04曰く、之を非とせんに挙ぐべき無く、これを刺(そし)らんに刺るべき無し。流俗に同じくし、汙世(おせい)に合す。之に居ること忠信に似、之を行うこと廉潔に似たり。衆皆之を悦び、自ら以て是と為すも、而も與(とも)に堯・舜の道に入るべからず。故に徳の賊と曰うなり。
2012-10-28 19:42:42孟子は答える。「郷原というのは非難しようにも非難するところがなく、攻撃しようにも攻撃する材料がない。流俗に同調して、汚れた世と呼吸を一つにし、態度は忠信に似、行為は廉潔に似ている。→
2012-10-28 19:45:22→衆人はみな郷原の言動を喜び迎え、自分でもそれで正しいと思っているのだが、ともに堯舜の示した仁義の道に入ることはできぬ者たちだ。だから、『徳の賊』というのである。」
2012-10-28 19:46:59孔子曰く、似て非なる者を悪(にく)む。(…)佞を悪むは、其の義を乱るを恐るればなり。利口を悪むは、其の信を乱るを恐るればなり。(…)郷原を悪むは、其の徳を乱るを恐るればなり、と。君子は経に反るのみ。経正しければ、則ち庶民興る。庶民興れば、斯に邪慝なし、と。
2012-10-28 19:51:22孟子は続けて言う。「『自分は似て非なるものを悪む。(…)佞言を悪むのは、それが義とまぎらわしいから。口達者を悪むのは、それが信実とまぎらわしいから。(…)郷原を悪むのは、それが徳とまぎらわしいからである』と孔子は言われた。→
2012-10-28 19:54:46→君子は、ただ万世不易の常道に立ち返るのだ。この常道が正しく示されれば、庶民は刺激を受けて奮い立つ。庶民が奮い立てば、そこに邪悪の者は存在しなくなるのである。」
2012-10-28 19:56:14郷原は「似て非なる者」であって、徳とまぎらわしいから駄目なんだ、という部分は、「いやでも、その言動がみなに愿と認められているのだからいいじゃないか」というのが質問の眼目ですから、とりあえず措いておきましょう。ここでポイントなのは、孟子が「反経」こそ君子の道だと言っていることです。
2012-10-28 20:03:19儒教の根本的な典籍を「経書」といい、仏教でも「スートラ」の訳語として「経」を用いますが、これはもともと織物の「縦糸」を意味する。地球をタテに(南北に)輪切りにした線のことを「経度」というのも、そういうこと。そこから転じて、この語は物事の基本、根本義という意味をもつようになった。
2012-10-28 20:11:29そんなわけで、ここでの「経」も、朱子は「万世不易の常道」と解釈する。「反経」は「経に反対すること」ではなくて、「経に立ち返ること」。つまり、世の中がどう動いていようと「経」(儒家にとっては古の聖賢の道)に立ち返り、その「正」を身をもって衆に示し続けるのが君子の道だというわけです。
2012-10-28 20:17:50逆に言えば、「郷原」というのはそれを行わない人のこと。「経」を蔑し、自己の本心を掩い隠して、「今の世の中がこうだから、こうすれば他人が評価してくれるから」という動機だけに基づいて言談行為し、そうすることで衆人(郷人)たちから賞賛を受け、それを自ら是としている。
2012-10-28 20:20:22「閹然媚於世也者、是郷原也」と言われるのはそういうわけですが、要するに孔子や孟子に言わせれば、「郷原」とは義も徳も聖賢も、信じてはいない者達である。「経」ではなくて世評を基準に行為しつつ、至心に道を希求する「狂狷」の徒を、「まともでない人たち」として嘲笑する。それが、「郷原」。
2012-10-28 20:28:14……と、まあそのような事情を鑑みた上で、私は「郷原」を、「『政治的に正しい』言動をして、どや顔してる人たち」と訳しております。
2012-10-28 20:32:24吉田松陰は『講孟箚記』で、人々に「激昂」せよと訴えている。「苟も人々自ら激昂せば、今豈古に譲らんや。(…)俗人の癖として、古人と云えば、神か鬼か天人かにて、今人とは天壌の隔絶をなせる如き者と思う。是、自暴自棄の極にして、下に所謂『与に堯舜の道に入る可からず』とは此の人なり。」
2012-10-28 20:37:29ここで言う「激昂」は、「ブチ切れる」ということではなくて、『孟子』の原文にいう「興」、現代語で言えば「発奮する」というくらいの意味です。「俗人はすぐに、古人と今人の間には天地の懸隔があるかのように考えてしまうのだが、発奮して努めれば、今人が古人に負けることなどあるだろうか」。
2012-10-28 20:41:55そのように発奮して聖賢の道を目指す人たちを、「いやいや、古の聖賢を目指すとは思い切った話ですな。しかし、実際の彼らの言動を見てみると、少々バランスを欠いておるようですが」と、小馬鹿にして見せるのが「郷原」である。孟子が「不可與入堯舜之道」と、彼らを批判するのはそういうわけです。
2012-10-28 20:54:51もちろん、こうした「郷原」理解を前提とした上でも、やはり「狂狷」よりそちらのほうがマシだと思う人はいるでしょう。「"父の審級"を持ち出すな」とか、「"日常"から逃避する弱さ」とか、それらしい批判はいくらでもすることが可能でしょうし、そこにはそれなりの理もあるのだろうと思います。
2012-10-28 20:59:11ただ、少なくとも孔子や孟子、しばしば「狷介」と評された朱子、そして「狂」をもって任じた吉田松蔭や王陽明は、そうした「郷原」のあり方を嫌っていたし、むしろただ「反経」することが、君子・士大夫の当為であると信じていた。
2012-10-28 21:02:16長々と書いてきましたが、以上のような事情を前提とした上で、私は「郷原」よりも、「狂狷」のほうに共感的であるわけです。もちろん繰り返しますが、これは純粋に単なる好みの問題なので、違ったように考える方はたくさんいらっしゃることでしょうが。
2012-10-28 21:09:16