江戸の大名の江戸城への総登城について

江戸の大名の江戸城への総登城についてまとめです。
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@miohiroko

0627[武家]総登城。ただし、長袴は城持ち大名だけで、陣屋の大名など格下の者は対象とならなかった。謀反は下の者でも起こす時は起こすが、衣服に差をつけることで、長袴を穿いていない者は小大名とすぐわかるから、当人たちは委縮してしまう。これだけでもだいぶ効果があったようだ。

2012-10-30 18:17:58
@miohiroko

0628[武家]総登城。当日。さほど広くもない江戸市中の各大名屋敷(上屋敷)から一斉に行列が出発し、江戸城を目指す。当然、行列同士が鉢合わせになる。この場合もしきたりがある。まず、お互いが同格なら、殿様は駕籠の扉を開けて目礼をするだけでよい。これが最も簡単。

2012-10-30 18:30:53
@miohiroko

0629[武家]総登城。格が違う大名がかち合った場合は、格下の殿様は片足だけ草履を履いて駕籠の扉から出し、下りるような姿勢をする。実際には下りることはない。あくまでこういうポーズをとる。これに対し、格上の殿様は扉を開き、目礼をする。片足だけ出す格下のほうが行儀が悪い感じがする。

2012-10-30 18:35:12
@miohiroko

0630[武家]総登城。面倒なのは御三家。御三家の行列にかち合ってしまった場合、殿様は駕籠から下り、両手をひざに当てて立ったまま深々と一礼をする。御三家の殿様は扉を開けて目礼。以上のしきたりは、参勤交代の道中の途中でも同じく適用された。

2012-10-30 18:38:38
@miohiroko

0631[武家]総登城。人情というのは面白いもので、できれば面倒な相手には遭遇したくない--こう思うもの。これは大名行列も同じだった。そのため、行列の先頭には先供(さきとも)という係を置き、少し先を歩かせたり辻があるとその左右を見させて、格上や御三家が来ないかどうか確かめさせた。

2012-10-30 18:43:15
@miohiroko

0632[武家]総登城。もし、格上の大名が接近していたら、ただちにその旨を側近に知らせる。参勤交代の行列の時は道中奉行。側近は殿様に告げて、挨拶が遅滞なくできるよう心の準備をさせる。もし御三家だったらどうするか。なんと、道を変えて逃げるのである。横道がない場合は横路のある所まで→

2012-10-30 18:47:01
@miohiroko

→後戻りする。立って挨拶するだけなのに、やはりそういうこともいやだったようだ。格下とはいえ、それぞれ君主であり、国の官僚たちだ。メンツがある。そのため、わざわざ行列の先に偵察係、斥候などを配置した。

2012-10-30 18:49:35
@miohiroko

0633[武家]総登城。行列が江戸城に着くと、本丸大手門および内桜田門(桔梗門)から入る。御三家と国持ち大名以外は「下馬札」という立て札の所で駕籠を下り、殿様単身で入城となる。お供たちは先述のように門前の広場で待つことになる。

2012-10-30 19:29:31
@miohiroko

0634[武家]総登城。ちなみに下馬評という言葉があるが(「下馬評では今度の総理は誰それが有力だそうだ」といった例)、由来はこれ。殿様を待つ家来たちが「下馬」の前でたむろしてあれこれ雑談したり大名の品定めをしたことから生まれた。

2012-10-30 19:32:30
@miohiroko

0635[武家]総登城。大手門または内桜田門を入ると、今度は大手三之門がある。ここには「下乗」(げじょう=乗り物から下りよ)という立て札がある。ここからは御三家以外はすべて徒歩となる。御三家だけは玄関まで駕籠で進むことができる。

2012-10-30 20:33:18
@miohiroko

0636[武家]総登城。「下乗」まで駕籠が許されている大名も、「下馬」から先は供の人数が限られ、侍6、草履取り1、挟み箱持ち2、駕籠かき4人の計13人。この者たちは「下乗」の所で待機する。ただし、侍3人だけは玄関前まで随行が許された。城内は殿様のみ。

2012-10-30 20:37:02
@miohiroko

0637[武家]総登城。定例の登城日には将軍に拝謁するが、前将軍(大御所)がいる場合には前将軍にも拝謁した。また、世継ぎがいる場合には世継ぎにも拝謁したが、世継ぎが早くからちゃんと決まって江戸にいるというケースは少なかったから、3者すべてに拝謁というのはあまりなかった。

2012-10-30 20:44:26
@miohiroko

0638[武家]総登城。役職のない大名たちはそれぞれ割り当てられた控室で待機する。畳敷きはもちろんだが、机もなければ冬でも火鉢さえ置かない。たび重なる火災で極度に火を恐れたため。席次も決まっていて、好き勝手に座って寛ぐわけにはいかなかった。

2012-10-31 18:03:29
@miohiroko

0639[武家]総登城。左右の大名たちと雑談をかわす程度だが、控室には聞き証人役の旗本(官僚)が控えており、なんと会話の内容をチェックするため、大名たちは当たり障りのない雑談しかできない。当時は身分が高い者ほどいろいろと厳しい社会だった。

2012-10-31 18:06:41
@miohiroko

0640[武家]総登城。将軍との謁見は午前中に済んでしまうため、他に用事がない限り城から退出した。が、嫡子の御目見えの儀式その他午後にも用事がある場合は、控室で昼餉(ひるげ)をとった。食事は弁当で持参した。城では用意してくれない。

2012-10-31 18:12:07