引きこもり、うつ、退屈の関係について

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坂上秋成 @ssakagami7776

@lethal_notion 多少でもお役に立ったのならよかったですー。國分さんのツイートで、メランコリーに関する木村敏の見解を想い出しました。退屈だったり焦燥だったりというのは、自身の置かれている環境と、時間に対する感覚の問題に繋がってくるのかなと。

2012-11-05 06:25:54
坂上秋成 @ssakagami7776

@lethal_notion 「メランコリー者にとって時間は「自己生成の可能性の場」としての本来の性格を失って、むしろ「未済」を刻一刻と増大させる「負荷」としての性格を帯びるようになる。(…)過去は無限の未済の蓄積として恐るべき仮定法的可能性の集団となって経験される。(…)

2012-11-05 06:29:34
坂上秋成 @ssakagami7776

@lethal_notion 「メランコリー者の体験は、それが自責の形をとるか妄想の形をとるかを問わず、もはや手遅れで回復不可能な「あとのまつり」」(『自己・あいだ・じかん』191-192)のポスト・フェストゥムの話は快楽の問題と繋がっているかもなーと妄想してました。

2012-11-05 06:32:30
坂上秋成 @ssakagami7776

今引用してみたついでに木村敏『自己・あいだ・時間』の「分裂病と時間論」の章だけ読み直したらむっちゃ面白いなこれ。6年ぶりくらいに読むとなんか内容が楽に分かるようになってて、加齢を感じる。。。

2012-11-05 06:40:12
上山和樹 @ueyamakzk

はてブより id:nekora 《こうやって、中年ヒッキーごときにすら100年に一度の大津波対応の結果責任を糾弾されちゃうからなー。臨機応変にはやりにくいよねー。 2012/11/05》 http://t.co/jWSGZf7E

2012-11-05 09:00:14
上山和樹 @ueyamakzk

先日の差別問題に関連して、いつ言われるか待ち構えていたんですが、ようやく出てきました。

2012-11-05 09:00:38
上山和樹 @ueyamakzk

「ひきこもっていたくせに」という動詞形ですらなくて、名詞形の「ひきこもりのくせに」が露骨に表現されています。公開の場での発言ですし、具体事例として、活用させていただきます。 関連: http://t.co/d3HtLGxE

2012-11-05 09:02:26
上山和樹 @ueyamakzk

ブログを拝見すると、発言者ご本人がご病気のようですが、「病人役割を持っていれば、差別発言が許される」とも思えません。

2012-11-05 09:03:09
上山和樹 @ueyamakzk

あるいは、あの記事を読んでくださった多くの皆さんも、私の経歴を知ったら、エントリ自体への評価が変わるのでしょうか。それはあり得ること――というより、支援に関わる上で、決定的に重要なポイントだと思います。

2012-11-05 09:04:03
上山和樹 @ueyamakzk

そしてこれは、たんに差別論でもない。「ひきこもることしかできない人には、問題意識をもつ権限もない」 「そもそも、信頼を得られない」というのは、つねに起こっている状況判断だし、たんに否定もできません。

2012-11-05 09:07:54
上山和樹 @ueyamakzk

つまり、「言っていることとやっていることが違うじゃないか!」というのは、《当事者》あるいは《当事化》をめぐる、絶対に避けられないテーマです。 「差別だ」と騒げばいい、という話ではない。

2012-11-05 09:08:28
上山和樹 @ueyamakzk

そもそも、「理論的態度そのものに責任がある」という私のモチーフは、身体性や社会的処理の全体を巻き込むので、私じしんが、「言ってることとやってることの解離」を認めていない。(それどころか、核心モチーフです)

2012-11-05 09:13:40
上山和樹 @ueyamakzk

私は、名前をネット検索されると、その時点でいろいろアウトです。・・・・「どうせお前は引きこもりだから」では、努力のしようがありません。▼仕事の成果で、切り開くしかない。今も単純にそのつもりです。

2012-11-05 09:20:28
上山和樹 @ueyamakzk

その一方で、次のような事情にも困惑しています。

2012-11-05 09:21:13
上山和樹 @ueyamakzk

私は、お仕事をいただけるときには、できるだけ優れた成果を出せるよう、努力しています。――もちろん当たり前なんですが、それは「挫折経験があっても、チャンスがあればよい仕事はできる」ことを、示したいからでもあります。

2012-11-05 09:22:10
上山和樹 @ueyamakzk

ところが、結果的にどうなったか。 (1)「ひきこもりのくせに」という差別目線はなくならない。成果以前に、経歴と役割区分で切られる。 (2)差別的に排除される状況で、しかし、「やればできる人だから、保障は出すべきではない」になる。

2012-11-05 09:24:16
上山和樹 @ueyamakzk

つまり、排除についても、包摂についても、差別主義者に都合のいいように解釈される。

2012-11-05 09:26:33
上山和樹 @ueyamakzk

いちど挫折した人間は、「挫折したダメ人間」として役割を固定させないと、社会に入れてもらえないところがある。

2012-11-05 09:30:34
上山和樹 @ueyamakzk

もういちど社会に入れてもらうには、いわば周囲と「同じ色」に戻らなければいけないのですが、その保護色を手に入れるには、「まっさらな経歴」が必要です。・・・・この、《保護色》と《被差別民》のあいだをどう繋げばいいか、その回路を提示できる人間が一人もいません。

2012-11-05 09:30:59
上山和樹 @ueyamakzk

私が、《当事者》という名詞形を嫌がり、《当事化》と動詞化することをどうしても必要としているのは、そうした理由でもあります。これは、重度の身体障碍や知的障碍のように、「障碍者役割を固定されること、それを前提に話を進める」のとは、根本的に事情が違うというべきかもしれません。

2012-11-05 09:38:07
上山和樹 @ueyamakzk

あるいは精神障害でも、うつ病や統合失調症では、鑑別診断上の難しさと同時に、《社会的な位置づけの難しさ》があります。精神病圏であれば、明白に《障碍者》枠に入れてもらえるでしょう。しかしたとえばうつ病と言っても、「治った」とかいう場合、どうなのか。

2012-11-05 09:38:56
上山和樹 @ueyamakzk

明白に病人役割をもらえれば、社会に居場所はあるけど、「かなりキツイ、でも精神病ではない(身体障害でもない)」という場合、これは挫折者として差別された上に、保障もない。

2012-11-05 09:39:31
上山和樹 @ueyamakzk

役割上の区分だけではありません。知的生産に関しても、つよい《境界》を感じます。

2012-11-05 09:42:04
上山和樹 @ueyamakzk

情報の生産には、強い同質的再生産があって、ディシプリンが違う時点で、極端に評価されにくくなります。――単純に、能力を高めなければいけないのは勿論ですが、

2012-11-05 09:45:19
上山和樹 @ueyamakzk

「○○学」「△△派」「××論」というような、一定の家族的まとまりすら期待できないとなると、《野原で八つ裂きにされる》みたいなイメージにしかなりません。(あるいは名前はついていないにしても、知的生産における中間集団には、強烈な同質傾向があります。)

2012-11-05 09:47:27