私が《つながりの作法》と言っているのは、 (1)役割還元的な社会的処理 と、 (2)知的再生産における、間違ったままの同質傾向――この両方を、同時に問題にしています。 そこでどうしても、生産過程そのものをやり直すような問題設定が必要になる。
2012-11-05 09:54:06現状に支配的な再生産のありかたに、耐えられない、許しがたいものを感じている。それを「お前は引きこもりだから」で排除されるなら、もはや問題設計そのものができません。
2012-11-05 09:54:55失敗した場所から、独自の問題設定をやり直さざるを得なくなっているのに、問題設定をそのままに、――むしろ起きている現象よりも、知的ディシプリンを重視するような裁き方をする。だからおかしくなっているというのに!
2012-11-05 09:55:39《つながりの作法》に関連して、わざわざ生産過程論をもちだし、「生産様式」「生産関係」としつこく言っているのはそのあたりで、これは差別論とも、支援論とも直接リンクしています。知的に格好いいからやってるんじゃなくて、そうとでも考えないと、どうにもならない、という話です。
2012-11-05 10:02:23フランス思想を参照はしますが、瞬間の詩的惑溺をすべてと考えるだけでは、どうしようもない。それ自体がギルド的閉鎖性であり、知的な生産様式として固着しています。
2012-11-05 10:03:40そもそも、詩的であること自体が一定の批判的趣旨を持っていたはずが、つまり既存の生産様式への批判として出されたはずの様式が、こんどはそれ自体が生産様式として固着し、そこに惑溺してしまう。
2012-11-05 10:04:11言説そのものが持つ詩的機能は大事だとして、――知識人の名を羅列したり、「不可能性」がどうとか、わかりやすい単語を連呼しても、閉鎖的再生産にしかならない。何にも答えていない。
2012-11-05 10:21:11そもそも難解な哲学思想は、《卑近で耐え難いもの》をやり直すためにこそ、あつらえられたんではないのですか。そうでないなら、知的な格好良さを競うだけなら、もう本当に金輪際、いらない。
2012-11-05 10:23:48私なりに言い直せば、自分の生産様式を固定したまま、コミュニティ内部の参加作法を反復されても、問題をそれ自体として扱ったことにならないのです。
2012-11-05 10:24:43《日常/非日常》に関して言うなら、知的生産そのものが《日常》では、もはや問題に答えられないんじゃないか。言説の詩的要因に注目するとは、その《非日常性》みたいなものに注目することではないんですか。
2012-11-05 10:55:25ひきこもり経験についてのご質問で、定番のものはいくつかありますが、――なかでもよくあるのが、「ひきこもってたあいだ、何をしてたの?」というもの。
2012-11-05 20:28:14本当に深刻な状態では、「何もしていない」としか、言いようがない。極端にひどい時間では、記憶そのものが蒸発しています。言葉にしようとすると、絶句するしかない。(以前はネットもゲームもなかった)
2012-11-05 20:29:01(元気になってくると、時間経過の間隔がよみがえってきます。キツイ状態では、時間が流れた感じがしない。つねにぜんぶ蒸発し、《永遠の現在》に立ち返る)
2012-11-05 20:35:24《クラッチがないのに、アクセル踏むのをやめられない》。 饒舌になったりもしますが、すべてエンジンの空ぶかし。周囲に、ぜんぜん繋がっていかない。
2012-11-05 20:36:17よく使っていたのは、「24時間オン」「洗浄強迫」の喩えでした。 http://t.co/V2hYlXxS ▼元気なかたにとっては、「仕事をしているのがオンで、休日はオフ」なんだと思います。だから、「おれも引きこもりたいなぁ」とおっしゃるのでしょう。
2012-11-05 20:40:33ところが、再起不能なほど引きこもった状態では、24時間安らげない。▼だから、適切な労働環境に入れた多くの方は、「ひきこもっていたときより、今のほうがずっとラク」とおっしゃいます。周囲に歯車がつながり、承認される時間ができたことで、《OFF》ができたのです。
2012-11-05 20:44:04私は長いこと、仕事終わりの「お疲れ様でした」を聴くたびに、感動していました。それは、「その瞬間までは、あなたは仕事をしていましたよ」という合図であり、「今からは、OFFですよ!」という、宣言だからです。しかも、ONもOFFも、承認されている!
2012-11-05 20:48:35ひきこもり状態については、《スイッチを切ることができない依存症状態(それゆえに、適切にスイッチを入れることもできない)》――という理解のほうが、いろいろ適切かもしれません。
2012-11-05 20:53:12洗浄強迫の人は、「自分」も「お風呂」も汚すぎて、いちどお風呂に入るとぜんぶ洗わずにいられないので、8時間ぐらい入り続けて、ヘトヘトになる。すると適切に入浴できず、3ヶ月もお風呂に入らなかったりする(不潔恐怖なのに)。――お風呂に入るのが、「オオゴトすぎる」のです。
2012-11-05 20:56:47いっぽう元気な人は、カビだらけの浴室に、垢だらけの体で、平気でいられる。だから毎日入浴できて、けっこうきれいだったりする。――不潔恐怖の人は、お風呂に入れません。話が逆転しています。
2012-11-05 20:58:11今のお話で、お風呂を《社会》、不潔さを《失敗・不正》と考えてください。▼社会(お風呂)が汚いと感じると、こわくて入れません。強迫的に不正や失敗(≒不潔さ)を気にすると、入ろうとするだけでオオゴトになりすぎて、けっきょく社会参加(≒入浴)できません。
2012-11-05 21:05:50