無断転載とそこに介在する意味性についての批評
- lotusredcat
- 3825
- 0
- 1
- 0
無限複製が可能な状況においては、「オリジナル」に拘わること自体がもはや不可能なのだから、そこに尊厳の根拠を求めること自体から離れてみればいいんじゃないかなー、なんてね。それに耐えうるイデアを形作るまでには相応に苦労はあるだろうけれど、そのあとはどれだけ刻まれたって
2012-11-11 00:26:33無限に複製が可能な状況では「オリジナル」に尊厳を求めることは不可能、という前提に立っていますが、これは誤りです。何故なら、例え無限に複製可能だったとしても、「オリジナル」の存在が無ければ、複製物も生まれないからです。
2012-11-11 16:57:25故に、オリジナルはオリジナルであるがゆえに、すでにそのアイデンティティを保っています。その意味において、複製物はどこまで行っても複製物に過ぎず、無断転載―複製物を無限に生み出す行為そのものに意味性を見出すことは難しいです。
2012-11-11 16:58:34むしろ、無断転載は一般的に「オリジナル」のアイデンティティを崩壊させた状態で拡散されていく行為の総称ですから、「その作品」のアイデンティティは既に失われており、その意味に限って言うとすれば、「作品としての価値」が損なわれた状態と言うことすらできます。
2012-11-11 16:59:55無断転載で広がっていく”画像”たち、は単なる事実の伝搬に過ぎず、またその事実すらすでに虚構としての機能しか果たしていないということで、無断転載行為自体がアート性を有する状態というのは、かなり限定されていると考えます。
2012-11-11 17:01:03そのすべてが私だ、ということは、虚構となり失われたアイデンティティを再定義するということですので、「作品が再生する」という意味性を与えることは可能ですが、その時点で無断転載行為は虚構として処理されなければいけないので、
2012-11-11 17:03:00以前どこかで書いたように、自分の手がけた作品が他者の手を渡り渡っていって、やがて誰のものともしれない都市伝説に成り果てるというのが一種の理想系であったりもする。
2012-11-10 21:44:18実は、これ自体が理想だとすれば、それは、その理想を持つ者にとって無断転載が虚構でしかなかった、つまり、アートにおけるコンテクストの形成に失敗していると言えます。
2012-11-11 17:05:58なぜなら、無断転載が、それ自体虚構だとするなら、作家同士で口裏を合わせて茶番をしても、同じ効果が得られるからです。つまり、無断転載である必然性に欠けます。
2012-11-11 17:06:39もちろん、自分の作品≒子供≒自分自身が切り刻まれるのに無条件の忌避感を覚えるという立場も理解できるけれど、程度の差はあれ、もとよりそれは他者の目と脳を通す以上避けられないことだし、いわんやことネットに置いておや、情報は光の速度で細切れの解体と再構成を繰り返されているわけで。
2012-11-10 21:53:23これは事実の伝搬に過ぎない行為と、改変を混同しているので論外です。芸術性を主張するなら、こうした混同は、その混同があるという事実を軸にしたロジックを組むべきで、ロジックの中で混同することは、むしろ作品の意味性を劣化させます。
2012-11-11 17:08:49気持ちの部分っていうのは大事だけれど、それを守りきることに拘るなら、システムの冷酷さから遠ざかって、自分の殻に篭る他に結局ないと思うのだよね。あるいは、悟りでも開いて、自分という括り自体を手放してしまうか。
2012-11-10 22:02:04芸術性を追求する上で、システムの冷酷さを再現することには有意性があると考えますが、システムが永遠に冷酷であり続けるという前提から導き出される答えには、人間が不変であるという前提があり、無理があります。
2012-11-11 17:11:09批評3
もし無断転載が無意味な行為であるというこに意味性を見出しているとするなら、すべての行動が限りなく虚構でなければならず、その意味で、虚構ではない部分が存在する(作者やその作品、またその周囲の関係性の実存)が存在する限り、そこに意味性を見出すことは限りなく難しいです。
2012-11-11 17:17:10