- kwansaijin
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中河さんはヘスフラのMCDの議論を引っ張ってきて、Goffmanの自己の議論との接合を図っているけど、たほう、faceはCA的に分析可能って言ったHeritage〜Levinson、そしてそれを受けたLernerの一連の研究はどう思ってるのかな
2010-08-05 22:02:29@dan_yasu @n_akiya @contractio 「分析の対象として抽出された相互行為のパーツの了解可能性がそうした(エスノグラフィックな)背景記述によって担保されるとすれば、データの点検可能性は、じつはいま思われているよりも高いハードルを意味するのかもしれない」
2010-08-05 22:04:08@dan_yasu @contractio @n_akiya さっきの引用は、ようするにCAにとってさえも、データの点検可能性はハードルが高いということ。
2010-08-05 22:10:41@evidai @dan_yasu @contractio さすがに発表資料に盛りこんでしまったらdnさんの研究そのものへのコメントが減ってしまってよくないので、懇親会のときにでも軽く聞いてみてくれるといいなあとw
2010-08-05 22:13:11@contractio @dan_yasu @n_akiya ところで、中河先生のデータの点検可能性についての議論がこれでいいのかどうかよくわからない。
2010-08-05 22:23:17@dan_yasu つFinding "face" in the preference structures of talk-in-interaction( http://ow.ly/2lqCf )
2010-08-05 22:37:04@dan_yasu だいぶ前にこみやさんに存在を教えてもらったやつですね。その後調子にのって僕もそれに関した論文一本書いたんですが、あんまうまく書けなくて再勉強中です
2010-08-05 22:39:37@n_akiya 中河先生というよりむしろヘスフラかも。この場合の点検って?っていう感じです。で、へスフラ論文が手元にないという落ちです。
2010-08-05 22:44:05ふむ。この論旨にはコメントせねば。RT @n_akiya: かにする。したがって、そうしたエスノグラフィーは、調査技法として観察 を強調しはするが、観察の詳細を読者が見てとり利用することができるようにはし ない。」(Francis and Hester 2004: 31)
2010-08-05 22:59:38@n_akiya エスノフラフィであっても、質的研究法全般の信頼性指標なのであって、別にEMオリジナルではないと思うにですが。いま手元に引用したい論文がないので、また今度引用してコメントします。
2010-08-05 23:02:28@n_akiya と書いたけど、会話分析は、論文にその一部を掲載して論じるという意味なら、そうですね。でも、あらゆる質的研究法は内部的には、ちゃんとデータにもどれるはずなのでは?
2010-08-05 23:08:10@masaya21 おお、反応ありがとうございます。私はこの問題はかなりナイーヴな話だと思っていて、分析の「再現性」については、「分析者の」っていうことではないというところがポイントだと思います
2010-08-05 23:20:11@masaya21「分析者の」ということであれば、分析プロセスさえ書いてあればなんでも追跡可能ですから。おそらく当該論文でヘスフラが(そして元ネタと思われるサックスが)言っているのは、「成員の」用いた方法がどれだけ再現可能か、ということじゃないでしょうか
2010-08-05 23:21:37@n_akiya 引用文だけで判断する限りでは、点検というものが何をすることなのかよくわかりませんでした。分析のプロセスをデータに沿っておうことができるくらいの意味なんですかね。
2010-08-05 23:24:45@masaya21 おそらく「方法」がどこに位置づけられるかが問題なんだと思います。通常科学はそれは分析者が持つ尺度ですが、EMではそれを成員がすでに持っているという仮定に立つので。とはいえ、それにEMがどれくらい成功しているかは議論を呼ぶところだとは思います。難しいですね・・
2010-08-05 23:25:37@n_akiya @masaya21 EM全然知らないので的外れかもしれないのですが、エスノグラフィの場合、「分析プロセスさえ書いてあれば追跡可能」とも「内部的にはちゃんとデータに戻れる」ともいえないケースがけっこうあるように思うのですが、、私は文化人類学の人です。
2010-08-05 23:29:52@n_akiya @masaya21 録音もとれず、その場でノートもとれない状態のフィールドワーク状況ってけっこうあるし、私自身の記憶とか思いとかも相当はいりこんでいるから。いわゆる「参与観察」のうち「参与」しようとすればするほど、観察記録というのはとれないケースが多いなあと。
2010-08-05 23:32:22@yamtom ああ、単純化して書きすぎました。ありがとうございます。そういうことも加味して、EMの人たちはエスノグラフィとの区別を提示してるんだと思います
2010-08-05 23:34:34@n_akiya なるほど。成員においての再現性という意味ですね。であれば、EM的議論ですね。逆にそこは、むしろEMがよって立つところだと思うので、議論したいところですね。
2010-08-05 23:34:38@n_akiya レスありがとうございます。「エスノグラフィ」とひとくちにいってもいろいろなやり方も書き方もあるので、「エスノグラフィ」ということで著者のひとがいったいどういうものを想定しているのでしょうね。
2010-08-05 23:38:44@n_akiya ってことは、ヘスフラがデータの点検可能性という言葉で確認しようとしたのは、記述の質や分析の質の問題だと思うのですが、中河先生はこの言葉でデータの質について確認しているように読めるのです。うまく言えなくてすみません。
2010-08-05 23:42:12