F/T12イェリネク三作連続上演『光のない。』演出:三浦 基(地点) 音楽監督:三輪眞弘

作:エルフリーデ・イェリネク [ オーストリア ] 演出:三浦 基(地点) 音楽監督:三輪眞弘 [ 日本 ] 11月16日(金)~ 11月18日(日) 東京芸術劇場 プレイハウス http://www.festival-tokyo.jp/program/12/kein_licht/
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旅社長 | 伊藤雄吉 / Yukichi Ito @Kichisinger

光のない。の世界観からまだ抜け出せていない感じ。

2012-11-19 12:02:29
真田真 @MakSanada

ポツドール「夢の城」。地点「光のない。」。違った意味だが、どちらもずんと世紀末を感じる。

2012-11-19 09:10:15
生西康典 @ikunishi

1)同じ『光のない。』は昨年リーディング公演ではありますが、長谷川寧さん(富士山アネット)演出のを観ています。あの時に一番面白かったのは、台詞をラップ調にしてしまったことに怒り心頭の客席にいたおじいさんでしたが(後で知りましたが、かの有名な岩淵達治さんでした)

2012-11-19 06:41:22
生西康典 @ikunishi

3)僕はあの作品を観て大いに驚きました(それまでにも地点の舞台は好きで観てます)。これを音楽家が聞いたらどう思うか意見を聞いてみたいと思いました。でも、あれは演劇を突き詰めて行く中から出たからの素晴らしさだと今回の「光のない。」を観て逆説的に理解しました。

2012-11-19 06:29:53
生西康典 @ikunishi

1)巷で大絶賛の『光のない。』ですが、僕には全く琴線に触れてくるものなく、これまでに何度も三浦基さん/地点に刺激を与えられた人間として愕然としました。あの美術も素晴らしいかもしれませんが、正直言って既視感もあり、だからどうしたという感じ。

2012-11-19 06:24:58
生西康典 @ikunishi

@wannyan ヒッピー部の公演後のトークで何を言われたか気になりつつ、同日、無理して観に出掛けた「光のない。」が僕にはダメで、同じ池袋で少し打ちひしがれてました。

2012-11-19 06:21:01
Yu Harada @haradyna

「光のない。」地点の上演に興奮して、戯曲を買って読む。台詞は福島原発の炉心棒が喋ってるように書かれていて、その炉心棒の取り残された感がヒシヒシと伝わってくる。上演時にはまったく気がつかなかったけど。でも、それはそれで気がつけなかった自分の鈍感さをさしてせめるわけでもなく。

2012-11-19 03:20:07
(((((((。-_-。))))))) @shiiibataaa

地点「光のない」。床から足だけのぞかせた合唱隊が、地の底から静かに発するコーラスが、より言葉と黒の中の光を際立たせるよう。わたしたっちは、あなたたっち、そのうち、わたし?あなた?となって、わたしはあなたにさばいてほしい、を私あなた自分入れ替えて考えて、劇のことを思った。

2012-11-19 02:25:36
相馬千秋 @somachiaki

テーマ2:演劇の言葉はどこにあるのか?  16:30-18:30 司会:佐々木敦(批評家) スピーカー:三浦基(演出家)、三輪眞弘(作曲家) ゲストスピーカー:大澤真幸(社会学者)、保坂和志(小説家)

2012-11-19 01:51:15
相馬千秋 @somachiaki

その時、演劇の言葉はどこにあるのか。E. イェリネクが震災後発表した『光のない。』や日本で生まれたいくつかの戯曲・韻文、その上演を例に、言葉の現在地を探る。

2012-11-19 01:50:47
相馬千秋 @somachiaki

テーマ2:演劇の言葉はどこにあるのか?  16:30-18:30 震災後、詩集がベストセラーになるなど、非日常的な言葉に対する関心が高まっている。日常を突如分断する事態に対し、人々はあらたな物語を紡ぎ直 すために、また失われたものと向き合うために、どんな言葉を求めているのだろうか

2012-11-19 01:50:34
akish @pidan_teppei

3つのイェリネク作品を見終わって、面白いなと思ったのは「レヒニッツ」と「光のない。」で舞台と客席、演者と観客の境界線を曖昧とする演出だと感じたのに対して、「光のないⅡ」では、作品の内側の空間に入り込んでいるのに、舞台(展示)と観客(自分)をハッキリと分けられていると感じたこと。

2012-11-19 01:46:36
MA @BostonJirorian

『光のない。』のあとは、ダニエル・コックの『ゲイ・ロメオ』。愛と知性で光ってましたよ、ダニエルさん!

2012-11-19 01:28:43
Setsuko SAHARA @setsu_shr

@velarium2012 私は金曜に『アンティゴネーの旅〜』と『光のない。』を観て、前者の方を考え続け(発酵させ)ています。いわば「生き埋めの時間」について。フクシマの死者に漸近しえたのは前者だと思います。「舞台芸術」の正統的な継承者として、後者の芸術的達成度は高 いのですが。

2012-11-19 01:19:17
鈴木理映子 @r_suz1005

今日の「光のない。」はオペラの演出のよう。というか『オペラの演出』だった。カーテンコールから、終演までのアレに、かえってグッとくるものがあるのはそのせいか。なんだけど、イェリネク2作(特に「光のない。」)が<オペラの演出>だったことには、いろいろと考えさせられてもいる……。

2012-11-19 01:12:21
MAEDAmanami @mdmnm

地点『光のない。』昨日見た。「私たち」、と「あなた」という言葉が繰り返されるのだが、イェリネクが移動しない作家である(飛行機に乗れないのかな)、ということが気にかかっている。あとこの作品が国外で上演されることがあったら、ものすごく別物の何かが立ち上がる気がする。→

2012-11-19 00:47:44
高橋彩子 @pluiedete

地点『光のない。』書く方も書く方ならやる方もやる方(褒め言葉)。何が凄いのか、戯曲を読んでまた考えたい。ともあれ舞台は視覚・聴覚共にシャープでまるで現代オペラ。第一バイオリン?の女優のイントネーションに訛りめいたものも。光/音/放射能…多義的・重層的、それでいてダイレクトに響く。

2012-11-19 00:47:39
MA @BostonJirorian

イェリネク/地点『光のない』。イタコを介して「再生」された、無数の人々の「汚染された音」の集積は、ポスト3.11のオーラル・ヒストリーとして、多声的な記憶の「再生」の儀式として、圧倒的なリアリティを持っていた。

2012-11-19 00:28:12
やまけん🏳️‍⚧️🏳️‍🌈 @yamakenta

@fuzzkey 『光のない。』のは正確にはGeige/ガイゲでした^^; 去年別の団体がリーディングやってて、そこでドイツ語の掛け言葉についてはいくつか説明があったのです(たしか)。

2012-11-19 00:27:44
今井克佳 K.Imai @blankimai

「光のない。」声、声、声。不自然なアクセントで語られる日本語のテクストと、声明とも思えるコーラス(コロス?)。抽象的な遠近法の美術。後生大事に抱えてるバイオリン。声の音楽。空気の振動。

2012-11-19 00:25:57
斉島明 @fuzzkey

@yamakenta ジエン社のファンなのですが、とても勉強になりました。『光のない。』に関するツイートの「ガイガー~」のくだりもおお、とおもいました。ありがとうございます!  たのしみにしてます。

2012-11-19 00:20:46
MA @BostonJirorian

イェリネク/地点『光のない』。生者と死者、加害者と被害者、音と言葉、肯定文と否定文、断言と疑問、怒りと笑いの境界線を溶解させるイタコたちの「再生する」シュールでリアルな世界。私があなたになり、あなたが私になる。私達があなた達になり、あなた達が私達になる。→

2012-11-19 00:15:18
MA @BostonJirorian

イェリネク/地点『光のない』。5人のイタコと化した俳優が、3.11以後に「汚染された音」を「再生」=リプレイする。放射能によって「汚染された」のではなく、原発事故後の状況において生じた憎しみによって「汚染された音」の断片たちは、この儀式を通して「再生」=リヴァイブするのか?→

2012-11-19 00:09:30
ほしの @yoshiharch_mmj

光のない。って、長谷川寧さんも演出してたんだ。僕が彼を知る直前だ…。

2012-11-19 00:07:57
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