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F/T12イェリネク三作連続上演『光のない。』演出:三浦 基(地点) 音楽監督:三輪眞弘
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festivaltokyo
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とりあえず美しい星、光のない、ゲイロメオ、そしてエヴァについてFacebookに書きました。アンティゴネと光のないⅡはまた今度。 飲み会帰りで辛い。
2012-11-19 00:02:58![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
続)もし芸術なんかが何か言うのなら芸術の暴力性を有効活用する以外はないとの判断だと思った。少なくともこの文脈では「繊細さ」など芸術の制度の保身でしかないだろう。だから三浦作品を見てる間「必要悪」という言葉が脳裏を離れなかった。然るべく発せられた毒としての芸術。もし何か言うのなら。
2012-11-18 23:39:48![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
三浦基の『光のない。』は、誰にでもピンと来る単語を極端に毛羽立たせて使うことで、異物を観客に強引に呑み込ませて煽動する。芸術の暴力性をあられもなく露出している。その意味で松田の「繊細さ」とは真逆なのだが、事の性質からして、つまり芸術なんかが出る幕かよという事態の性質からして、(続
2012-11-18 23:39:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「光のない。」ことばによってよく制御された舞台だった。放射能も語られて浮かび上がるものなので手法とテーマが一致していたように思う。「わたしたち」ということばが強要すること。くちだけがうごいているような舞台。生きているのか死んでいるのか。緩慢な重さ。言われなければ言い間違いはない。
2012-11-18 23:20:07![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
金曜夜にはまった磁場からどうにも脱け出せなくて、今夜も延々と布団ひっかぶって寝てるのだけど、眠っては起きを繰り返しながら、目覚めかけの朦朧とした意識のなかで考えているのは、「光のない。」と「光のないII」のことばかり。どうすればあの圧倒的な「光のない。」を言葉にできるのかしら。
2012-11-18 23:20:05![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
地点「光のない」拝見。イェリネクの立ち位置を少し理解した感じがする。レヒニッツでは、どうしてもその激しさを強く感じた。確かに本作でも主張は明確だが、3.11.の自分たちには整理できていない部分も外部から客観的に視ている。美術、照明、そして身体性、その調和表現は素晴らしかった。
2012-11-18 22:44:43![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
あと『光のない。』も見て、海岸に打ち捨てられた死体を鍵盤にしたピアノ、みたいな形の美術で、全然セリフは頭に入ってこないのに気持ちがよくて、マイクを持って「電気をください」と言った時が衝撃的だった。
2012-11-18 22:39:42![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
きょうみたF/Tイェリネクの光のない、と江戸博の川村清雄。あとヒロミヨシイ六本木のヒロミックス、水戸芸の311関連、近美の原爆絵、など首都圏には示唆深い芸術がたくさんあるなあ。いま長岡でGUNやってるよ!
2012-11-18 22:19:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
光のない。をみた。なんとも言えない。涙はでなかった。ただなんの感情もなく(もしくはごちゃまぜになって)心臓がとくとくなった。Ⅱが楽しみ。
2012-11-18 22:02:53![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
光のない。良かった。疲労した。疲労して、見る前まで疲れていなかったのかと考える。何もしっかり考えずにいた。自分はきっと今も、モノローグをしていて、「違う」と遮らずに暮らしている。今も、何かに加担しているのか。
2012-11-18 21:54:32![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
イェリネク作、三浦基演出の『光のない。』これはほんとうに物凄い演目で。冒頭の「指さし」と〈人称〉の掛け合いから五人の男女がある種のイタコ状態と化す。しかも特定の個人ではなく、複数の人格が現われ出る(戯曲の「再現」ではなくなる)。
2012-11-18 21:47:16![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
16日、会田誠展内覧会@森美術館+マシュー・モナハン展@カイカイキキギャラリー/17日、イェリク「光のない」@東京芸術劇場/本日エヴァQと立て続けで濃い日々。体験を解きほぐす時間が必要でなかなかつぶやけず。
2012-11-18 21:44:55![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
フェスティバル/トーキョー21光のない。コーラス3日間公演終了! 色んな意味でとーっても楽しい現場でした! 役者さん三浦さん三輪さん舞台装置、みーんなすごすぎでしたっ。 Twitterでも皆様からいっぱい素敵なご意見があってとーっても嬉しいです\(^^)/ すべてにありがとー!
2012-11-18 21:39:10![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
地点「光のない」 言葉(=音)がモールス信号のようなアクセントで繋がる・呼びかけるように送られ、時には黒人たちが怒りを不平をぶつけるようなラップとなって語られる。でも言葉(=音)は共鳴を得ることができない。分断されてズタズタに切り裂かれた私タッチ(のようなもの?)の世界
2012-11-18 21:24:05![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
地点「光のない」観た後「ゲイロメオ」。「光のない」の重厚さと高尚な感じに比べて、「ゲイロメオ」の軽快さと日常性。二つを比べることはナンセンスだと思うけど、「ゲイロメオ」のほうに気持ちをぐいぐい持ってかれた。
2012-11-18 21:20:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
先日三浦基の『光のない。』観劇したのだが、3.11を扱ってる作品なためか舞台にずっと見えてる足が遺体安置所や津波に打ち上げられた人々に見えてちょっとぞっとしながら見てた。
2012-11-18 21:16:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
Facebookのアルバム「F/T12イェリネク三作連続上演『光のないⅡ』舞台写真」に写真を4枚アップロードしました http://t.co/tUBe5s9f
2012-11-18 21:12:10![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
@bonnebonnebonne 行かれたのですね〜。私は21日に行きます。今日は地点の「光のない」を観劇。先週の「レヒニッツ」に続き、イェリネクの言葉に、それを咀嚼し舞台に載せた演出の力に圧倒されました。研ぎすまされた凄みがあり、あまりに深い舞台でした。
2012-11-18 21:05:53![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
「光のない」をみてきた。 頻出する「わたしたち」に強烈な距離を感じた。飛び舞う言葉はキャッチできず、勾配舞台から発せられ身体を通り抜けていく。その「出来事」をどうしても考えられない。自分にはその「出来事」のアクチュアリティが欠落しているのだと気づかされた。ただただ圧倒された。
2012-11-18 20:42:51![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
地点の「光のない。」のかんそうを書いてみました。すごかったです。今日で終わってしまうのが残念でなりません。 http://t.co/Xpa8lqPd
2012-11-18 20:42:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
光のない。はおわってしまったけど、ツアー型演劇である、光のないIIは、みんなゆってるけど、ほんとにみたほうがいいと思います。
2012-11-18 20:29:44![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
光のない。で散り散りに叫ばれた言葉の欠片は、光のないIIにて新橋の街を巡るとき、胸を突き刺すリアリティに変わった。無理してきて良かった。ネオンきらめく街に、福島の人々の影が重なり、疑わしい街になる。東京は責任を迫られる。僕は今東京に電気を送る県に住んでる。だが他人事とは思えない。
2012-11-18 20:23:08