享受論的疎外について【シューニャリアーナ享受論EX】
- L_O_Nihilum
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それは「萌え」側にも言えることだ。疎外という感、疎外感をうまく使う事で、…その相手を否定せず、その「違う」考え方を受け入れ、様々な方向に「けよりな」を押し広げる可能性を、それぞれの思考、想い(これらをひっくるめてよく「観点(Perspective)」と言うけどね)は皆持ってる…。
2012-11-19 21:28:28ユウキさんも言う。『あるべき差異を見つけ出せ』。否定することなく、排除することなく、生まれる疎外と、疎外の疎外として今考えてるその見方も捨てることなく、さまざまにけよりなの享受論が、描かれていくのならば…。
2012-11-19 21:29:29そう。まさに、「他者」同士、様々な「けよりなが好きな人」「けよりなに出会った人」が語り合えば……そこには、救いがあるかもしれない。そういう賭けを、してみない価値はない。そして、そうしたあらゆるパースペクティブ、ポリティクスを超えたところに、作品の本質は、見えるかもしれない…。
2012-11-19 21:30:53そういうところで、キャラクターを「またもう一度」語りなおしたとき。その時、キャラクターは救われるかもしれない。あらゆるポリティクス、消費、属性から切り離された、<その人>のエートスが判ったりするかもしれない。
2012-11-19 21:31:36僕はことに<フィーナ>へとこれを行おうという企図を持っているわけだが…こうして考えているうちにも、やっぱり思う。要するに、「正しいか正しくないか」じゃない。「センス」なんだ。そういう、感じがしてくる。疎外することのない、でも近づく一つの真理のための鍵は。
2012-11-19 21:32:40僕は疎外したよ。…ていうか、「考え方」、を作り出すとき、考えるとき。必ず「疎外」は生まれてしまうんだ。だから、疎外を肯定的に扱う。本来性を企図せず、新たな考え方を受け入れる態勢で、なおも自分の落としどころを見逃さず。作品に、キャラクターに、真摯に迫るんだ。
2012-11-19 21:34:41僕は、そのさまざまな「けよりな」の「ホントのすべて」を語れるとは思わない けれど、その語りの中に、一つの可能性を投じることは出来る。僕の考えは、疎外という批判的な迫りをしつつも、同一性無き差異を響かせようとする「Feena」の本質をあらゆる方法で探ってみたい。
2012-11-19 21:38:13僕が描くのはフィーナのエトスだ キャラクター享受論の一計画 キャラ、外世他者のためのEthologie(エソロジー、本性学とでも訳そうかなw)。
2012-11-19 21:39:05…考えがめちゃくちゃになってきた。特に「同一性無き差異」以降。ドゥルーズ勉強しなきゃー。…まあ、とりあえず、言いたいことはこれで伝わると思うから、とりあえずこの辺で御開き、ってことにしたいと思いますッ!!あーりがとぅーごじゃーしたーっ!
2012-11-19 21:40:14あ。ついでに。これらのまとめもついでに読んでおくと幸せになれる。 ⇒ http://t.co/Ci2sibu9 http://t.co/WoIZetgB
2012-11-19 21:41:48