丹生谷貴志ツイートまとめ(2012年12月)

丹生谷貴志氏の2012年12月分のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

大岡さんの「風俗小説」の登場人物たちには「愛すべき要素」というものが徹底的にに欠けている。「人物としての魅力」というものの欠如。不思議なことに『パルムの僧院』の翻訳においても、大岡さんはその人物たちからそうした魅力を消し去ろうとする訳文を作り出すことに腐心するかのようなのだ・・・

2012-12-27 10:54:40
nibuya @cbfn

例えば「三郎は睡眠によって、労働力を取り戻している間に、ひろ子が外で何をしているのか、皆目知ることはできないのである」といった一行に、大岡さんの「風俗/推理/小説」の完全な要約を認めることさえできるだろう。これがその世界の所与のすべてなのだ。

2012-12-27 13:31:09
nibuya @cbfn

所与の世界から余計な情念の陰影を消し去ってしまうこと、それによって成立する世界を置くこと。それは例えば最後まで書き続けた『ハムレット日記』の主導モチーフそのものではないかとすら見える。或は『レイテ戦記』もまた? このことの「意味」・・・・

2012-12-27 13:41:38
nibuya @cbfn

つまらない話だが一時期「作者の死」といった批評語の寸言だけが一人歩きし、小説をテクストとして「作者」から分離し対象化する主張であるかのように捉えられたことがある(特に反対派はその程度に理解した)。しかしその語の本来の意味は「作者」をも付帯テクストとして扱い繰り込むことの主張だった

2012-12-27 14:31:23
nibuya @cbfn

さしあたり必要もないのに資生堂の「ドライシャンプー」というのを持っている。この匂いが変に懐かしいからだけの理由。神戸淡路震災の時金井さん姉妹が送ってくれて三ヶ月の水道遮断の間使っていたその時の記憶。別に感傷的な含みではない。この匂いが或る「テクスト断片」として機能するということ

2012-12-28 13:49:42
nibuya @cbfn

「私」という存在は膨大なテクスト断片の集積として、ある。これは実感だ。僕は「主体」ではない。「私」は「考えない」。コギトは存在しない。

2012-12-28 13:53:27
nibuya @cbfn

むろん「私」は多少の「中枢性」を持つ。しかし、自転車を漕ぐという単純な(?)動作においてすら、僕はそのすべての動作を主体としてコントロールしている訳ではない。「私」は動作のエフェクトであってガヴァメント中枢ではない等々・・・・

2012-12-28 13:57:00
nibuya @cbfn

思考においてはとりわけ、そうだ。僕は考えない。ソクラテスのダイモン! テクスト群の集積。テクスチャー。カスタネダ=ドンファン・・・「トナール」「ナワール」? 神秘主義の問題ではない。

2012-12-28 13:59:35
nibuya @cbfn

スチーム・パンクというジャンル(?)があるらしいことを今頃知る。といって、別に目新しいことではないことも知る。ほぼすべて読んだこと(見たことのある)もののことの集合のようだ。と言って、巽孝之によればその現代の代表作らしい『ディフェレンシャルエンジン』は例によって読めなかった。

2012-12-28 14:10:09
nibuya @cbfn

ウィリアム・ギブソンが読めないのは何故だろう? 内容やら以前に、翻訳の日本語が目に煩くてまったく追う気になれないのだ。原書で読めばいいのか。探す・・・前に、まあ仕事ですね。ままならない。

2012-12-28 14:32:17
nibuya @cbfn

石川淳さんの座右の銘:「笑はしちやいけない」。

2012-12-30 22:49:02
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