ほしおさなえさんの140字小説8

ほしおさなえさんの140字小説8 その80~その89です。 (まとめ1)http://togetter.com/li/371906 (まとめ2)http://togetter.com/li/373145 続きを読む
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ほしおさなえ @hoshio_s

丸いガスタンクが怖かった。巨大な球形がわけもなく怖かった。だが大人になって、丸いガスタンクが大好きだったという女性と出会った。なぜか意気投合し、結婚した。子どもが生まれ、巣立った。今でもときどき思う。ずっと同じ家に住んでいるが、妻とわたしは全然別の世界を見ているのではないか、と。

2012-12-01 08:18:29
ほしおさなえ @hoshio_s

年取ってからなにも殺せなくなった。蚊でも虫でも窓からそうっと出してやるの。生まれ変わりってあるでしょ? この虫もわたしの知ってるだれかの生まれ変わりかもって思って、殺せなくなる。わたし、死んだらなにになるのかしら。変な生き物じゃないといいなあって、最近そんなことばかり考えてるの。

2012-12-04 09:07:48
ほしおさなえ @hoshio_s

久しぶりに原稿用紙に文を書くことになった。最初の升に文字を書こうとするが、なにを書くか決められない。一文字に決めてインクが染みれば、もうほかの文字は書けない。書くというのは、一字一字なにかを選び、ほかを捨てることだと思う。升目を埋める。四角い枠の中に世界ができあがっていくようだ。

2012-12-05 18:53:42
ほしおさなえ @hoshio_s

植物園に行った。温室の空気はしっとりして暖かい。卵の中にはいったみたいだ。南国の植物の蔓がほかの植物に巻きついている。わたしの身体からも根や茎が出て、身体の形を失っていくような気がして、そうやって広がっていくのも悪くないかもしれないと思う。大きな葉が茂って、硝子越しの空が見える。

2012-12-07 16:07:51
ほしおさなえ @hoshio_s

むかしのことを思い出そうとすると、影のことばかり浮かんで来る。土産物屋の店先の大きな布の影や、格子の縞の影、階段にできた折れ曲がった影。大事なことはなにも思い出せないのに。影には深さがない。匂いも手触りも色もない。すべて削ぎ落され、最後は全部影になる。記憶とはそういうものなのか。

2012-12-08 10:23:05
ほしおさなえ @hoshio_s

二十年ぶりに会ったその人は少し皺が増えただけで、前と変わらなかった。窓辺の席で微笑むと初々しい面影と重なり、わたしは彼女を好きだったのだと気づいた。こんなに経って、はじめて気づいた。たぶんあのころはまぶしすぎてよく見えなかったのだ。外の町並みも変わり、空気が悲しいほど澄んでいる。

2012-12-10 08:52:20
ほしおさなえ @hoshio_s

冬の林。あれほどあった蝉の抜け殻ももう見かけない。季節が変わるあいだに全部砕けて食べられてしまったのだろう。僕は葉脈だけになった葉を拾い上げ、宙にかざす。生きるというのが薄気味悪いことだと思う。林全体が命と死骸でできている。落ち葉を踏む音だけがする。枝が裸で、曇り空がよく見える。

2012-12-12 08:31:21
ほしおさなえ @hoshio_s

夜、バスを降りると砂漠だった。大きな満月が光って白い粉がさらさらと降って来る。砂漠の砂は月の粉なのだった。砂を踏みながらひとり息をつく。家もない。人影もない。でもこの道を歩いて行けばどこかに帰れる気がした。なつかしい、むかしいた場所に。さびしくなんかない。砂がきらきら光っている。

2012-12-17 16:11:10
ほしおさなえ @hoshio_s

人の書いた夢の話を読むたびに、どきっとする。知らない人が見た夢がするするとのびてきて、わたしの夢とつながってしまう。夢には草かんむりがついているから、植物の一種なのだろう。たくさんの夢がつながりあって、夢の草原が広がっていく。草原のなかでわたしは眠り、草の実になった夢を見ている。

2012-12-18 18:14:20
ほしおさなえ @hoshio_s

いつもとちがう路地にはいると知らない場所に出た。門だけがあって向こうは原っぱ、その先は崖で空ばかり見える。扉が風でぱたんと揺れた。門には出口と書いてあった。出口はこんなところにあったのか、空に行けるのか、と思った。でも、それからあの門に行き着けない。路地の多い町に住み続けている。

2012-12-19 13:15:05