【シューニャリアーナ批判論】どうして「享受者の倫理」には迫れない?【独我論的な壁】
- L_O_Nihilum
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↑の続きというか補足
自称反原発派の間で何かと持ち出される「はだしのゲン」であるが、彼らは本当にこの作品の真意、核心を理解しているのか、本当に疑わしい。理解しているのならば、「福島県民を差別しよう!」などと軽々しく言えるはずがないのだ。「はだしのゲン」を参照する前に読み直せ。勉強し直せ。と私は思う。
2012-12-25 23:09:51さて、この「はだしのゲン」は最後、ゲンが夢を実現するために東京に旅立つところで終わっている。しかし、これが最後ではなかった。「はだしのゲン」は、東京を舞台にした新章が準備されていたのである。しかし中沢先生の持病の悪化に伴って執筆続行が不能となったため、絶筆となったのである。
2012-12-25 23:12:13以前、どこかのニュース番組で、この「はだしのゲン」の「幻の続編」についての特集が組まれていた。そこでは、絶筆する前に既に下描きを終えていた冒頭2話分が紹介されていた。その吹き出しには、およそこういったことが書かれてあった。
2012-12-25 23:15:08「広島から来ただと!?」「こっちへ来るな!」「ピカの毒がうつる!」 ……そこには吹き出しに殴り書きされたその文字だけが書いてあった。しかし、たったそれだけで、その場面の鮮烈で陰惨とも云うべき人物の描写が、ありありと目に浮かんだ。下描きであそこまでの衝撃を受けたのは初めてだった。
2012-12-25 23:16:42中沢先生は、「東京編」でも引き続き「被爆者差別」を中心に描いていく予定だったのだ。当時はまだ、「広島は向う70年草木は生えない」という風評がまかり通っていた時だ。東京という離れた場所からだと尚更そう見えたのだろう。そこでゲンは再び「差別と戦う」つもりだったのだ。
2012-12-25 23:19:01日本人よ、君たちは、あの憎たらしい「町内会長」になりたいのか、「特高警察」になりたいのか、「林のババア」になりたいのか、「政二さんの身内」になりたいのか、「アメ公」になりたいのか、「ヤクザども」になりたいのか、「特需成金のクソッタレ」になりたいのか。君たちは半分なりかけている。
2012-12-25 23:24:43@L_O_Nihilum こんばんは。"「この問題はプログラムやパラメータにキャラの感情を落とすこと」の、「善悪」(倫理)なのか、「可不可」(認識論)なのか、「方法論上の正誤」(存在論)なのか"の件。横断的で問題は全部っぽいです。倫理△、認識論△、存在論?ですね。
2012-12-26 20:27:39@kinginkeika 多分そのヘンですよねw。それ多分ゲーム論というよりロボット論にすごく近いと思います。感情のプログラム化、ロボットの感情の話とか。
2012-12-26 20:28:53@kinginkeika だってそうでしょ、感情アルゴリズムの事なんだから。それをメータライズするという話などになれば、SF的なその議論に非常に近づきます。それとは別で「どう感情を”デザインするか”」って言いだした場合は別様になりますが…(さらに、疑問の性質上倫理から遠ざかる)。
2012-12-26 20:36:16@kinginkeika 私たちはそれを「感情」と感じてるのかどうかという議論周囲です。つまり、それを感情と受け取れるかどうか、これが感情を表現・デザインすることの「可・不可」と関与している。(1)
2012-12-26 20:43:06@kinginkeika 例としてさっきまとめで言ってた「サムスピ」の怒りゲージですが、これは「ダメージを受けるとたまり、満タンになるとパワーアップ」というあからさまなシステムだ。「怒り」を結びつけてはいますが、ここから私たちはなんのキャラの感情も感じ取りませんよね。(2)
2012-12-26 20:44:08@kinginkeika でも、「けよりな」なんかで、フィーナが泣きだしてそこに文章が出てこれば、私たちはフィーナの感情として受け取っている。この時、どうやら「けよりな」は感情デザインに成功しているし、そう受け取られています。それはどういうメカニズムなのか?という議論です。(3)
2012-12-26 20:45:03@kinginkeika あと、倫理の場所を残すとすれば、やはりそれは「外世他者論」にしざるを得ないと思います。その一歩手前があるとすれば、作者論、作品論です。(4)つまりプログラムやオブジェクト、デザインという領域とは別のところでキャラについての倫理をするのですから。
2012-12-26 20:46:07QT(@kinginkeika)「横断的で問題は全部っぽいです。」いや、横断的で全部△でしたねw。
2012-12-26 20:48:57@kinginkeika (補足)外世他者論をもっとテクストや文学論に近づけてあんまり行き過ぎない物に戻せば「物語論」ですね
2012-12-26 20:50:23@kinginkeika してもいいけどそれこそかなり複雑だと思います。それを何かしら命題化することは作品とキャラクターへの思考の数倍ハードな問題です。そこにいいかげんに手を出した結果が畢竟消費論ですから…。
2012-12-26 20:58:28これねえ 認識論からの継続で考えるからだろうな、僕のキャパでは多分無理というか、やってもいいがかなり危険。何故ならその見方一つから出発することでこう読むべきこういう作品が流行るみたいな理論を安易に立てやすくなる
2012-12-26 21:01:43それこそそういうことをガチでやっちゃったのが東浩紀ほか消費論者の諸々の過失犯だろ。やれ決断がどうのこうの、ウロボロスがどうのこうの、そこから享受者の認識まで決めつけた。というか、じつは文面とは逆で、彼らの本音では「享受者がこうだからこういうのが売れた」っていう言い分。
2012-12-26 21:02:40