- bot_miura9
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処罰されなかった理由は「不明」です。
でも状況からして簡単に察せますよねw
国司は此方側の味方ですので。
その後、なんとか大庭御厨と大庭氏は、義朝様の配下として存続したんだ。保元の乱の時、三浦は大蔵合戦の後処理に追われて、参戦できなかったけど、大庭氏の景義、景親兄弟は参戦した。その時兄の景義殿は為朝殿の矢を膝に受けて、歩行困難になり、以降合戦の場からは身を引くようになるんだ。
2012-12-02 22:32:04で、運命の平治の乱が起こる……この時に……景親の野郎ォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
2012-12-02 22:36:18大庭景親はさっさと清盛に寝返って、相模国でふんぞりかえりやがったんだ。世が世だから三浦もずいぶん圧迫されてねぇ……。とまぁ、今回の大河で登場した大庭景親には、こういうバックボーンがあったんだ。ちなみに大庭氏は梶原氏と同じ鎌倉党だよ。
2012-12-02 22:43:48以上の事を心の目で見た上で、47話の大庭景親殿登場シーンに繋がるわけですね!!
実はこの頃、同時進行でチョッカイ出していた御厨への介入事件があります。
下鴨神社に寄進されていた上総国「相馬御厨」です
他家のことなのでザックリ説明になってしまいますが……
この相馬御厨を作った平常晴殿は、
息子であった上総常澄殿と折り合いが悪く、甥の千葉常重殿を養子として相馬を継がせました。
それを上総常澄殿が義朝様を後ろ盾とし、以前からこの御厨に対してチョッカイかけていた下総守藤原親通殿(平資盛殿の曽祖父上)も味方にして奪い取った事件です。
そして、千葉常胤殿の苦労の始まりでもありました……。
大庭御厨が狼藉はあったものの、利権は大庭氏のままに対し、こちらはその逆で狼藉の話はないですが、利権を奪ったというのが興味深いですね。
というわけで……
千葉常胤殿に語って頂きました!!
こうして義朝様は坂東武者の心強い味方あるいは厄介な敵となり、
坂東を五つになった悪源太義平様にお任せして、京へ戻ります。
12話で、水仙の花を片手に戻ったシーンに繋がるわけですね!!
ちなみに三浦では毎年1~2月に城ヶ島水仙まつりがありますよ!!
八重の桜ならぬ八重の水仙が見られますよ!!
さて、義澄様が仰った通り、
当時の京と坂東では価値観が違います。
この頃はまだ家督を継ぐのは母の身分ではなく、長男であるという感覚がまだ根強かったと記憶しております。
なので坂東の総ボスたる義朝様の長男である義平様が坂東に残る事は、義朝様派な坂東武者にとっては大いに意味がある事です。
そして坂東武者にとってボスというものは、
部下の為に先頭に立って切り開くイメージ(マイルドな表現)です。
なので坂東では義平様がミウラ・ザ・ブートキャンプですくすくと健やかに育てられていたのです。
相模最強と畏れられた一族の血。
坂東有数の軍事力を誇る一族による英才教育。
そして潜在的に流れるKGの血!!
荒ぶらないわけがないでしょう!!
そして義平様が立派な武者になった頃……
北関東に義朝様の弟、義賢殿がやってくるのです!!
義賢殿は秩父党畠山重隆殿を後ろ盾に、ついに南関東まで勢力を伸ばそうとなさったのです!!
その時の様子、畠山重隆殿の甥にして、坂東武者の鑑畠山重忠殿の父、そして大介義明様の娘婿、畠山重能殿に語って頂きました!!
畠山重能殿による大蔵合戦語り!!
大蔵合戦→保元の乱を経て……運命の平治の乱となります。
続きは下記まとめで!!